他人の評価。
こんにちは。
これを読んでいるという事は余程の物好きか、間違えたか、まぁどちらかかと思うけど、良ければまた駄文に付き合ってくれると嬉しい。
さて、前回話した通り、心療内科に行った。そこで話を聞いて貰って薬を貰った訳だが。それで貰ったのが長いカタカナ名の「不安を抑制する」らしい2種類の小さな錠剤だ。正直……こんな小さな頼りない薬で心がマシになるとは思えない。が、それでも何も無いよりかは良いだろう。
医師によると不安になった時に飲め、との事だが試しに1つ飲んでみようか。自分は人生において常に慢性的な不安感があるのでいつ飲んでも大丈夫だろう。袋から取り出し、口に放りこんで温水で流した。
それから数時間後、現在に至るが、成程、余り効いた気がしない。対象が不安という腹痛や頭痛のような顕在的な症状では無いからなのか、単に体に合わなかったのかは分からない。効いてると言われれば効いてると思うし、逆も然り。成程、医師が「お守り」と言って処方した意味を理解した。精神の薬なんて所詮気休めというか、プラシーボ効果を利用したものなのかもしれない。
取り敢えず心療内科には来週も通うとして、私は多少がっかりしてスマホを手を取った。前話のアクセス解析を確認する為だ。アクセス数は15。世界は広いな。こんな価値の見い出せないエッセイ?にすら多少は人に読まれるのか。人気作品に比べると塵のような数ではあるが、ただ1人でも読者が居る以上、この作品は続けていこうと思う。
ところで、この作品は毎日更新……とはいかずとも、毎週更新ぐらいは頑張ろうと思う。文章を書く練習をしないといけない。高校生の頃に患った無気力症候群の代償は重いもので、長らく放置した筆と頭を今更いきなり動かした所で軋んだ音が鳴るだけなのだ。リハビリ……という表現が適正か。書きたい事自体は山程ある。だが書いた後に消したくならないものとか、読者に読ませてと良いもの等を厳選していくとなると、残りが惨憺たる数に減ってしまう。叩かれずに満足のいく文章を書くのは本当に難しい。
他人の作品を読んでいると、出来不出来に関係無くどの作者も自信満々に書いていて、まるで自分の作品は面白い、と公言しているようにすら感じる。そうでなくとも楽しそうに書いている事には間違いない。比べて自分はどうか。文芸学科に進んでからと言うものの、周りに負けないようにだとか、周りに評価されるようなだとか、すっかり「周りの評価」に固執してしまっている。こんな有様ではそれこそなろう系のようなテンプレ小説は書けたとしても、個性の光る作品等書けるはずがない。自分が文章の道を行こうと決意したきっかけは自分が自分として生きている証拠、つまり個性を出したかったからではないのか。社会の歯車と言われる個性を抑圧された仕事をしたくなかったからでは無いのか。
そうやって自分を叱責する程に陰鬱な気分になる。兎にも角にも他人の目は一旦置いておいて、楽しく書く、ただそれを目標に書いていく事を善処する。
結局何が良いたいのかよく分からない話になってしまった。
次話ではもう少し整合性の取れた文章を心掛けよう。
ここまで読んで頂きありがとうございます。