私、気づいてしまったんです
抜けるような青空の下。
第二王子であるクオン様の出立の時間が迫り、王城から南の地へと抜ける街道は人々で埋め尽くされていた。
王太子を支えるために自ら国境の領地へと赴く、勇敢な弟王子の門出。裏側で起こったゴタゴタなど知る由もない王都の人々は、クオン様の姿をひと目見ようと集まっているのだ。
「本当によろしいのですか?こんな……」
私は今、幌馬車の中で毛布に包まって隠れている。
隣には呆れ顔のエナがいた。一人で行くと言ったのに、世話役としてもう3年もそばにいる彼女はくっついてきてしまった。
彼女のお小言は、教会を出たときからずっと続いている。
嫌ならついてこなくていいって言ったのに。「サラ様を野放しにはできません」って、そんな猛獣みたいに。
「これでいいの。だって決めたことなんだから」
クオン様には、助け出されたとき以来会っていない。手紙の一通も寄越さないので、どうしているかも知らない。もちろん、クオン様の名をかたったキールさんからの手紙もない。
そろそろ出発の時間が迫っている。
クオン様はきっと今頃、ウィストア領への道のりやこれからのことで頭がいっぱいなんだろう。
私のことなんて、すっかり忘れて!!!!
むぅっと頬を膨らませて拳を握り閉めていると、エナがため息をついた。
目が「素直に、連れて行ってとお願いすればよかったのに」と語っている。
もう黙っていよう。ふて寝しよう。
そう思っていたとき、幌馬車の外から騎士の声がした。
「こちらです」
私はドキリとする。
毛布の中で身を縮こまらせて、早く出発しろと両手を組み合わせて祈る。
が、神様はきびしい。聖女の願いを聞いてくれない。
――バサッ……。
「これはこれは、聖女様がこちらで何を?」
「うっ、ちょっと気分転換にそこまで」
明るくなった視界には、いつもの黒い詰襟の隊服ではなく、白い正装を纏ったクオン様がいた。
こちらを見て、ドン引きしているような引き攣った笑みを浮かべている。
どうしよう。
出発前にバレた。
王都を出てから、次の街に着いたときに登場しようと思っていたのに!
私たちはしばらく見つめ合っていて、互いに無言だった。
気まずいことこの上ない。
「サラ」
一生懸命に言い訳を探すけれど、言葉が見つからない。
騎士に連れられ、エナはすでに幌馬車から降りてしまった。味方ゼロ!
しょんぼりして視線を彷徨わせる私を見て、クオン様が特大のため息を吐く。
「何でこんなことを」
この幌馬車は、ウィストア領へ向かう一行のものだ。積み荷は、騎士たちの生活物資。
騎士に頼んで隠れさせてもらったのに、その人がクオン様にチクったことは明白だった。
「何でって、ちょっとおでかけしたかったの」
「そんな嘘がまかり通るとでも?今頃、教会は大騒ぎじゃないか?」
まずそっちの心配か。
ムッとした私は、つい憎まれ口をたたく。
「会えてうれしいとか、今日もお美しいですねとか、クオン様ってそういう社交辞令が言えない人なんですよね。知っていましたけれど」
「この状況でそんなことを述べる男は信用するな」
違う。
私の言いたいことはこんなことじゃない。
今すぐに壁に頭を打ち付けて、素直になりたいところだけれどそんなことはできない。
沈黙が重いので、私は諦めて幌馬車を下りようと中腰で立ち上がる。
「「…………」」
クオン様は無言のまま、私が降りるのを手伝ってくれようとスッと右手を差し出した。
この手を取っていいんだろうか?自信がなくなってくる。
じっと見つめて手を取らずにいると、ふいに両脇の下に手が差し込まれて身体が浮いた。
「うわぁっ!」
準備を終えた騎士たちが、私の叫び声に反応して一斉にこちらを振り向いた。
聖女服を着ているのにヴェールをつけていないので「あれは誰だ?」とほとんどの者が疑問に思っているのを感じた。
クオン様は私を地面にそっと下ろすと、不機嫌そうな声で言った。
「……まったく。人がおとなしく消えてやろうと思っていれば」
「それは残念でしたね」
そうはいくものですか。
「そんなに私が恋しかったのか?サラ」
クオン様は知らない。
なぜ私がここに居るのか、いや、居られるのかを。
私はまっすぐに彼の目を見て、これまでで一番の笑顔を向ける。
「はい。そうです」
「は?」
「会いたくて会いたくて、仕方なかったから来ちゃいました」
お腹の前で握りしめている両手は小刻みに震えているし、断られたらどうしようとドキドキでいっぱいだった。
けれど今言わなければ、きっと後悔する。
「私も一緒にウィストア領へ行きます」
それはお願いではなく、明確な意志。
クオン様は信じられないと言った風に目を瞠った。
「聖女が王都を出たという記録はない」
「はい。正確には、王族の直轄領を出たことがないそうです。キールさんが調べてくれました」
勝手に侍従を動かしてしまってごめんなさいね?でも彼は、積極的に調べてくれたのだ。
「ウィストア領なら、直轄領ですから前例がなくても大丈夫です」
「しかし」
この期に及んで、まだ私を置いていこうとするクオン様。
だから私は、自分の気持ちをはっきり伝えることにする。
「クオン様。私、気づいちゃったんです。私……私……」
「サラ……!」
「辺境のウィストア領なら、野草が食べ放題だってことに!!!!」
思いのほか大きな声が出て、周囲の騎士らもしんと静まり返る。
ん?クオン様が死んだ魚の目で停止していた。
なぜだ。
しかも俯いて、小刻みに震えはじめた。
なんだか怒っているような。なんで?
そのきれいな顔を覗き込み、手をひらひら振ってみる。
「クオン様~?大丈夫ですか?あのですね、まだお話には続きがあって」
ダメだな。
聞いちゃいない。
野草が食べられるということに気づいて、でも、例え野草が食べられなくてもクオン様のそばにいたいと思った。
それを伝えたかったのだけれど……
これは行きながら話そうか。
そろそろ出発時間が迫っているはず。
侍従のキールさんが走ってきたので、私はクオン様を彼に預けようと思った。それがいい。
が、そのとき。急に覚醒したクオン様が一言もなく私を抱きかかえた。
「きゃあっ!」
「もういいっ!サラの人生は私がもらう!あれこれ気を回して遠慮して、置いていこうなんて私がバカだった!こんな女はどこでも幸せになるに違いない!ウィストア領だって地獄だってどこでもいいはずだ!」
そんなバカな。
さすがに地獄はごめんである。
「クオン様、今さらそんな」
「今さらもない!サラがついて来るつもりなら、いっそ駆け落ちでも何でもすればいいんだ!何が教会だ!何がワンズリー公爵家だ!面倒なことは兄上に任せてしまえ!サラは私がもらっていく!」
あ、クオン様壊れたな。
キールさんも額を押さえて困っていた。
色々と吹っ切れてしまったクオン様は、私を抱えてズンズンと指揮官の馬がいる方向へと進んでいく。
このまま本当に騎乗して、出立するつもりだ。
そろそろ事情を説明しなくては。
「あの~、クオン様」
「異論は受け付けない」
はい、異論なんてない。
けれど、伝えないといけないことがあるんですよ!
「実はもう、私はクオン様の妃として婚姻手続きを済ませてしまっているんです」
「………………は?」
彼はピタリと足を止めた。
まぁそうなるよね。
びっくりだよね。
私は彼の首元に手を回し、じぃっとその黒い瞳を見つめて言った。
「ワンズリーのお父様に頼んで、クオン様の妃にねじ込んでもらいました」
そう。私はお父様におねだりしたのだ。
クオン様と婚姻を結び、ウィストア領へ一緒に行きたいと。
陛下と王太子殿下は二つ返事で了承してくれて、実兄の暴走以降はすっかり引きこもって落ち込んでしまった王妃様も快諾してくれた。
そしてなんと、ワンズリー公爵家のお母様は、私たちよりも先にウィストア領へ移住している。
13歳になる弟は寄宿学校へ入っているので、長期休暇にしか会えないらしく、お母様が王都にいなくてもいいそうで、「一緒に過ごせなかった時間を埋めたい」と私のそばで暮らすことを決意したのだ。
「ふふっ、びっくりしました?」
クオン様はぽかんとしていて、いまいち頭が追い付いていないみたいだった。
「ごめんなさい、事後報告で。でも許してくれますよね?クオン様は私のこと大好きだから」
「なっ!?」
実はクオン様が手紙の一通もくれない間、王太子殿下からお手紙をもらったのだ。
そこには、どれほどクオン様が私を好きかがつらつらと書かれていて、この会えないひと月の間にどれほど挙動不審だったか知ってしまった。
うわ言でサラと呼んでいたり、聖女を見かけると慌てて隠れてはすぐに私かどうか確認したり。
かっこいいクールな王子様像は崩壊し、かわいい人だという認識に変わっている。
あぁ、それに「どうか弟に愛想をつかさないでもらいたい」と書かれてもいた。
極めつけは、手紙を締めくくるように書かれていた一言。
『君が誘拐されたときに食べた野草スープは、ウィストア領の郷土料理だよ』
私の身体を稲妻が突き抜けた。
クオン様と結婚したいと、秒で返事を書いた。
くっ……!
王太子殿下、おそるべし!
そういうわけで、私は遠慮なくこの愛情表現が不器用な王子様をいただくことにしたのだった。
「私がクオン様についていくのは、当然のことです。もう夫婦なんですから」
「サラ……」
「また丘に連れて行ってくれるっていうのは叶いませんが、ウィストア領までの道のりを散歩だと思えばがんばれます。何より、好きな人と一緒だとどこでも生きていけると思うんです」
へらりと笑ってみせると、クオン様がぐっと息を詰まらせた。
「私、クオン様が好きなんです!一生、そばに置いてください!」
二人でいられるなら、きっと楽しい。
一世一代の告白の行方は、目の前の王子様が握っていた。
「後悔、しないな?」
低くて、穏やかな声。私を見つめる目は優しかった。私の目には、じわりと涙がにじむ。
「は」
返事は言わせてもらえなかった。
唇が重なって、びっくりして息も吸えない。
ファーストキスなのにこんな公衆の面前で!?
「「「殿下ー!!おめでとうございまーす!!」」」
騎士たちが冷やかす声や指笛の音が耳に入り、恥ずかしすぎて死にそうになった。
「んー!!んんー!!」
涙目で睨むと、クオン様はニッと口角を上げて「仕返しだ」と笑う。
そして耳元で「愛している」と囁かれると、私はもう自力で立てないほど動揺してしまった。
「行くぞ」
私にこんなことをしておきながら、涼しい顔で歩いていくクオン様。
彼は私を自分の馬に乗せ、颯爽と跨って出発を告げる。
響き渡る太鼓や楽器の音。
騎士たちの行進に、民衆はワァッと湧きたった。
クオン様の馬に横座りしている私は、そっと尋ねる。
「ここに私がいていいの……?」
彼はまっすぐ前を見たまま言った。
「結婚の披露目も兼ねている」
「あ、そうですか」
「これだけ民衆の前にサラを出してしまえば、もう誰が何と言おうが君は私の妃だ」
切り替えが早い!
さっきまで茫然としていたくせに!
手綱を片手で掴み、もう片方の手は私の肩をしっかりと抱いている。
「サラ」
「何でしょう?」
「絶対に幸せにする」
見上げると、クオン様はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
こめかみにキスをされ、わぁっと盛り上がる民衆を前に私は赤面する。
後でキールさんに聞いたところによると、これは左遷ではありません、円満な出発ですよという演出だったそうな。いいように利用されてしまった……!
けれど、そんなことはもういいの。
こうして私は、大好きな王子様と大好きな野草食べ放題な生活を手に入れたのだから。