襲撃、その後
【第六話】
ふ、とどこからか聞こえてくるピアノを鳴らす鍵盤の音に、正義は足を止め、少しずつ早足になりながら音源を探した。それはスピーカーから聞こえてくるような機械音ではなく、初めて聞く音、生のピアノ音だったからだ。こんなところで一体だれが? そう思いながら音の鳴るほうへと徐々に近づいている、すれ違う人々は誰もその音が聞こえていないかのように自分達の仕事に夢中で、やがて誰もいないロビーへ出る二階へとたどり着いた。
聞こえていたのは確かにピアノ伴奏であった、それも生のピアノに生の人間、弾いている人間は、特課の秘書であるユリである。一階の待合室には相変わらず絵画と、何故かこの場には似つかわしくないグランドピアノがぽつりと置かれている。初めはただの飾りだろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ユリの傍には誰も見えない。流れてくるのは、リストの愛の夢第3番だ。勿論、正義がその曲名もリストも知るはずもなく、ただその音と、見つめる先にあったのが想像通りの人間であったことに胸を高鳴らせていた。とろりと溶けそうなリズム、軽やかな音、正義はエスカレーターを降り、静かに静かに、彼女からすれば向かって斜め右背後から近づいていった。驚かせるつもりは毛頭ない、ただその姿を間近で眺めていたい、ただそれだけだと正義は一定の距離を保ち、ピアノに近寄ったところで足を止めた。
そうして音が鳴りやむと、正義は子供のようにその場で一人、拍手を送ってみせた。顔を上げたユリは姿勢よく、その場に座っている。
「お上手です。ピアノ、弾けるんですね」
「……ええ、少し。合奇さんは、音楽のほうは?」
ユリは近づいてくる足音に一瞬指を止めると、すぐにうっそうと目を細めながら手を下ろす。そうして振り返ってふと和らいだ顔を見せると正義の顔を見て言った。正義は肩を竦めながら笑う。合奇さん、名前を憶えていてくれたのかと浮足立つ。
「授業以外で習ったことないですよ、あんまり音楽とか美術ってよくわからないし……それに今は技術推進時代じゃないですか」
「そうですね、芸術減少化ですものね」
「いや、あ、でも、さっきのはすごく良かったです。音楽やってない俺にもわかるっていうか……その、なんていうか、綺麗で……」
「有難うございます」
拙い正義のフォローにも動じず、ユリはにっこりと微笑んだ、白い手袋の指先がひとつひとつ鍵盤をなぞる。手袋をしたユリがそっと蓋を閉じると、辺りは急に温度が下がったように思えた。人の声ひとつすらない待合室は、正義はいつになっても慣れないと辺りを見回す。円盤の時計はまだ休憩時間でないことを表しているが、こんなにも静かなものなのだろうかと。すると、普段は音楽など聴かない正義は無性に先ほどの伴奏が恋しくなった。
「もう弾かないんですか?」
「……敬語、苦手なんですね」
「え?」
「いいえ。ピアノは少し指の体操をしているだけなので。いつもは課長が横で聴いているのですけれど、今日は別件で用事がおありのようなので」
「毎朝、ここで?」
「何処でも」
「あの、ひとついいですか?」
「どうぞ」
正義はごくりと息を呑んで、そうっと聞いた。
「芹沢さんとユリさんって、そういう関係……とかじゃ」
「私と課長?」
「ええと、つまり……」
「……まさか、……ふふ、上司と部下、それだけです」
「恋人ってことは」
「いいえ」
それなら――、言いかけた正義の背中を蹴るように大きな声が遠くから飛んできた。「合奇ぃ! なに油売ってんだぁ!」五十棲の声だ、今日は五十棲がペアの日であったことを、正義はユリと話している間にすっかり忘れていた。
「じゃあ、その、ええと、また!」
「ではまた」
去ろうとする自分の後ろ姿を見送り、微笑むその姿は相変わらず美しい。正義はほんの僅かだが「また」という言葉に心を跳ねさせながら五十棲の元へ駆け寄っていく。ユリはその姿が待合室から消えるまで、ピアノの前に座っていた。彼女の胸元のレースが、ふわりと入口から入ってくる夏の風にさらされた。
「んじゃ、先日のおさらいといくか」
今日は三鷹が不在だということで、最年長の五十棲がD班の指揮を執っていた。他の班もまたそれぞれの席に座りながら、部屋の壁正面に映し出されるスクリーンと自分達の持ち合わせる端末内から現れるデータを見比べながら清聴した。
「先日のケルヴィンタワー乗っ取り事件、上手い事中まで潜入して、一般人に怪我人なく避難させたことによって、うちは上から良い評価を貰った。これはまあお膳立てだ」
「が、ここの市長である赤間朔也が殺された。死因は銃殺、死亡時刻とこっちの潜入捜査陣から見て、死んだのはまず当日、乙藤と合奇が突入する前だということが分かった。ちなみに赤間を殺したのは、乗っ取り犯主犯格であるエヴァンズ本人の銃痕であるのが一致」
正面のスクリーンに、亡くなった赤間の生前の写真とエヴァンズの写真が写り込む。次にそれらが小さくなり、遺体となった赤間の画像とエヴァンズが所持していた銃の画像が現れた。
「エヴァンズは突入した視庁官らと揉めた際に暴発、そしてやむを得ず交戦の末、捕獲ならず死亡。これがマスコミ用の表向きに用意された終わりだ」
表向き、そう、あの日あの時正義は自分の目で見ていた。エヴァンズを撃ったのは自分でもましてや乙藤でもないことを。だがそれについて言及しないあたり、やはりその点を突くのは不味いことなのだと、前回乙藤に言われた言葉を思い返す。
「ケルヴィンタワー乗っ取り犯その後の話だが、その前にタワー乗っ取りの計画について改めて確認しておくぞ」
事前に入っていた計画データとその後の取り調べや調査から分かった範囲をそれぞれの端末に追加していくと、スクリーンに映ったうちの立体的なケルヴィンタワーの一部が色を変えた。
「まずは実行犯リーダー格であるエヴァンズ・Dだが、都外の難民区域出身であることが判明。副リーダーであるジェニー・Kも同じく、実行犯のほぼ八割が都外出身。残り二割についてだが、都内部出身だが――繋がりはここだ、知ってるやつは知ってると思うがそれぞれが着ていた防弾チョッキに施されているシンボルマーク、これが反六感主義者が主張するものと一致。仮にこの計画に加担していたテロリスト集団を『組織集団OS』とする。そして都内部出身のOSはケルヴィンタワー内にある企業の一員であることも判明。となりゃタワー内の詳細について詳しくてもおかしくはねぇわな。こいつらは生存が確認されているが……喋れない、厄介な事にな、捕まると踏んだ時に薬でも飲んだんだろう。死んじゃいねぇが生きてもいねぇ」
五十棲の声が聞こえると音声で動くよう作られている音声認識で動くプロジェクターが、ぽんぽんとより的確に話題の中心となる写真や図面をアップにしてスクリーンへと表示する。エヴァンズ・D。合奇があの日目にした男の顔が映っている、あの日は顔の一つ一つなど見る余裕も無かったが、肌は浅黒く中東系だがやや深い目の彫りといい、短く切られた髪といい、客観的に見て難民とは一目では分からぬ良い男だ。しかしあの時いたエヴァンズは写真よりやや痩せこけ、口髭が生え頬骨が少し浮き出ていたのを覚えている。副リーダーとして出された写真のジェニー・Kはその下の階で死んでいたうちの一人に、どことなく見覚えがあった。黒い髪にアジア系の顔つき、これといって特別な印象はないものの他のテロ一員と比べ、やけに体格がよく、周りに落ちていた、所持品であろう武具も多かった。
そして出されたのが、全員が着ていたあの防弾チョッキ、そして胸元にある青色の謎めいたマーク。一体何を象徴しようとしているのか未だに不明であるのが悔しくてならないが、五十棲はこのマークがあるものをいちテロリスト集団とした。ということは、つまり前回のミスアミラ事件とも繋がりがあるのではないだろうか。
「あの、その生存者って今はどこに」
「挙手!」
「は、はい!」
「よし、合奇」
「生存者にまだ意識があるならPDが使えます。何か手掛かりがつかめるかもしれません」
五十棲はPDのことなどすっかり忘れていたかのように、とんとんと指先で自分の顎を叩きながら考え込み、そうだなと呟いた。
「ならそっちは後で合奇と鈴久保に任せる」
「はい」
隣にいた鈴久保は、返事のあとちらりと正義を見てそれからまた前を向いた。
「計画は突発的なものじゃない、あくまでも以前から取り組まれていた計画的テロだ。難民であるOSがどうやって武器を手に入れたか」
「密輸ッスか」
斜め後ろで田宮が言った。
「の可能性も無きにしも非ずだが、取り調べが厳しい昨今だ。今回はそうひと縄ではいかないだろう」
「外交行嚢という線はどうでしょう」
と飛び出したのは鈴久保の口だった。皆が一斉にざわつき、五十住がほぉと関心したように続きを引き出す。
「計画としては? お前ならどうする?」
「まず数少ない都内の大使館にOSのスパイを潜り込ませます。そのうえで、荷物の中身を今回の武具に改ざん、後に計画へと移せば問題ありません」
「そりゃいい手だ。偶然にも、その二割の都内部役員の中に大使館役員が一人いる。ちなみにどの大使館か分かるか?」
「……中国、でしょうか」
「そうだ」
その会話に、その場全員が凍り付いた空気の中、ごくりと唾を飲んだ。中国といえば、先の第三次、第四次世界大戦の火種となった二者のうちの一つではないか。そしてこの国を戦火で焼き尽くしたうちの一つでもある。今でこそ大使館があるとはいえ、その立場はいつどこで決壊してもおかしくはないほど危うい立場にある、一歩間違えれば今度はこの国と衝突してもおかしくはない……というのにあえてそこを使おうというのだから、OSは一体何を考えているのだ。皆が同じ事を思っただろう。
「鈴久保、ちなみになんで中国だと思った?」
「それは……この国に一番近く、危うい存在だからです。そして難民たちからすれば自国でもない、むしろたらい回しにされてきた国、強敵だと思ったからです」
「成る程。いや、まあ理由はなんでもいい。合ってりゃな」
だがその正解は、喜ばしくない当たりだったというわけだ。五十棲は三鷹のいない状況に立たされ、ふぅと一息つく。いくらダイロクといえど国からの許容範囲というものがある、さてどこまで動けばいいものか。そんな時だった、班の一番後ろの席で肘をついて座っていた乙藤が言い出したのは。
「とりあえず大使館のことは他の課との合同捜査も兼ねなきゃならない。一旦保留で課長に報告、そして俺らはOSについての再調査、足取りと計画のもっと細かな情報収集。新人は生存者へのPD使用ってことだろう」
「お……おう、まあ、そういうことだ。OSについては定まってない情報は後回し、まずは足のつくところからやってみろ。いいな」
はい、と部屋にいる六課全員の声が部屋に響き渡った。号令ではないとはいえ、前へ出てその一斉の声を聴くと耳がびりびりとする、と五十棲が部屋の明かりをつけてスクリーンを消す。既に各自が端末へ指示された通りの場所を向かい、さっさと捜査を進めているところだ。またしても正義が疑問を投げかけてくる。
「結局のところ……OSの目的はなんだったんでしょうか」
「あ? そりゃあ前にも言っただろうが、物資や経済的……」
「もちろん覚えてます。都内部で占領していたものを外へ回せっていうんでしょう。けど、それだとやっていることと割に合わないじゃないですか」
「……それを、今から、お前が取り調べに行くんだろうがっ」
一定の間があり、ごつんっと軽く握られた拳が正義の頭に弾かれた。
取調室は一階、正面向かって右手の廊下奥にいくつか並んでいた。反対側にある左の廊下奥には食堂の入口があるが、それとは対照的に、ただでさえ静かな館内が取調室前の廊下はいっそう冷ややかに正義には感じられた。
どうということはない、全ての取調室の入口横にはID認証用のロック画面と緑色のランプが付いている。中に人が入った場合はそこが検知され、赤く光る仕組みである。その横にも別のランプがついていない部屋があるが、取り調べの様子をマジックミラー越しに見るための部屋であり、生物学的観点からしても人間の有無により、中にいる容疑者の行動は違うというのだから、旧警察庁から続く古くからのしきたりとはいえ、正義は少し不思議にも思えた。だからとはいえそれを口にすることはない、何せ今回は何故か鈴久保の機嫌が良くないからである。二階にあるダイロクから一階へと降りていく間も、二人の間には会話らしい会話はなかった。
「PDを扱う取り調べは後で。今から行くのは生存者でケルヴィンタワー内にあるベンチャー企業の一社員、名前は『高橋ニコラ』。とりあえず、新人のあんたにうってつけってわけで当てられたと思って、きちんと基礎を行えばいいから。特別聞き出せそうなものはなさそうだけど、油断しないように」
ピピ、と音がして鈴久保のIDカードがかざされ、認証される。続いて正義が入ろうとするとビーッと音がして、鈴久保の呆れた顔が振り向く。カードを持とうとも続いて人が入るということは出来ないらしい、慌てて胸元ポケットに入れていたIDカードを同じようにかざし、ピピ、という音と共に安心して正義はようやく中へと入ることができた。取調室までは二重扉となっており、もう一度カードをかざす必要があった。容疑者逃亡への被害防止対策だろう。
中へ入ると、一つの古い事務机を前に奥側へ、こちらを向いて一人の男性が座っており、鈴久保と正義が入ると安心というよりは、まだ何か用でも?というような溜息をついた。
「失礼します。高橋ニコラさんですね?」
「はい」
「ケルヴィンタワー襲撃があった際、どちらにおられましたか?」
「二階の……同僚と一緒に人質として集められてました。やり残した仕事があったもので……」
しかし視庁内ということもあってか、相手のその態度や言葉に失礼は見当たらない。鈴久保の質問にも、きちんと答えている。机に手を突きながら質問をしていた鈴久保が、次に後ろで突っ立っていた正義を顎で前へ出るよう示唆し、正義は自分が前の席へ座って取り調べをしろといっているのだと、鈴久保の目線で気づいた。
「……高橋さん、今から取り調べを始めますが、あなたには黙秘権がありますので……」
「大丈夫ですわかってますよ、自分の不利になるようなことは言わなくてもいいっていうんでしょう」
そう、黙秘権は未だにこの国では視庁制度が変わっても保たれている権利の一つである。物分かりの良い相手だと正義は思った。
「よくご存じですね」
「そりゃあ、暇なときは色んなドラマを見てますから」
「それはいいですね、僕はあまり配信物を見ないので……最近のおすすめか何かはありますか?」
「刑事モノなら、アメリカのCSIシリーズなんかいいですね。ひと昔前のものですけど、種類も豊富で」
正義は椅子に座りながら、にこやかに話を続けた。
「そうですか、では今度暇があった時にでも見てみます。その中に今回のようなテロや襲撃の事件などはありましたか?」
「そうですね……あったと思います」
「記憶には自信がないと?」
「ああ……いいえ、その……先日の事件と、ドラマがごちゃ混ぜになって……」
取り調べされている高橋はこめかみを抑えて、うーんと首を傾ける。正義は手元にあるファイリングされたデータの中から、一つをボタンでスクリーンに出して見せた。
「では、話を変えましょう。この方に見覚えはありますか?」
「ええ、勿論。赤間市長でしょう。良い人でしたよ、本当に、私達の住む市内で彼を知らない者はいないでしょう……良い人だったのに……あんなことになって……」
「良い人というと、具体的にどんなことをなさっていたんでしょう?」
「そうですね、まず都内部での食糧保持率は勿論、市の中で経済が回っていたと言っても過言ありません。ありとあらゆる、市にプラスになる事象を取り入れていってくれました」
「それは……市民としては良い限りですね」
「ええ、なので……今回の事件は本当に痛手ですね……」
「都外部から来ていた市民らとの交流は、良い関係だったんですか?」
「それが、ここ最近はあまり良くなかったみたいですね。私は直接関わった事が無いのでわかりませんが……。全く、やっぱり、これだから都外部の人間は嫌になりますよ……特に国外の連中はね……」
最後に取り調べを鈴久保が簡単に締めることで、高橋への取り調べは終わった。何の問題もなく騒動もない、正義へあてるには本当に基礎中の基礎といった部分だ。あっけないほどと思ったが、鈴久保が次に向かい側にある一室を差しながら、端末のデータ一部を見て眉間に皺を寄せた。
「今度は?」
「生存したOSの一人。データには一階で見張りをしていたうちの一人で、かつ都外部出身の国民だってあるけど」
「それが、何か問題でもあった?」
「行ったらわかる、多分ね」
意味深な言葉を含ませ、何もおしえてくれない幼馴染に対し、少しぐらい事前の注意警報でも鳴らしてくれても良かったのではと、後々正義は思うのだった。
「ポール・ポーコニックね。今回のケルヴィンタワー襲撃の一員」
「……」
「データによるとあなたは今まで通算四回、都内部へ出入りしている。都内部、中央区の区長であり市長でもある、赤間との話し合いへの参加。合ってるわね?」
「……。」
ポールは、容疑者は色白の肌で腕を組んでいる。髪は金髪で体格は正義より一回りあるように思える、鈴久保が先ほどとは違い強い口調であった理由もわかるが、彼はだんまりを決め込んでいた。
「あなた達を動かしていたリーダーは死んだ。いい? もう誰にも従う必要はないのよ」
前に座っているのが正義とはいえ、鈴久保が次々と端末機器から出てくる死体となった彼の仲間達の写真を見せる。どかすことはできないというのに、それは流石に癪に障ったのか、ポールはデータを散らすようにスクリーンの中を手で遮った。
「やめろ」
しかし手の動きも虚しく、フォンと軽い音を立ててスクリーンが乱れるだけで、映像は消えることは無い。ポールは初めて怒りを露わにしたように、畜生と呟いて机を握った拳でどんと叩いた。
「従うだって? 何もわかっちゃいないな。俺たちは俺たちの意志で動いたまでだ。何も、エヴァンズが言うことに従って動いてただけじゃない」
「つまり、エヴァンズはリーダーではないと?」
「答える義務はないね。あんたらで捜査すりゃいいだろう。視庁は最新式の『おもちゃ』とやらを手に入れたんだって、聞いたぜ」
それまで口を閉ざしていたポールは、半笑いで正義のほうを目で追った。PDのことだろう、と正義はすぐに分かった。その後も鈴久保が、赤間についてや都外部と内部について、現在の暮らしについてなど様々な視点から問いかけたが相手は一向に口を開くことなく、黙秘を続けた。先ほどぺらぺらと喋ってくれた都内部の人間とは真逆だ。だが、最後の最後に鈴久保がエヴァンズの死んだ後の写真を見せた瞬間だった。ポールはばん、と思いきり机に両手をついてその場に立ち上がり、目つきを変えて真正面にいた鈴久保へ顔を近づけて睨みつけた。その様子に、正義は横にいたのだが自然と体を引いてしまった。
「あんたらは都内部の人間しか見ていない。外にだって人がいるんだ」
鈴久保はもうエヴァンズの遺体のデータをその場から消していた、代わりに正義が正面へと回り込み、鈴久保と席を交代する。何度も何度も舌打ちをするのは彼の癖なのか、押さえられる前に自分で椅子に座り直すと、ポールはチッチチッチと、横を向きながら頭をかいた。そんな彼へと正義が向かって告げる。
「外に人がいるなんてわかっているさ、人間は都内部だけじゃ……」
「てめぇに何がわかる?! ただ蓄えるだけの豚どもめ! 視庁なんて言ったって、所詮、難民やエプコット外の人間の扱いは内部とはまるきり別じゃないか!」
今度こそ、今にも正義に掴みかかりそうな勢いだった、だが僅かな理性がポールの憤怒で憤った体を、机に拳を叩きつけるのみで留めていた。
「こっちは毎日毎日、一日一日を生き伸びるために与えられたものを消費するしかできないってのに、内部の人間はどうだ。与えられた衣食住、様々な娯楽を蓄えてばかりでロクに外の経済へ回してや来ないじゃないか!」
鈴久保は正義の後ろで腕を組み、涼し気な顔でポールを眺めている。流石に何年も視庁にいるだけはある、これどころではない修羅場など何度も見て来たことだろう。だが正義は初めて感じる危機感に、背筋を伸ばしたままただただ拳を握るまでだった。取調室の隅には小さな監視カメラ、そして壁内に埋め込まれた自動調書機で自動的に供述が全てデータとして残されている。
「それで、中央を襲撃した理由はそれだけか」
「それだけ? そうだな、貯めてばかりの愚か者が、それ相応の代償を支払っただけだ。もう中央区も今までのようにはいかないだろうさ。赤間が死ねば中央、いや都内部はどうなることやら……はは」
「だが、そうなると話が少し違ってくる」
しかし正義は相手の勢いに負けじと、話の矛盾に食ってかかった。
「なんだって?」
「君らは全員同じ紋様のついた防弾チョッキを着ていた。これは別のとある事件でも発見された紋様だ、それは反六感主義者が使うマークだ」
そう、あのマークだ。正義がずっと気にかかっていたそれを話す、すると今まで吠えていたポールは、今までそれらが無かったかのように口を閉じた。ただ黙っただけではない、何か堪えているようにも思える。正義はその様子から、まだ何か引き出せるなと感じた。
「目的は赤間の殺害のみではない。もう一度聞くぞ。エヴァンズは、反六感主義者達のリーダーじゃないな?」
ポールの目の動きが少しずつ不審にきょろきょろと動き出す、何か縋るものを探しているかのようにも見える。正義は隙を突くように言葉で追い詰める。
「ポール、いいか。隠していてもいずれわかるんだ」
「あ、あんたらはそれでいいのか」
「なに?」
「これ以上、俺たちに首を突っ込むと痛い目をみるのは、そっちかもしれないんだぜ? 眠った犬はそっとしておけって、いうだろう?」
挙動不審になりつつも、彼が言っていることにはどこか確信があるようで、にやりと笑っている。まだ何か隠していることがあるのは確実だ、正義は食い下がりながらもそれが何かを聞き出そうと少し前のめりになった。冷房が効いているとはいえ、ここまで尋問詰めだと暑くもなってくる、正義の首筋を汗の滴が伝った。
「どういう意味だ? 反六感主義者が視庁と何か……」
だがその瞬間、ビーッと突然不快な音が鳴り響いた。正義と鈴久保両者の端末から同時にであったので、取調室の中は喧しいったらなく、鈴久保が咄嗟に出ると同時に正義は端末を切り、ポールから目を離さないようじっとしていた。
「はい、こちら鈴久保。申し訳ありませんが只今取り込み中で、……はい、はい? ……いえ、何も。……わかりました」
数分だったが、鈴久保の空気はどことなく現在対峙している相手とは別のものへと移行されたように、端末の向こう側との連絡の様子で伺えた。ポールと正義はまた言い合いがいつ始まるかわからないまま、お互いの出方を見極めている緊張感の中にいる。そんな中で連絡を終えた鈴久保が、正義も思いもよらぬ発言をした。
「ポール・ポーコニック。本日の取り調べは以上、話はまた後日伺います」
なんだって?と言いたげな正義に相対するように、ポールはふっと笑みを浮かべた。まるでこれで勝ったつもりかのようなポールに、今度は正義が机を叩く番だった。次は無いからな、と威嚇のように。だがポールはそんなこともお構いなしに、半笑いのまま部屋から去っていく二人の背中を眺めるだけであった。
何故、あんな重要な取り調べの途中で切り上げさせたのかと正義が廊下で鈴久保に問い詰めるよりも先に、彼女のほうから先ほどあった報告が為された。
「遺体が赤間社長じゃなかった?」
誰もいない廊下に、正義の間の抜けた声と二人分の歩く音がコツコツと響く。鈴久保はため息をついて、正面ではなく裏口から出るように指を差した。
「どうして。鑑定では顔や指紋も赤間そのものだったんじゃ」
「実際には、赤間社長として在籍していた人物と、都内部に籍を置いているはずの赤間……赤間の登録情報とが一致しなかったんだよ」
その返答に割って入ってきたのは、裏口付近で二人を待っていた田宮である。合流する形で、三人は機械の取り付けられた裏口からIDを使い、ピッという音とともに外へと出た。向かうのは駐車場だ。
「つまり、死んだのは赤間という名を借りた別人ってことですか?」
「そうなるわなぁ」
正義は混乱と困惑で頭がおかしくなりそうだった。
都内部の人間は都外部を忌み嫌い、都内部の人間は反六感主義者が視庁との繋がりの関係性を漂わせ、そして死んだと思われていた人間が実は別の人間であった。一日の情報量にしては詰め込み過ぎだと正義は思いながら、こめかみを抑える。運転席に乗った田宮に続いて、正義が助手席に乗りながら質問をする。
「それで? 今からその赤間社長だった人物の確認ですか?」
「いいや、お前がこっちについたばっかりに見たホームレスの爺さんがいたろ。その人の意識が戻ったってさ」
「じゃああの事件の話が聞ける……だから田宮さんがいたんですね」
「遅いっつーの」
川沿いにそびえ立つコウセイ総合病院は、相も変わらず都内部をじっと見守るのか睨みつけているかのようにそこに居座っており、今回は正面入り口に記者も見当たらなかった。それもそのはず、あの老人が意識を取り戻したのは数時間前で視庁に連絡が届いたのも数十分前の話だ。しかし夏だというのに院内は暑く、そこかしこに冷房機器はついて可動しているものの冷気は全く行き届いていないようだ。外の方がまだマシかもしれないとも思える熱気に、田宮と正義はネクタイの根元を緩めた。
二度訪れている病院だが、都内部と都外部についての事件が起こってから、その内部事情を聞いたあとだと見方も変わってくるものだ。正義はこの院内にいる患者の3分の1ほどが、正式な国民では無い事に気が付いた。服装から喋る言語、視庁である自分たちを見る目からして視庁に多少なりとも良い印象を持っていない者達であるのがわかる。確かにこの病院自体は大きく、広い専門での治療を行っているようだが内装や外観は恐らく戦前とまるっきり変わっていないのだろう、それほどギリギリのところでこの病院は経営しているのだ。
以前移された、四階の角部屋へと案内されて三人は辺りに記者や関係者がいないか確認しながらさっと中へ入った。
「刑事さんたちの為になるお話が聞ければいいんですが――、何せああいった様子でして……」
と言う男性看護師の言う通り、意識を取り戻したとはいえ、老人は正気を逸しているように三人には見えた。三人が入った今でさえも扉のほうへ目をやることはなく、ベッドの上で上半身をベッドごと起こした状態のまま、うわ言のように何かをぶつぶつと言い続け、宙を見ては手を伸ばしている。
『ああ、わたしをお救いくださったご親切なお方。あなたのお言葉がわたしの胸に、望みをおこさせてくれました。おかげで、私は初めの考えに立ち返ったのです。どうか私の全てに干渉を』
本当に視界に入っていないのだろうか、部屋への侵入者には目もくれず、老人は誰かへ祈るように、また縋るように何度も何度も似たような言葉を誰もいない宙へと投げかけた。三人がベッドに近寄ると、ようやく気が付いたのか邪魔をされたくなかったのか、包帯だらけの腕やガーゼを当てたままの顔を向けながら、老人は三人を睨みつけた。そして口を開いたかと思うと、何やら早口でまくし立てるが、日本語でも英語でもないその言語は鈴久保と正義には聞き取ることができない。
「田宮さん、わかりますか?」
「分かるっちゃ分かるけど……爺さん早いからな、かいつまんで説明するとこうだな」
『自分は何故ここに来たかも、全うすべき使命もよくわかっている。だがお前達に話すことは何もない、触れることすらゆるさん。自分には名前などないし、どこから来てどこへ行くのかもわからないが、これだけは言える。決してお前達の手先になどなってやるものか。そこの迷い子の魂、この群れからさっさと失せろ』
そこの迷い子というのは正義を差しているらしい。
そう怒鳴りたてると、ぷつりと糸が切れた人形のように、老人はぱたりと手を落としてそのまま息を引き取った。ほんの僅か、一瞬の出来事であった。看護師は急いで医師を呼びに走り、正義は持ってきたPDが何の役にも立たなかったただの箱として置き去りにされ、ただただ茫然とするばかり。
「そういえば、こんな時になんだけど。あんたが捜査しやすいよう、初めに言っていた無口な生存者……喋れないテロリストの一人がこの病院に搬送されているから。今日はそっちを当たって最後」
「そういえば……」
鈴久保の言葉で、合奇は今朝言われた残りの生存者を思い出した。そう、まだ都内部と都外部にいる者らの調書は、初めての実践として行ったが肝心のPDを役立てる相手がいる。田宮に聞くと、この院内に運ばれてきたのは先ほどのようで、正義の取り調べが終わればすぐにまた都内部へ移し戻されるそうだ。
その生存者は五階の特別個室にいた。あまり高級とはいえないこの病院内でも唯一広々としており、かつては富裕層の患者が使っていただろうことを思える設備で部屋は整っていた。当時最先端であったのだろうエアコン、大型のテレビ、小さくはあるが冷蔵庫まであり部屋内にはバスルームまで付いている。だがベッドの上の患者はどれも必要としないだろう、開いたままの眼が意味するのは、筋力の衰えか硬直だ。看護師が両目に目薬を入れている。患者は女性だった、体に外傷はなく、飲んだ薬のせいで仮死状態にあるのだとか。そんなものまでOSは手に入れているのかと思うと、三人はあまりうかうかしていられないなと思わざるをえない。看護師は、何かあればナースコールでお願いしますと残し去って行った。
OSの一人と思わしき女性はショートカットの金髪で、瞳の色は灰色だ。ところどころ見えるそばかすが彼女の容姿を引きだたせるが、今はそれどころではない。
「……。」
虚ろな瞳のまま空を眺めている目は、まるで以前の、初めてこの病院へ来たときにみた老人のようだと正義は思った。だが今回はそれ以上に具合が悪い。なんせ老人の場合は意識が戻る見込みがあったのに対し、今回はほぼ手を尽くしても意味がないという状態にある。だからこそのPDなのだが。
「パッチ、付けました。立ち上げも準備完了です」
手慣れた手つきで正義が彼女の脳に、以前やってみせたものと同じようにパッチと手持ちのパッドをコードで繋げていた。
「脳波繋がりました、異常なし、大丈夫です。こちら側から接触可能です」
「では単刀直入に聞きましょう」
そう言って、正義のいるほうとは反対側のベッドの横端から顔を覗き込んだ鈴久保が尋問を始める。
「あなた方が反六感主義者だということはもう調べがついているの。あの場を取り仕切っていたエヴァンズ・Dもその副リーダーも死んだ。目的は都内部が占めていた輸入物や金銭の解放じゃないはず。一体何が目的だったの?」
「鈴、言っただろ、イエスかノーかの質問にしか答えられないって」
「ああ……ったく使えない」
使えないとはなんだ、と言いかけた正義に後ろから田宮が尋ねてくる。
「へえ、それってイエス、ノー判定なわけ?」
「あ、はい。基本的には」
「じゃあオレやってみよっかな」
意外にも意外な例であった。田宮は取り調べの類を苦手、いや避けて通るタイプに思えたからだ。それは正義が思った通りらしく、鈴久保も少し驚いたような顔をして田宮を見た。本人は、空を見ている患者の足元にあるベッドの格子に手をかけ、おーいと呼びかけ始めた。
「あんたは反六感主義者だ、イエスかノーか」
「イエスです」
答えるのは正義、パッドに表示された数字から解いていく。
「あんたはあの晩、人質の見張り役をしていた」
「ノーです」
「そうだよな、下の階で他の仲間と一緒に立てこもりの見張りをしてたんだから」
ふむ、と首を左右に傾けて田宮は質疑応答を再び行う。
「あんたらは赤間社長が偽物だってことに気付いていた」
「……イエスです」
「そのうえで殺したっていうの?」
「この集団の本物のリーダーと、本物の赤間とは関係がある」
「……イエス」
「あんたは、どちらかの所在について知っている」
「……ノー」
「ケルヴィンタワーを襲撃した理由は、都外部に金を回すためだ」
「イエス」
「だが不審に思った点もある、何故あの日あの時刻あの場所だったのかはわからない」
「イエス……」
「本当に襲撃したかったのはケルヴィンタワーだった」
「ノー」
「本来ならば襲撃されるべきだったのは視庁だった」
「応答ありません」
「うーん、こんなところか?」
ふう、とため息をつきながら伸びをして田宮はその場でぐぐっと仰け反った。短い質疑応答だった、だがそれにも関わらず得られた成果はだいぶ大きい。先ほどの老人の死を埋めるほど、情報量は多く得られた。患者は未だに空を見ており、生存を確かめる機械音だけがぴ、ぴ、と音を紡いでいた。
「どういうことです?」
病院から出て真っ先に話の切り口を出したのは鈴久保だ、言いたいことがあったようには院内から既に分かっていたが、口調がややきつめなので怒っているようにも思えた。
「OSは赤間が偽物だと知って殺した。そしてそのために襲撃した。下っ端には伝えられていなかったが、恐らく襲撃の理由については他にある。そして本物の赤間とOSのリーダーには接点があるってこと……かな」
「そういうことを言ってるんじゃない」
ばしっと後部座席で隣の空いたシートを叩く音が鳴る、
「ケルヴィンタワー襲撃の話が反六感主義、前回の事件に繋がってどんどん複雑になっていってる。それにあんたが来てから初めに取り扱ったあの事件も、唯一の生存者である老人は謎の言葉を残して亡くなった……ああもう」
鈴久保を一人で後部座席にしておいたのは正解だった、田宮はまあまあと半笑いしながら自動運転に身を任せ、ハンドルに手を添えるだけだし、正義は後ろで怒っている鈴久保の餌食にならないよう助手席で身を縮めながらデータを見返していた。
「一つ、分からないことがあるんですけど」
少し経って、静かになった車内の中そう切り出したのは助手席に座る正義だ。
「干渉って何ですかね。ご老人が言っていた……」
「あれ、知らねぇの? 六感持ちが使う超能力だよ」
「田宮さん、超能力ではありません。六感保持者特有の秀でた能力の一種です」
「鈴……久保も知っているんですか、それで、なんです?」
「ほら、六感保持者は人より優れた身体能力を持ってるってのは知ってるだろ。それと同時に、どうやらアイコンタクトで相手の想像していることや、見たこと感じたことを知れるみたいなんだよ」
「そんなの、初耳ですよ」
「こっちでもつい最近、解禁された情報だからな。目と目でしかやりとりできないらしいけど、どうなんだか……それを『干渉』っつーの」
呑気に喋ってはいるが、アイコンタクトひとつでそこまでされては六感絡みの事件も増えてくるはず、視庁も面目が立たないのではないか。そう正義が思っているのを読み取ったように、鈴久保が口を挟む。
「だからいるんでしょ、特課が」
「あ……特課って、え? つまり……?」
話を上手く呑み込めていない正義に、田宮が助言する。
「あそこに所属する殆どが第六感持ちなわけ。普通、視庁では行われていない裏採用だな。まあ課長である芹沢さんが引き抜きで、いろんなトコから連れて来たみたいだけど」
「ってことは、ユ、ユリさんも?」
「あの人こそ典型的な第六感保持者だろ。なあ、鈴久保」
「……そうですね」
「まだ根に持ってやがんの」
静かになった鈴久保の横顔は、助手席のミラー越しに後部座席から見て、珍しくどことなく拗ねたような顔をしていた。窓から見える外は、土埃の道を抜けていた。片手をハンドルに添えて、田宮が面白そうに小声で言う。
「前にな、ユリさんと鈴久保、ある事件の取り調べで対決したんだよ。どちらがより優れた情報を得られるか」
「それで、結果は……」
「後ろを見ての通り、向こうの圧勝」
「前見て運転してください、田宮さん」
もちろん聞こえていたのだろう、鈴久保の声は普段より一回り大きめに聞こえて、田宮は肩を竦めながら笑って姿勢を整えた。正義は考える、ユリが第六感保持者であったという事実、あの鈴久保が取り調べで負けたという事実、両者はどういった気持ちで臨んだのだろうか。対決とはいっても、銘々にして争わせたわけではないのだろうが、それでもあの温厚なユリが、鈴久保も太刀打ちできなかった相手にどうやって。それこそ第六感を使ってやってのけたのか。正義の頭の中を、様々な意見が渦巻いていた。
ああ、またあの人に会いたい。会ってなんでもいい、話をしたい、声を聞いて、あの笑顔を見たいと思った。
「正義くんが君を探していたよ」
「そうでしたか」
その返答に特別な感情は含まれておらず、事務的に言葉を返したまでに過ぎないように思える。ユリの横顔は相変わらず含み笑いのままではあるが、話題が続かない事で芹沢は興味がないように察して呆れて笑う。
「OSの件、お聞きになられましたか」
「うん。片手間にだけど」
ケルヴィンタワー襲撃以後、視庁内部はよりいっそうピリピリと張りつめた空気を醸し出していた。そんな中でもあちこちをうろつくのは芹沢だけだろう、白い目で見られようが平気なのだ。ロビーを見下ろせる、ガラス張りの上に取り付けられた手すりに腕を乗せながら芹沢は何やら自分の端末からデータを開いた。呆れたような半笑いで、彼は言う。
「しかしまあ、サイバー兵もよくここまで増やしたもんだ。姿形の無い、命も無い、感情もないネット上だけの兵士……防衛にしちゃあ多すぎるね。ケルヴィンタワーで役に立たなかったせいかな」
「過剰な対策は過ぎるとお思いで?」
「そりゃ、相手を煽ってるのと同じだもの。こっちにはこれだけの手数があるんだぞってね。だから殆どを公表していない訳なんだろうけど、そんなの相手にだって分かる。この国はいつになれば先進国になるんだか。今の総理大臣じゃつまんないね、これなら前のほうが良かった」
「……あまり、過度な発言は慎んだほうがよろしいかと」
ふ、と笑みを浮かべるユリの目が弧を描く。真はジョークだよと言って人気のない道を歩いた。