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Epcot  作者: 六曲
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kelvin tower

【第五話】


 結局あの後、ミスアミラ・パーティ事件の犯人は一週間が経過した今でも容疑者が割れることはなく、ただ破損したアンドロイドの廃棄と、疑わしい犬の殺処分だけが決まった。自分が来てからというもの、日本では事件を一つも解決できた試しがない。密やかに自分の陰口を叩かれているのも知っている正義は、肩を落としていた。PDは持ち込んでくるべきではなかったのだろうか、いや、まだ本領を発揮できていないだけだ。むしろそう思わなくてはやっていけなかった。

 すると突然、大きな音を鳴らし始める端末機に慌てて、ポケットをまさぐる。右だったか左だったか、としているうちに音声のみが正義の前に現れた。

『一課、三課、六課に告げる。ケルヴィンタワーをダイロクが占拠したと通報が入った。各々、即時迎いたまえ。そのほかは追って指示を出すためそれぞれの持ち場に着くように。繰り返す――』

 夜に出勤令が出たのは、これが初めてだった。不謹慎ながらも正義はこの夜の出勤に、なんとも言えぬ高揚感を抱いていたのは間違いなかった。


 ぽつんと、カーキ色をしたフードを被った子供が、大人たちが引きさがる中からいつの間にか男の前に立っていた。見張り役の男は、一体いつ子供が目の前に現れたのか分からなかったが、問題はそこではない。

「ガキ、うろちょろしてるんじゃねぇ。いいか、死にたくなけりゃ、さっさと後ろに戻るんだ」

 それでも一向に群れへと戻ろうとしない子供に、男は苛立って怒鳴り散らして大衆の中をぎょろぎょろと見回す。

「おい、このガキ、聞こえなかったのか! 親はどこだ! こうなりゃ交渉の一番に人質として、」

「ガキじゃないよ」

 男よりも低い目線から、フードの下から声が出た。それは可愛らしくあどけない、まだ少女の声に聞こえた。男がそれに気づき、ふと視線を下げたその瞬間だ、垣間見えたのは琥珀色に輝く煌めいた瞳、そしてまだ幼い顔の子供の顔。

「なずなだよ」

 ふ、と意識が抜けそうになるその眩い瞳に目を一瞬奪われたかと思えば、男の体はいつの間にかその場で暗転し、足払いをされたかと思うと天井を見上げるように体は宙を浮き、大きな音と共に床へ頭を打っていた。男が最後に見たものは、その少女のなんとも形容しがたい程眩い瞳、宝石よりも情報よりも金よりも女よりも、美しいそれだった。



 資料によれば高さは650mにも及ぶ、戦前に建てられていた電波塔と役割は似て非なるもので、電力及びこの都心の原力をほぼ培っているのがこの塔なのだ。随所に公開機密と見れない部分が多数あるが、それらは原力の作り方や設計に当たる部分だ。色は基本ヴァイナスというラベンダーのような淡い紫色で全体が包まれており、塔の天辺へいくにつれてその色はアメジストのような濃い色へと変化していく。地下、一階は共に原力会社が入っているがその上にある階には多くが、戦前に活躍していたITや多くの企業のオフィスが入っている。ただの観光スポットではないのがケルヴィンタワーの特徴であった。


「犯人の要求は以下だ。都内部に住む富裕層が貯めに貯めている膨大な資金を都外への経済へ回してやること。元々都内と外でのすり合わせは行われていた。当初はその話し合いとして、都外から長と内部での中央区組み合い会長が立ち会っていたが、いがみ合いは止められなかった。そしてやはり都外部の人間達はそうなることを予想してタワーを乗っ取る準備をしていたらしい」

 話し合いに何度も訪れていたのなら、内部構造や準備にもそう時間はかからなかっただろうと三鷹は推測する。

 ケルヴィンタワーの内部はこうだ。

 戦前にあった観光名所のような電波塔とは違い、この塔では電力また都内で使われる主な原力を生産している。それらは地下で行われているのだが、二階より上のオフィスは一般企業らが占めている。IT企業からベンチャーと種類は様々であるが、都内部の一等地ということもありそれなりに金銭に余裕のある企業のみだが。

 地下の原力部構造については一切が機密事項とあるが、一人乗っ取り直前に逃げ延びた社員からの話によれば、犯人らがそこを使うことは無いだろうという話だ。根拠はと問えばそこも機密事項に触れるものらしいが、それでも原力部に触れる意味がないのだと一点張りである。だが、それならば何故犯人らはこの塔を選んだのだろう。

 移動手段はエレベーター、エスカレーター、二階までは中央階段、そして非常階段といったどの建物でもありきたりなような構造である。視庁への通報が起こったのは、内部からの緊急システムが作動されたからである。恐らくいま現在囚われている人質の誰かが作動させたのだろう。

「まずは人質の命が最優先、次にチームの捕獲。リーダーはあくまで生け捕りで捕獲せよとのことだ。こちらから攻撃に出てはならない」

 人質はどれぐらいですか、と後ろから誰かが言った。

「定時で帰ったとはいえ、恐らく四十……五十弱はいると思われる。データによると、な」

 未だに出口を出ていない社員らの顔写真と名義、数が端末機から映し出される空中のスクリーンにざっと広まる。三鷹が下から上へとスワイプしていくが確かにこれは二百ほどいるだろう。正義は三鷹が命令を出す一番前で、その顔たちを眺めていた。どれもがハーフであったりどこか日本人離れした顔が見られる。歳は四十代から五十代。

「これ、人質の年齢層が嫌に高いな」

「知らないの?」

 とひそめいた声で答えるのは鈴久保だ。

「新労基で決まったでしょ、一般企業では二十代三十代には定時で帰宅するよう義務づけられてるって。まあ、例外もあるみたいだけど」

 確かに、人質と思われる人々の顔写真の中にぽつりぽつりと若々しい顔がいるのは目立つように見られる。すると、自分の端末から何かを受信した三鷹が顔を上げ、六課へ告げた。

「今しがた情報が更新された。この案件、特課も参加しているらしい。既に何人かが内部へ侵入しているとのことだ」

 三鷹の険しい顔つきに、ぐっと周りの人間が顔を引き締めるのが見てとれた。やはり、前に五十棲や田宮が話していたように、特課とは危うい存在らしい。だというのに、それに今現在出し抜かれている事が皆、悔しいのだろう。

「とはいえ、くれぐれも我々は自分の仕事内容を違えないよう。気を抜かないでいこう。一課と三課は前衛に、六課は後援に回る。くれぐれも辺りで不審な動きを見落とすことのないように」

「みた……課長、あの、一ついいですか」

 そろりと手を挙げた正義が「三鷹さん」と言いかけて言い直す。

「何だ」

「犯人の映像データは無いんですか? 現在の内部の監視カメラやセキュリティプログラムはどうなってるんですか?」

「映像データは今のところ入手不可能だ。タワー内の映像カメラは全てクラッキングされて手足が……、……そうか。お前がいたか」

「やらせてください」


 かくして、タワー前に防衛壁と横づけされた小型トラックの中で正義によるクラッキング返し作戦は始まった。戦術は単純だ、プログラミングに詳しい二課と通信でやり取りをしながら、現場では正義一人でクラッキングに取り掛かる。通信機器を乗せたトラックはその作戦を提案して約十分もすると現場に到着した。三鷹が上へ繋いでくれていたのだ。

「D班、合奇以外のメンバーはトラックの運転及び護送に配置。その他は先ほど言った通り、あくまでも一課と三課の後援だ。くれぐれも気を抜かないよう、配置に付け」

 はい、と揃った声が呼応すると各チームがタワー正面、脇、裏口へと配置についていった。

 既にトラック内にある通信機器や何やらメンバーが見てもわからぬ機材の中に囲まれて、正義は一つのパイプ椅子に座りながらパソコンをいじっている。その耳にはインカムが、そしてD班はそのトラックの護衛としてそれぞれ身構えていた。鈴久保が机に手をつきながら、無言の正義に尋ねる。

「どう?」

「……どうって、とりあえずはタワー内部からの情報を取り込んでるところ。あとは二課からもらったデータと照らし合わせる。どうやらタワーでは、異常が起きた際には防災用のシャッターが閉まるように出来ているらしいな……もし今その状態にあったら侵入は困難……おっきた」

 ローディングという文字のあと、ピ、という電子音のあとに一つのファイルが画面へ映し出された。正義がすかさずそこをタップすると、画面内にケルヴィンタワーのまるで設計図のような緻密なモデルが現れる。

「大丈夫、今回は誰も防災ブザーを押していないらしい。シャッターの部分が全開だ」

 その通り、右下には英語で様々な緊急用時に使われるスイッチがあるらしいが、disaster defenseと書かれた横の四角い部分は、他同様にグレー色だ。ただし、一つだけ色の違う英字があった。Emergencyと書かれたその部分の横の四角は、青色に点滅している。

「どうやら誰かが押したみたいだな」

「通報とは違って?」

「通報の場合は視庁へ直接、今日みたいに通報が入る。こんなところに現れたりしない」

「でも可笑しいでしょ、もしこの映像が犯人にバレたら」

「そう、おかしいんだよ。多分このシステムは、オフィス又はタワー内でのやり取りで使われるはずのエラー通告みたいなものだ、今ここで押したとしても中にいる人間が人質か犯人である限り、助けにはならない」

「特課……」

 ぼそりと、鈴久保が言った。正義がその顔を見上げると、歯痒い顔で鈴久保はその点滅部分を睨みつけていた。正義は、先ほどの特課がこの事件に関与していることについて皆が快く思っていないという点に対してもそうだが、心の中にモヤついたものがあることに気付いた。何故そんなにも、みな『特課』に対して敏感なのだろうか。正義まだ、この時はその特殊な課について気にするほどの事柄に気付いていなかったのだ。

「順調か」

 と声をかけてきたのは三鷹だった。

「いえ……さすが原力所ですね。外部からの侵入方法はほぼ0に等しいです。内部……せめて入口の受け付けにでも入ることができれば、より詳しい情報が掴めるんですが」

「正面入り口は無理だ。犯人らが見張っている」

 遠く離れたトラックからも、透明な扉の中にマシンガンらしきものを持った男女が立っているのが見えた。三鷹が腕を組んで顔をしかめる。

「地下からならどうでしょう」

 発言したのは意外にも、乙藤だった。こういった際にも彼は無口なほうだと思われたのに、田宮と五十棲は少し驚いた様子で、提案を続ける乙藤を見た。

「原力源で危険を伴うルートだと思われますが、この近くに地下へ通じるルートがあります。普段は立ち入り禁止区域ですが、この場合やむを得ないかと」

 直後、D班が捜索を進めると乙藤の言う通り、『関係者以外立入禁止』と丁寧に書かれたハッチが草むらの陰に隠されていた。正義が調べると、確かにそのハッチからは地下の原力路に続いているらしい。ただ、二課とも話し合ったがその内部の詳細は一切不明であるため、危険性は入口から入るよりも高いという話だ。

「行きましょう」

 そう言うのは勿論、正義だ。ジュラルミンケースの中にPDとパッドといういつものセットを片手に、腰には拳銃を備えている。二課が待機している中、現場にいて動けるクラッカーというと、正義は必然的に必要であった。

「問題はお前に誰をつけるか、だが」

 三鷹はD班の顔を見渡して一人頷き、こう告げた。

「乙藤さん、よろしくお願いします。あなたなら合奇を制しながら慎重な行動がとれる、そう期待しての抜擢です」

 先ほどの発言から既にこうなることが分かっていたのか、乙藤は頭をかきながら「了解」とだけ返事をした、ここで嫌がるようならば六課には居られないだろう。

「鈴久保、田宮は引き続き二課との通信を。五十棲さんは私とトラックの護衛についてください。それと正義、くれぐれも無茶はしないように。お前の行動一つで皆の動きが変わるということを、肝に銘じておけ」

「はい」


『任務はなるべく戦闘の回避、そして何より人質の命が最優先だ』

「迎撃許可は」

『降りている……が、自殺や戦闘中の死者は避けたい。三課が現在犯人らのアジトを捜索中だ』

『了解』

 最小小型機のイヤホンから聞こえてくる三鷹の声、そしてスーツ襟元についたこれまた小型機の内臓マイクから乙藤の声が短く聞こえて来た。正義は頷いてマンホールのように地面に隠されていた四角いハッチを開ける。かくして、正義と乙藤によるケルヴィンタワー潜入が始まった。先陣を切るのは勤務用P226SAO拳銃を手にした乙藤だ、ジュラルミンケースは最小限のサイズに抑えたとはいえ、足手まといになる。自分の携帯している拳銃もしっかりと腰に据えながら、正義はいざという時を想像してハッチの中、階段を降りて行った。

 その通路は如何にもといった様子で、足元には非常用電灯がぽつぽつと続いているが、通路自体の明かりは無く、乙藤が先陣し端末から照らし出す光が唯一、先を見通せる明かりである。

「どこまで行けばいい、一階か」

「……だといいんですけど、多分一階は警備が厳重だと思います。ここはリスクを伴うことを覚悟で二階へ行ったほうが、無難かと」

「二階ね……人質が隔離されているのは?」

「二階の奥オフィスフロアです」

「奥か。恐らく見張りがいるだろう、先は長いな」

 二人が話しているとやがて通路から地下のだだっ広い空間へと出た。しかし広いとはいえ、そこには四角い発原装置が大小びっしりと並んでいるため、広さを感じる事は出来ない。その一室はまだ隣に同じ構図で並んでいる、正義がタワー内のデータベースを更新した。

「この地下は円状になっていて、発原機のある部屋が続いているみたいですね。明かりがついていないのは犯人が消したのか……異常装置が発信していないので、誰かが意図的に此処の明かりを消したものだと思われます」

「今はそんなことはどうだっていい、さっさと上へあがる経路を探せ」

 なぜ乙藤と組まされたのだろう、正義は彼が苦手だった。言葉数も最も少なく、とりつき辛い。この数か月、乙藤は課の中でも抜きに出て世間話らしい話もしたことがなかった。しかし任務のためだ、正義はデータを引っ込めると顔を上げて一階へと上がる階段、もしくはエレベーターが無いか見渡す。二人は慎重に身をかがめ、機材の陰に身を潜めながら地下を回った。



 一方、地上のトラック内部では、鈴久保と田宮が二課との通信を取りながら情報を共有していた。トラックの横ではケルヴィンタワーを睨みつけるように、三鷹と五十棲が佇んでいる。

「タイ一、タイ二、地下への潜入成功。犯人グループの陰は無し」

「原力には見向きもせずってことか……?」

「田宮さん、正義から送られてきたデータの更新をお願いします」

「はいはい」

 地下へ行くまでは正義が座っていたその席、現在は鈴久保が腰かけインカムを通じて乙藤と正義の動きを逐一報告している。田宮はその後ろで言われた通り、次々と端末に新しいデータを入力していく。すると画面の中にあるタワー内部に地下のデータが追加された。地下とはいえ電波状況が良いのは、視庁が扱っている機器のおかげだろうと鈴久保は自分の耳に手を当てる。イヤホン向こう側の一声一声が鮮明に拾えてとれる。自分も行けたら良かったが、と鈴久保は現在二人が所在していると思われる点の位置を見つめて思う。二人一組より三人のほうが確実だというのは、三鷹も分かっていた。だが他の班員に任せるわけにもいかない上に、この場も人手を減らすわけにはいかないのだ。六課の人員不足の辛いところだと鈴久保はこめかみを抑えた。


 非常用出口から一階へと上がり、二階へと続く非常用階段を音を立てずに静かに、しかし厳重な注意を計りながら上がっていくと、二階に上がった先で正義が囁いた。

「乙藤さん、あれって」

「……向こうも馬鹿じゃないってわけだ」

 無惨にも破壊された対戦闘型アンドロイドと思わしきものと、そこから少し離れた場所にある粉々になった無人探査機の小さなドローンが見える。一階で誰にも見つからずに上がれたのは、悔しくも乗っ取り犯らがそれらを破壊してくれたおかげというわけだ。それが何を意味しているのか、やはり彼らは元々このタワーに襲撃するか乗っ取るつもりで計画を立てて来たのだということ。そして電子戦闘機にも対する戦力をも用いているということだ。

『こちら乙藤、二階へ到着。恐らくこのタワー内にある無人探査機又防衛用アンドロイドはほぼ破壊されている様子』

 乙藤がインカムから呼びかける、その向こうで鈴久保と田宮はぴりぴりとした緊張を走らせていた。目指していたうちの一つである二階に到着、だが防衛システムもアンドロイドも全て駄目。相手は確実に武器を所持しているだろう、となると戦闘からは逃れられないかもしれない。

「お前はハッキングすることだけを考えろ。いいな」

 はっと、乙藤の声で正義は自分が腰の拳銃に手を添えていることに気が付き、静かに手を離した。そうして再び、廊下に人影がないかと倒れているアンドロイドに目を向けた。無機質だとは思っていても、破壊されたアンドロイドの瞳は、目視センサーのための要素とわかっていてもそのレンズが割れており、撃たれたのだろう頭部からは基盤が剥き出しに、油が流れ落ちた中に横たわるそれはどこか人に似ているものがあり、少し不気味に思える。その瞬間だった、乙藤が正義の頭を咄嗟に階段の段差へと押し付けたのは。

 銃声、それも単発のものではなくマシンガンのような連弾の音が耳に響いてうるさい中、それはインカム越しに鈴久保達にも伝わった。鈴久保の少し焦った声が真っ先に聞こえてくる。

『敵は?』

『わからない、陰になって見えないか無人機かもしれない。俺が先に続くから、合奇は俺の合図に続け』

『りょ、了解』

 階段壁際に身を寄せ、二人は屈んで相手の出方を待った。一度銃声が終わると、辺りはしんと静まり返り、銃弾を込める音も聞こえない。乙藤が小さな声でインカムの向こう側へ呼びかけた。

『無人機だな。鈴久保、無人機の型は把握できるか』

『少し待って下さい。……都外、この周辺で手に入る無人機なら限られてきます。形か何かは分かりますか?』

『単発式じゃない、マシンガン型で遠隔操作だろう。型は……AE……数字までは分からん』

『十分です、……把握できました。恐らくAE300かと思われます。小型式のドローンと似た形式で、最新型からは程遠いですが、通常のマシンガン銃器と同じ破壊力を持ち合わせています』

『弾を込める最速時間は』

『二分から三分です』

『了解。その間に撃ち落とすしかないな』

 撃ち落とす、つまり乙藤は無人機を相手に立ち向かうというのだ。しかしそこで危ないと止めるほど、正義も馬鹿ではない。それを言い出せるほど乙藤も経験があり、勝機はあるのだからこそ言い出したのだ。

「乙藤さん、今まで対無人機との経験は……」

「二度ある。その時はお前じゃなく、援護に田宮と五十棲がいた」

 すみません、と正義は心の中でまだただの足手まといだと実感する自分が居た。やはり援護射撃が必要なのかとも思うが、乙藤が言うには余計に手を出されるよりは正義は隠れて、他に見回りが来ていないかを見るかが第一に優先だという。此処は先輩でありツーマンを組んでいる乙藤の言う事を第一に、正義は階段の下を覗く。今の音で下の見張りがやってくるかもしれないのだ、実際の所、地下一階から二階までは階段が踊り場も続いて設置されているが、そこから上へはエレベーターと別から上がるための内側の階段、そして非常用に外からの階段としか道がない。正義と乙藤の目的は、二階への侵入とハッキングの為に回線を繋げる行為なのだが、そのためにはまずあの無人機をどうにかしなくてはならない。

「新人、おい、合奇」

 乙藤の言葉で、下へ向けていた頭を振り返る。乙藤はひそめいた声で正義を呼び、くっと顎で無人機のいる方向を差す。そしてインカムから間もなくして三鷹の声が聞こえて来た。

『合奇、そこからその無人機をハッキングできるか』

『ハッキングですか。破壊するんじゃ……』

『どうせなら手駒は増やしたほうが良い。下手に破壊することで犯人を刺激するよりはマシだ。できるか、できないか』

『……やってみます』

 クラッキングとハッキングは似て非なる。戦前流行ったといわれる刑事ドラマではよくハッキングという言葉が使われていたが、そもそもハッカーと呼ばれるハッキング技術を専門にする人間に悪い意味はなく、高いインターネット技術を持つ者に与えらえる称号のようなものだ。不正や悪事を働く者のことを、クラッカーと総称するのが正しいのである。そして正義は今まさに、あの無人機をハッキングしようとしている、ハッカーである。

 乙藤が今度は迎撃できる体勢を整え、壁と階段に屈みこむ一方で、二段降りたところで正義は辺りを警戒しながらも自分の持つジュラルミンケースを開き、中で回線を開いた。ここの回線パスワードは潜入する前に聞いている、後は。

「痕跡を残さないように……ここだと……別のサーバーを踏み台にして……。……?」

「どうした、不可能か」

「いいえ、……ここをクラッキングした犯人も似た手を使ってます。アドレスは特定できませんけど、たぶん都外かな……中国を踏み台に、何かログ……暗号みたいなのを……」

「おい、今はこっちに集中しろ」

「は、はい」

 ケースの中のパッドで、一度開いた物を閉じてから正義は今さっきまでいじっていたバックログを閉じるが、そのログが微かに頭の中に残っていた。そうして改めて、どうあの無人機に対するかを考える。現在自分たちを攻撃対象にしている無人機は、元々タワーが使用していたはずの防衛無人機でも、自分が元から動かすために何かを仕掛けていた無人機でもない。さてどうするか。

『田宮さん、相手側が使っているドローンに使われている製品ってどこ産ですか?』

『アメリカだけど』

『じゃあアメリカのICチップ……』

『あ』

 何かを察したかのような田宮と考え込んでいる正義の会話に、鈴久保と乙藤はついていくことができずにいる。とうとう鈴久保が二人の間に割り込んだ。

『きちんと説明して、何をどうするの?』

『中国製のチップにバックドア……つまり裏口が仕掛けられているのは今や当たり前だ、でもアメリカ製は機密が多い。けど向こうで勉強してきたおかげで暗号化は俺の得意分野。そんな中で通信制御の部分に当たるチップを調べれば或いは……』

『時間はどれぐらいかかる?』

『十分……』

『遅い、もっと早く』

『分かった、分かったよ、五分……三分でできないかやってみる』

 さすが幼馴染の一声といったところだろうか、鈴久保が言わなければ三鷹が言ったかもしれないが、ここまできつい言い方は出来なかっただろう。フォン、と無人機が二人の近くを通った風を切る音が聞こえる。時間がない、あの無人機がある限り人質も救うことは不可能に近いのだ、今後を考える限りあの無人機を制御するに越したことはない。


『いいか、なるべく銃撃戦は避けるように。そして今通達された、お前達二人は人質の解放作戦には加わるな』

『加わるな? 何故です? すぐそこにいるんですよ』

『それは他の課担当だ。それにまだ一階や他のどこに犯人らが潜んでいるかもわからない、そんな状況で大人数を引き連れて、無傷でその場を抜け出せるか?』

 三鷹の正論に、ぐっと言い返したい言葉を喉に押し込んで正義ははいとだけ返事した。乙藤は三鷹の案に二返事で答えていた。自分には足りないものが多い、いくらPDやネット上では使える技術があろうと、実践での積み重ねが必要なのだと思い知らされる。

 ハッキングしろとは言われたものの、正義にはハッカーらしい秘められた才能など無かった。せめて、培ってきた技術者としての知識と経験のみである。通信制御の暗号化を解読となると普通ならば考えられないが、今回は別だ。恐らくパスワードは犯人側によって書き換えられている、ならば手あたり次第の単語もしくは限られた英数字の組み合わせを行っていくのだが、今回は時間がない。しかし正義には幾つかの思い描いていたパスワードが何通りかあった。

『解けました、制御、此方で可能です』

 時間ぴったり、とはいかなかったがおよそ四分弱の時間で正義はそれを解いてみせた。トラック内にいる田宮は口笛をふき、鈴久保は小さくガッツポーズをとっている。トラックの周囲を護衛しながらインカムを繋げている三鷹は、目の前に正義がいるかのように話しかけてくる。

『良し。なら通常通りにその場を巡回させろ』

『えっ、いいんですか? 上の階に動かすこともできますけど……』

『それは駄目だ。不審な動きで相手側により侵入者がいることを勘付かせたくない。まずは対象目的を不能にし、お前たちへの攻撃を不可能にすること。それから奥のオフィスに迎え、くれぐれも他の見張りが無いよう注意を払え』

『了解しました』

 正義が手元のパッド画面を覗き込むと、そこにはつい先ほど自分達を迎撃してきたドローンから見える視覚映像が映っていた。静かな音を立てて、ドローンはゆっくりと辺りを巡回する。突き当たった壁を曲がり、奥のオフィスのある方向へと向かった。

すると、奥のオフィスと指定された部屋から二人の男女が現れてきた。乙藤と正義はより身を屈め、息を潜める。

「だから、さっきの銃声は何だったのかって聞いてるのよ」

「モニターには何も映ってない、ドローンの誤作動だろう」

「鼠でもいたっていうの?」

「さあ、多分な」

 たかが鼠一匹で誤射するはずがないという金髪白人の日系女性に、東南アジアの顔をしている男性が一人ずつ、銃器を構えて辺りを見回して巡回していたドローンを見上げる。女性のほうは忌々しいとでもいうように睨みつけていた。

『乙藤さん、この二人』

『乗っ取り犯か。都外部から来た組み合いの参加者リストに乗っていたやつらじゃないな』

 その通り、正義がモニターを見守る横で乙藤が自分の端末で受け取ったデータの中から、都内部の組み合いとの話し合いに参加している都外部からの人間のリストを照らし合わせながら二人は言った。やはり今回のタワー乗っ取りは話し合いの結果衝動的に行われたものではなく、計画的犯行だったのだ、でなければこんな用意周到に武器やクラッキングの準備など行われていない。

 タワー外部にいる鈴久保らからの情報と照らし合わせると、現在確認がとれている犯人は一階正面、裏口、左右出入り口の前に二人ずつ合計で八人。そして乙藤らが話を聞いている二人の二名だが、首謀者らしき人物は見当たらない。少なくとも指示を出している人間がいる、と三鷹は言うが今のところその情報は入ってきていないのだ。

「上の階の奴らはどうしてる?」

 男が小さなマイクで通信している。

「……なに? それで、……消えた? まさか、出入り口は全部封鎖しているはずだぞ」

「地下の原子力発電と繋がっている隠し通路があるかもしれない」

「そこか。……ああ、分かった、なら俺はここをいったん離れて上へ……、そうだ、一階の誰かを地下に移動させるんだ」

 まずい、あの隠し通路が見つかるとなると現在自分達がいる階段が袋小路になる。前門の二人、後門の八人。どういった状況かは分からないが、どうやら上の階で不備があったらしい、乙藤は正義に静かに後ろをついてくるよう合図をした。中腰で壁伝いにスニーキングしていくと、曲がり角で乙藤はぴたりと止まる。ここまで来るとその先にいる二人の声がはっきりと聞こえて来た。

「正面からは誰も入っていないわ、ここだって見張ってる。人ひとり通っちゃいないもの」

「となると人質の中に紛れ込んでいたっていうのか……? だが計画は順調だった、どこにも漏れはなかったはずだ」

「リーダーの合図が来るまで待つのよ。私たちはこの階にいる人質を見張る、それだけに集中しましょう」

 その瞬間だった、一瞬、女性の声が話し終えた僅かの隙間で乙藤が安全装置を外した銃を取り出し、壁から姿を現すと男の足と女の足目掛けて発砲しだした。突然の事だったので正義も合図には気づかず、その音にびくりと肩を竦めた。練習場で何度も聞いているその発砲音は、何度経っても慣れないものだ。

「ちくしょう! 視庁か?!」

 女はその場に倒れるも、うつ伏せの状態で手あたり次第に乙藤がいる方向へと発砲してくる。マシンガンのようなもので、乙藤は女が銃を構えると即座に壁へと身を翻した。そして身を屈めていた正義へ向かって叫ぶように言った。

「使え」

「え、えっ?」

「ドローンだ、制御装置も乗っ取ったんだろ。今使わなくてどうする、中の人質がどうなってもいいのか」

「でもドローンで対人への攻撃はまだ教わって……」

「実践あるのみだ、やれ!」

 乙藤の言う通り、太ももを撃たれた女はその場に伏せって痛みをこらえており、運よく左ふくらはぎをかすめただけの男が、自分の足の痛みをこらえながら女を部屋の中へ引きずり込もうとしているところだった。今反撃しなくては、中に人質がいるのならそれを盾に何をされるかわかったものではない。銃撃戦は控えろ、という三鷹の声もあり戸惑っていた正義だが、現状の深刻さに目を覚ましたのか、急いでパッドとキーボードでカタカタと操作を始めた。巡回していたはずのドローンがオフィス入口前まで引き返し、犯人の一人である男が異変に気付いた時にはもう遅く、その腕と両足に銃弾が発砲された。入口で飛び散る血とその発砲音に、中から人々の悲鳴が上がる。やはり人質はいたのだ。

「銃を捨てろ、今ならまだ命だけは助けてやる」

 自身の持つ銃を構えながら、壁から身を乗り出し、ゆっくりと乙藤が伏せった男女に近づいた。男はドローンの攻撃で銃すら持てぬ有り様となり、部屋の中へ仰向けに倒れており、女は初めの一撃で床に伏せっている。だがまだ執念で動いた女の手が銃器を乙藤に向けたが、それも乙藤の一撃で手のひらを撃たれて無駄に終わった。

「ここには他にいない……。合奇、それで下から援護が来ないか見張っておけ」

「りょ、了解です」

 人を撃ったことのない正義にとって、ドローンとはいえ敵を打ち抜いたのはこれが初めてだった。死んではいないとはいえ、それでもやはり対人で発砲というのは精神的に厳しいものがある。パッドから見えるドローンのモニターで階段とエレベーターから、今の騒ぎを聞きつけた他の人間が応戦にやって来ないかチェックしている横で、二人の両手首を捕らえ、二人の動きを抑えた乙藤がオフィス内にいる人質の無事を確認していた。人質に怪我はなく、全員無事であるというのが乙藤の簡潔な報告だった。

『犯人の一員である二名を確保。二階にいる人質は二十名です。人質の話では、まだ上の階に分けられて人質が残っているとのことです。解放作戦に加わらないという指示通りにはいきませんでした』

『了解。いや、よくそこまで入った。脱出経路だが、隠し通路のほうは無理ということだったな』

『はい、先ほど犯人らが通信で出入り口の確認をしていました。そっちの出口に向かうかもしれません、注意してください』

『分かった。合奇、ドローンのほうはどうだ。……合奇』

『え、あ、はいっ、大丈夫です。すみません、一階と二階の階段は距離がありますし、壁の作りが防音なので、多分一階には通信されていない限り気付かれていないかと思います』

『良し、なら向かうは上しかないか。乙藤、上の階にシェルターがある。今から端末に場所を送るから、三階の犯人に見つからないよう、少しずつ人質をそこへ避難させるように』

『了解』

『それと、……』

『合奇、そこに居る人質の頼りは乙藤とお前だけなんだ。シャンとしろシャンと! ぼーっとしてたら減給ものだぞお前!』

 三鷹が黙っていた矢先、突然割り込んできた五十棲のインカムに耳を抑えながら、正義は肩を竦めて、はい、と答えた。



「……ありがとうございます」

「いーんだよ。あんたが言い辛いことはこっちが引き受ける、それにあいつも初めてのこっちでの実践で緊張してっから。ここらで気合いれさせねぇと」

 どちらが上司かわからない、三鷹はタワー外部にあるトラックの横で、外の風に当たりながら五十棲に頭を下げた。五十棲は「んなことで一々下げるんじゃねぇ」とマイクを通さず笑っている。だが現場での経験は、格段に五十棲のほうが積み重ねられてきているのだ。今他の人間がいないからこそ、こうして五十棲は年下へ接するように五十棲に声をかけているが、普段は年下とはいえ上司と部下の関係、敬語を使っているのが当たり前なのだから、こうしてメリハリを利かせている部分といい、三鷹は五十棲には頭が上がらない思いであった。

 しかし夜はまだ長い、六課の潜入捜査が二人だけ、対して相手は人数もまだ不明であることに三鷹は不安を感じていた。通信越しでも感じられた正義の不安が移ったのだろうか、夜とはいえ夏も中々どうして暑い。上着を脱ぎ、額を伝う汗を拭って三鷹はタワー内部にいる二人を信じた。


 正義を見張り役として後列に尾け、先陣を切って上へあがる階を上った乙藤は茫然とした。何故か、それは上の階にいると思われた犯人らしき、先ほど捕らえた者と同じ防弾チョッキを着ている人間が皆とっくに床に伏していたからだった。あるものは頭を、またあるものは心臓を打ち抜かれて、生きている者は一人もいない。静かすぎる理由はこれだったのかと、右端のオフィスを開けるも、中で同じチョッキを着た人間が死んでいる。続いて中央を開けると残りの人質が隅にかたまり、うずくまっていた。

「保安視庁の者です。話はあとで聞きますので、いったん避難用のシェルター内に入ってください。順番に、静かに、一人ずつお願いします」

 そう言って、エレベーター横にある避難用シェルターの小さな入口へと人質らを誘導させながら、今度は向かって左の扉を開ける。だがそこにも伏せっているのは先ほどと同じ、灰色の防弾チョッキを身に付けた死人だけだった。

「皆さん、襲撃の際に集められたのはこれで全員ですか」

 正義が数を数え、端末に送られた人相と一人一人を照らし合わせていく中で、手前にいる女性がいいえと頭を振った。

「市長が、赤間市長が、上に連れて行かれました。他は、全員います」

「市長……。分かりました、では皆さん、我々が来るまでこの場所を動かないで下さい。我々でなくとも、すぐに保安視庁の者がやってきますので、ご安心を」

 乙藤がそう言うと、先ほどまで怯えていた人質らは、それぞれの肩も震えが収まり、少し緊張が解れた顔つきになっていた。シェルター内は入口こそ狭くとも、中は百人ほど収まる広さで、隅に簡易式トイレのある仕切りと、水飲み場となる小さな洗面所がついている。そして人数分とまではいかないが病院のように並んだベッドと、折り畳み式のソファ。気を紛らわせるものは無いが、いつ誰が来るかもわからないオフィスにいるよかはマシだろう。ハッチは合図があるまで開けないようにと念を押し、正義と乙藤は一息ついて三階のフロア内をもう一度よく見回った。やはりタワーを乗っ取った集団と思わしき犯人らは、一人残らず死んでいるようだ。乙藤が見張っている中で、正義は右端にあるオフィスにあるパソコンと自分の持っているパッドを使って、詳しい内部状況を二課と鈴久保らに転送する。操作をしている中で、ちらりと視界に入った遺体の手先にごくりと喉を鳴らす。これ如きで動揺してたまるかと、半ば無理に画面へと向かい集中した。

「乙藤さん、終わりました」

 オフィスを出て、廊下で銃を構える乙藤に報告すると乙藤はああと返す。まだ辺りを警戒している乙藤に、正義は現状報告を行った。

「やはりケルヴィンタワーの通信はほぼ乗っ取られています。自分のパッドも危うくウイルスに侵されるところだったんですけど、つまりまだ相手は攻撃態勢を止めていないということです。一階からの攻撃とは考えにくいので、やはり首謀者は上の階かと」

「上か。市長が連れ去られたっていうのも上だな」

「……。」

「だとしてもだ、まずは一階をどうにかしない事には人質を解放させることもままならない。課長へ報告だな」


 そう言って乙藤が再びシェルターへと向かったその瞬間、銃声が聞こえた。それは上の階から聞こえ、大きく響いて下の階にいる正義たちの耳元にも聞こえるほどの大きさだった。正義は一人、乙藤の止める声も振り払い、急いで上の階へ駆けあがっていく。

 誰か撃たれたのか、仲間内での揉め事か、正義は四階に上がると廊下が真っすぐと左手にエレベーターしかない廊下の奥にある一室の前へ移動した。手前まで来ると足音を立てないよう息を潜め、ぴたりと扉に耳をあてた。しかし、室内からは争うような声は聞こえなかった。誰かが話している声は聞こえる、だが銃声など無かったかのようだ。中から聞こえるのは二つの声。正義は自分の腰にある拳銃を触って確かめ、呼吸を整え、思い切って扉を開けた。


「保安視庁だ、身柄を拘束する。武器を捨てて手を挙げろ!」


 中で向き合っていたのはこの階へ来るまでにも見かけたのと同じような防弾チョッキを着た男、これまでに見た資料の中にあった、リーダー格として見てもいいと言われた男。この騒ぎの核だろう『エヴァンズ・マラディアガ』の顔、資料で見たものより少し痩せているようにも感じるがエヴァンズその男だ。それと灰色の至って普通のスーツを着ている外国人の男、あれが赤間だろうか? しかし正義は拳銃を向けていたのだが、男達はまったく気にもせず、いやというよりエヴァンズは目の前の男のほうが最優先だといったように、険しい顔つきで話し始めた。

「話が違う」

「こちらとしても不本意だ。まさか下がここまでやってくれるとは思ってもいなかったんだ。だから言っただろう、即決な判断をと」

「何が即決な判断だ、こっちはもう半分はやられているんだ。お前達に組み伏せられろと? こいつが入ってきた時点で俺達の退路はもう無いじゃないか!」

 すると怒りに任せて男が正義目掛けて拳銃を向け、発砲してきた。咄嗟に側にあったデスクへ身を隠したことで、正義に被害はないが床に銃痕がくっきりと残っていた。


 此方へは銃を向けられたというのに、相対している男はいやに落ち着いた口ぶりで口を開いた。正義の隠れているデスクからは積み上げられた機器の障害に阻まれ、その全貌は見えないが、男はこの場に似そぐわぬ革靴に灰色の良質なスーツパンツを履いている。一体どういった間柄なのか、とにかく今は身を隠しているほうが第一だと考えた正義は耳をそばだてた。

「それで? どうする」

 灰色スーツの男が問いかける。

「どうするだって? まだ取引を続けるつもりか。こっちはとっくに一人殺してる、もう後には戻れない。そもそもあんたらだって内部の連中だろう、業突張りで金を持て余している奴らの一端だ。それをどう信用しろっていうんだ!」

 憤ったような声色で、エヴァンズは何やら捲し立てた。ここから先は英語でも日本語でもない、イントネーションからしてイタリアかスペイン語であるのは聞き取れたが、残念なことに正義の知識に両方の語学はなかった。実戦で使ったことのない拳銃を持つと、少し心に重みが感じられた。体を僅かにずらして障害の影から二人の男を観察する。エヴァンズのほうは挙動も大きく、その場で足を慣らしながらうろついていた。神経質なのだろう、先ほど自分が入った瞬間も、恐らく二人の会話に入られることを嫌った牽制だったのだろう。現に今は追い払った犬猫のように、正義のほうを気にも留めていない。何かをぶつぶつと言ってはいるが、時折二人で何かを話しあっている。端末から音声翻訳機を起動しようとした、そのときだ。

 音は全くせずとも、一つの影がこの部屋に現れたのを正義は感じた。エヴァンズからは見えない、部屋へ入って右奥にある天井裏からするりと降りてきたのは、小さな体だ。正義にも一瞬しか見ることはできなかったが、その小さい影は二人が話し合っている最中、足音も立てず移動している。というのも正義からは姿かたちが見えないのだ、だがちょっとした植物の揺れ具合や床の振動でどこかへ移動しているのが分かる。誰だ? 六課以外で侵入捜査の命令は出ていなかったはずだ。すると、エヴァンズが痺れを切らしたように、手近なデスク上にある何かをざらあっと腕で床へぶちまける。そのうちの一つが勢いよく、正義の肉眼でも確認できる近くまで飛んできた。それはここの原力で働く人間が使うIDカード兼ICチップのようだ。近くにきたそれには一人の男の顔写真と名前、その下にバーコードとQRコードが横に並んでいる。デスク上にあったものが全て社員の物ならば、エヴァンズは一体何をしようとしているのだろうか。

 だが正義に考えている暇は与えられなかった。エヴァンズが一度下げていた銃をガチャリと目の前の男に向けたのだ。重低音を皮切りに、だぁんと一発の銃声が再び響いた。『おい、中はどうなってる』『今は入って来たら駄目です、犯人と思わしき男が二人言い争って、発砲してきました、自分は隠れてますが、いざとなったら……』乙藤から送られてきた通信に、まだ中への突入は危険だと返しながら、正義はまた観察へと戻る。どうやら灰色スーツの男もどこかへ身を隠したらしい、先ほどまで居た場所に人影も倒れた姿も見られない。舌打ちをして、ごつ、ごつ、と歩き出すブーツを履いたエヴァンズの後ろ姿が見える。

だが後ろ姿が見えたのはその男の影だけではなかった。カーキ色のフードを被る小さな影が、その後ろを付いて歩きながら一瞬で背後から飛び掛かった。エヴァンズの口元を抑え、小さな体ながら肢体でエヴァンズの動きを抑えつける。急な動きの制限に、何が起こったのかエヴァンズ本人も何が何だかわからず、とりあえず辺りに散らかすよう銃を発砲していく。舞い散るチップ、飛び交う銃弾、それでも小さな影は離れることがなかった。


「なずな!」

 あの灰色スーツの男の声と共に、カーキ色のフードがとれた頭がさっと首を引っ込める。途端、銃声が一発、鳴り響いたかと思うと今先ほどまで暴発させていたエヴァンズは銃をぼとりと落とし、大きな体がその場に崩れ落ちた。

小さな影は小さくゴムでくくられた頭を晒して、すぐにその体から離れた。エヴァンズはごとんと横倒れになり、ゆっくりとその体はうつ伏せになるように倒れた。額から後頭部へ撃ち抜かれた銃痕が見える。その足元で小さな影が頬についた血をごしごしと袖で拭っている。それは、少女だった。


 続いて少女の背後からもう一人、女が現れた。いつの間にどこからやってきたのだろう、正義が始終を見ていると女がちらりと正義を見た気がして、正義は反射的に顔を引っ込めてしまった。

「お前の言う通りだったな」

 そう発言したのは男だ。お前、と指された女は「そうみたいね」とだけ返し、あとは沈黙が辺りを包んだ。

「金では死人に安らぎを与えることはできない」

 散らかったIDチップやカードの上に伏した死人を足元に見下ろし、女が言う。男は呆れ顔ではあと溜息をついて拳銃を持ったまま、肩をすくめていた。

「馬鹿らしい、全くもってな」

「おわり?」

 そう尋ねたのは少女だった。

「ああ、終わりだよ。今日の仕事もな。しかしこの男も馬鹿だ」

「人は己の欲のためなら何でもするものでしょう」

「だとしてもだ、どう考えてもこの計画には穴が空きすぎている。本気で経済を回そうと思っているやつらのやることじゃない」

「ねえ、今日のごはんなぁに? なずなね、お腹すいたの」

「なら本気じゃなかったんでしょう。計画を見るだけでも可笑しな点がいくつもある。読みは当たりみたい」

「今日の夕飯は鮭のムニエルと蒸し野菜にデザートはソルベ。しかし、まあ、お前たちは! 本当に懲りないやつらだ! 特になずな、お前は無茶な動きばかりして危なっかしい! いやお前もだ、しのぶ、他人事みたいに見ているがお前はな、」

 と、そこで正義は三人が話す内容からしてこのタワーの乗っ取り犯ではないと確信してデスクの陰から姿を現した。

「……あなた方は誰ですか?」

 すると灰色のスーツを着た男の顔がよく見えた。どこか、何かで見たような口髭にこの場にはそぐわぬスーツ姿。まるで人質の中にいる富裕層のうちの一人のようだった。男は驚いたのか呆れたのか、眉を上げて茶化すように言う。

「なんだ、まだいたのか。とっくに逃げたものだと思ったが」

「一般市民じゃありませんね。銃を下ろして、手を挙げて壁についてください」

 男のほうは銃を下ろすどころか、冗談半分に笑っている。女のほうはというとあちこちが跳ねた髪型をしていて、薄っすらと紫色の瞳がかっているのに正義は無意識で見入っていた。しかし彼女は正義のことなど見向きもせず、散らばったチップと死体を見ながら無表情で言葉を続ける。

「もしもこの計画が、本当に都外部へ内部にある金を撒くつもりだったのなら時間とタイミングを見計らうべきだった。彼らに足りなかったのは無知の知ね」

「ねえねえ、なずなお腹すいたー」

 なずなと自分を形容する少女の瞳は、琥珀色だ。歳は十二、三程に見えるが喋り方が幼いのに違和感を覚える。両者の瞳に見入ったのも束の間、正義はどの会話も自分の問いかけにかみ合っていない空間に気付き、声を荒げて言った。

「銃を下ろしてください、三人とも武器を出して! ここは視庁六課の権限によってあなた方を一時拘束――」


「やめとけ馬鹿」


 と、正義の半ば怒りに任せた口調は、乙藤によって制された。乙藤は彼らを知っているような口ぶりで、三人の組を見て短く息を吐いた。

「……こうやって堂々とお会いするのはお久しぶりだな。あんたらがこの作戦に参加してるってのは聞いているよ」

顎で退路を示す。

「けど、あんたらだって此処を抑えられたくないだろ。さっさと引いたほうがお互いの為だ、そう思わないか?」

 五十棲の言葉に、男女二人は顔を見合わせることもなく、発言をすることもなくしれっとした表情でその場を去っていった。少女らしき子供は「ばいばーい」と言って手を振って行ったが、男は銃をガンホルダーにしまいながら、女は何も持たない手で少女の手を握りしめて。その後ろ姿には何も躊躇いも後悔もなく、残された一室には計画犯らだと思われる死体だけが無言で伏している。

「それじゃあ、証拠品とデータの回収と行くぞ」

 乙藤は、まるで今の三人がいなかったかのように、いやに冷静に状況把握をし始めた。


 その後、首謀者であるエヴァンズが殺され計画は失敗に終わり、そして人質の組み合い長であり、市長でもあった赤間も隣の部屋で遺体で発見されたことにより、戦意が喪失した残りの犯人らを一課が取り押さえたところで一件落着となった。人質らも赤間市長以外は無傷で解放された。鈴久保と田宮はそのまま二課との通信に、三鷹は他の班メンバーへの指示出しをするのに忙しく、二人の元へやってきたのは五十棲だった。

納得がいかないのは一人、正義だけである。目の前で騒動の犯人とはいえ、殺人が犯されたのを見て黙っていられるタチではない。通信を伺っていた五十棲が介入してきたとはいえ、その怒りは収まっておらず、正義は乙藤へと吐露する。

「わけがわかりません。こいつらは騒動の容疑者ですよ、それを彼らは殺したんです。どうして彼らをみすみす逃がして、」

「彼ら?」

「特課だよ」

 乙藤からそう聞くと五十棲は、ああと頷き聞いて損をしたような顔をする。特課、彼らの仕事に関しては触れない事が当たり前のようで、それを知らなかった正義の居心地は決して良くはなかった。

 飛び散った血液のついたパソコン機器の電源を、片っ端から入れながら乙藤は一つの台から塔の現在状況を洗い直し始める。一方で、怒りに震える正義を宥めながら、五十棲は現場の状況保管と検察官よりも早い写真を撮り始めた。3Dで浮き出た画面のスワイプとタップをするのに音はなく、撮影のピピ、ピピ、という音だけが静かに響く。

「言ったろ。あいつらは任務の為ならなんだってする」

「だからといって容疑者らを拘束という命令を無視するなんて」

「だぁから、向こうにはそれを上回る指令が出されてたっつー話だ」

「は……」

「それで? 今日はどれと遭った?」

 五十棲が尋ねたのは乙藤だ。立体のタワーを拡大、内部の異常をチェックしている。半透明な水色の糸状で出来たタワーには、異常と感知された部屋が紫に光っている。点滅しているのはより最近に異常が発生された部分なのだろう、現在、視庁の者らが突入してきている正面入り口が点滅していた。他には三、四階のデータ管理と現在三人がいる三十階が点滅している最中である。乙藤はそれらをデータ化し、自分の端末へと転送する。

「あの三人組だ、子供のいる」

「ああ……髭か」

「髭だな」

 それはあのダリ髭を指しているのだと、正義にもわかった。

「男のほうは一度名前を聞いたけど、なんだったかな。覚えてっか?……だよな」

無言で頭を振る乙藤、次に五十棲は屈んで死体の持ち物を調べ始めた。

「合奇、まあそうかっかすんな。言いたいこともわからねぇでもぇけどな……。お前が会った女も子供のほうもダイロクだよ。この手柄は俺達のものになるんだろうが……ほんと散々だぜ」

「手柄が? それは特課の存在自体が、」

「暗黙の了解だからだ。察しろ新人」

 乙藤のすぱっとした物言いが、正義の次から次へと飛び出そうとした疑問をあっさりと斬り捨てた。

「けど……死人にPDは使えないんです……もし彼らが第六感持ちだとしたら……」

「俺らのでしゃばる意味はなかったな」

 五十棲の声には何の感情も込められていない。『取り引き』と、あの髭の男と〇〇は言った。その後も何かを話していた、つまりすぐに殺すつもりなど無かったのだ。もしかすると自分が入ったことで不利な形勢にさせたのかもしれない。自分へ拳銃を向けて来たことを思い返す。だがそうなると、特課はタワー乗っ取り犯を生かす、あるいは逃がそうとしたのか? しかし疑問は尽きない。ならば何故最後の最後に殺したのか? 三人組といったが、そもそも侵入口がないというのに……とまで考えてあっと正義が口から漏らした。五十棲と乙藤がその声に振り向く。

「あの三人、もしかして人質の中に紛れ込んでいたんじゃないんですかね」

「かもな」

 そうだとしてもおかしくはない、と乙藤が冷静に答える。

「けど、だとすれば可笑しいですよ。人質になると分かっているのにこのタワー内部にいたとすれば、それは、初めからこの事件が起こる事を予測していたみたいじゃないですか」

 一瞬、ぴたりと二人の動きが止まった。ように見えたのは正義の気のせいだろうか。ICチップのひとつを摘まみ上げ、手持ちの端末からスキャナーで分析する五十棲が言う。

「予測……っつーことはなんだ。この事件は初めからでっち上げられたってことか」

「そのほうが筋が通ります。僕らが入る前、内部で異常を報告する暗号が出ていました。恐らく、彼らが通信方法の一つとして使ったのかもしれません」

「だとして、特課の狙いはなんだったんだ? お前の話は筋が通っていても、机上の空論でしかない。それにな、特課の行動は詮索するな、それが此処でのやり方なんだよ」

 またしても、そう斬り捨てたのは乙藤だ。三人の間には再び沈黙が訪れ、正義はこれ以上口を開くのは止めようと、言いたいことを自分の喉奥に押し戻すのだった。


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