部下にいじられる王子様《クオンside》
いつからだろうか、あの娘を目で追っていたのは。
年頃の聖女は五人ほど。けれど、サラのことはすぐにわかった。
深い青のヴェールを被っていようと、後ろ姿しか見えなかろうと。式典や祝宴でしか姿を見せないのに、なぜか妙に気になる存在になっていた。
自由奔放。
常に見張られ、閉じ込められた環境で育ったわりに、サラは明るい。
式典の合間に言葉を交わせば、物おじせず言いたいことを述べる。
『クオン様、お兄様のことが大好きなんですね~』
派閥の存在を知らぬわけでもないのに、確信を持ってそんなことをサラは言った。少し話しただけのサラにもわかるのに、なぜ派閥の人間には伝わらない?
『私、式典の後はお散歩に行きたいんです。クオン様も退屈でしょう?早く帰りたいですよね』
こちらの機嫌を取ろうとしないのは、誰にも大して興味がないからだとすぐにわかった。
どこへ行っても構われて、気を遣わせてしまう王族という生まれだけに、サラと過ごしていると心が軽くなるようだった。
気安い態度は皆に平等。
かと思いきや、自分に対して心を砕かぬ人間には警戒心が強い。
からかってみると目を伏せて不満げなオーラで語る。
顔も見えない相手だが、隣にいると居心地がよく思えて。
もっとも、サラの方は私のことなど「職業・王子」くらいにしか認識していないということには気づいていた。
それでいいと思っていた。
が、年始の祝賀会の後、兄上を探していてふらりと立ち寄った休憩室で心が動いてしまった。
サラがヴェールを外して素顔を晒したまま、堂々と茶を飲んでいたのだ。
聖女の衣装ではなくドレスを着ていて、どこかのご令嬢にしか見えない。
周囲にいた幾人もの男たちも、誰もこれが聖女だとは気づいていなかった。
世話役は間違いなく、いつもサラと一緒にいる女性なのに。
まさかこんなところで、堂々とヴェールを外すなんて誰が思う?
私はそっと近づき、彼女の前に立った。
ぎくりとしたサラは、気まずそうに「こんばんは」と言った。その寄る辺ない雰囲気は儚げで、男なら抱き寄せたくなる空気を放っている。
私はサラを人目に晒したくなくて、わざとからかった。見た目と性格が違いすぎる、と。
彼女は私の身勝手な嫉妬に気づかず、嫌味を言われたのだと思ってすぐにヴェールを着用した。
そこがまたかわいらしく思え、クックッと笑いを堪えていたらそっぽを向かれてしまったのだが。
問題はこの後だった。
侍従のキールが、私の様子を父上や兄上に報告してしまっていた。「想い人ができたらしい」と。
兄上はすぐにからかいにやってきて、「サラを妃にしないのか」と尋ねてきた。
サラは今年20歳になる。私は、聖女が20歳になったら結婚するという法の存在を知らなかったわけではない。
かといって、自分が娶るということになれば、争いの火種になるとも思っていた。
兄上はおおげさに困った顔をしていった。
『も~。聖女を妃にして、ここぞとばかりに謀反を起こすくらいの気概がなくてどうするの?せっかく正妃の子に産まれたのに』
『謀反を期待されても困ります』
兄上は、私の性格がわかっているからこのような冗談が言える。
無益な争い事は好まない。
騎士団で剣をふるってはいるが、できれば穏便に、面倒なことは避けて暮らしたい。
ときには冷酷な決定をしなければならない、王には絶対的に向かないのだ。
派閥の中には、私のことを兄上より優秀だと評価する者がいる。でもそれは、兄上という才ある者の陰に隠れた状態で、自由に動けてこその功績を結果だけ見てなされた評価だ。己の力量は、己が一番知っている。
私は王の器じゃない。
『クオン。生きてる限り、嫌なことやつらいことはあるんだよ。だからこそ、妃くらい好きに選べば?』
そういう兄上は、王太子として政略結婚をした。
矛盾している。
『結局、甘いんですね。兄上は』
『あぁ、かわいい弟のことだもの』
私はサラとどうこうなるつもりはなかった。
例え、兄上が許してくれたとしても。
しかし、父上までが親バカを発揮してしまったのは残念としか言いようがない。
母上や兄上の言葉を真に受けて、「クオンにサラとの結婚を」と見合いの場を作ってしまった。
顔合わせにやってきたサラには、限界まで理性で壁を作り上げて対応した。
破談にしよう、と言うと笑顔で受け入れられたのは複雑だったが、これでいいと思うのも本心で。
見栄と虚勢で、私は言った。
『父上は余計なことをしてくれたものだな」
『はい、そうですね』
あまりにあっさり肯定されて、椅子から転げ落ちるかと思った。
そこは王族として培ってきた意地で、無を貫き通したが。
無邪気なサラの残虐性は留まるところ知らない。
『互いに顔を合わせて話してみた結果、性格が合わないということで破談にしようか』
自分が彼女に惹かれているなんて、絶対に知られたくない。
早くカタをつけなくてはという焦りから、最初から拒絶の意を示す。
『ご配慮くださりありがとうございます』
これで完全に戦意喪失した私は、いい意味でも悪い意味でも肩の力が抜けてしまった。
サラ、私に興味なさすぎだろう。
けれど、丘へ誘ったらとてもうれしそうに笑ってくれた。
かわいいと思った。絶対にそんなことは言えないが。
惚れても惚れられても困る、そんな奇妙な顔合わせは思いのほか楽しい時間で、私はすっかり油断していた。
数日後、私とサラが婚約するかもしれないという噂を耳にしたワンズリー公爵が、サラは自分の娘だと父上に直訴したことですべてが狂い始めた。
ワンズリー公爵も年始の祝宴でサラの素顔を見て、娘だと確信したという。
内密に事を進める予定だったのだろうに、わずか三か月で第二王子との婚約話が浮上して、国王陛下に話をせざるを得なくなったのだ。
これには、次男の想いを遂げさせてやりたいと動いた国王もさすがに困っていた。
私はこれ以上、サラに会うのは危険だと思った。
そばにいれば声を聞きたくなり、触れたくなり、ずっとそばに置きたくなる。
会っている間はずっと、理性で感情のフタをして、我慢できなくなって箍が外れ、その二つを繰り返す。意志薄弱な自分を悔いた。
誘拐されたサラを助け出したとき、無事だとわかっていても気持ちが抑えられなかった。
なぜ自分は第二王子だったのだろう、嘆きは乾いた笑みに変わる。
サラのため、心を殺して告げた言葉は自分に突き刺さった。
『どうか良き相手と巡り合えることを、祈る』
……かっこつけすぎだろう!!
這いつくばって頼めばよかったんだ、私と一緒に来てくださいと!!
誰があんなこと言った!?
私だ!!
愚か者め!!
今さら後悔しても遅い。
サラには、あの日別れて以来会っていない。もうひと月ほど経過した。
騎士団にあった部屋もすっかり片付けられて、私は明日、ウィストア領へとたつ。
キールは未だに「サラを連れていかないのか」と目で訴えかけてくるのでうっとおしい。
連れていけるものなら、とうにそうしている。
いくらウィストア領へ移ったとしても、しばらくは情勢が落ち着かないだろうし近隣との小競り合いで出兵することもある。妻に構う余裕はないだろう。
それに私が攫ってしまえば、サラは貴族社会の面倒ごとに飛び込むことになる。つらい思いはさせたくない。
サラには自由に好きなことをして、笑っていてほしい。
教会でずっと、外出もままならない暮らしをしてきたんだ。彼女には心から大切にしてくれる男と一緒になって、平穏で温かい日々を送ってもらいたい。
ワンズリー公爵が、娘であるサラのために良縁をもぎ取ってくるのを願う気持ちは本当だ。
ただ、その姿を目の当たりにして祝福してやれるほど私は器の大きな男でないから、こうして作り笑いを貼り付けて王都を後にするのだが……。
「クオン様、準備ができました」
「あぁ」
最後くらい、サラに挨拶をしに教会へ行けばよかったか。
まもなく、明日から始まる長旅についての最終確認が始まるのでもうそれは叶わない。
「「「……………」」」
周囲からの視線が痛い。
部下が全員、「サラに会いに行かないのか」と目で訴えかけてくる。
突き刺さる視線を潜り抜け、私は無言で会議場へと向かった。