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Epcot  作者: 六曲
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保安視庁第六課

【第二話】


 社員寮は外観と違い質素な作りだった。灰色で打ち付けられたコンクリートの階段、冷たい廊下、じんわりと流れてくる湿気の匂い。それでも築五年以内で1LDKにバストイレ別というのだから、流石は国の誇る公務員だと正義はネクタイを締める。都内部というだけで土地の価格は高騰する一方だというのに、一般価格とは遥かに違う。特に正義のいる南寮は安くて良い物件だ。据え置きの家具一式がぽつんと置かれている。まだ来て一週間と経っていない、量は少ないとはいえ段ボールがそこら中に散らばっている生活とも早くにおさらばしなくてはいけない。

「絶景だなー」

 七階建てにあるうちの四階、都内部の南に位置するこの寮の角部屋、朝日がとても良く見える部屋に、合奇正義は住んでいる。ベランダからは西日と都外部を隔てる大きな河が見渡せた。人口約百万人を収容しているエプコット都市内部、その一部は常に灯かりが途絶えることが無いという。


 通勤は一定の時間を回っている都営旧山の手線で通勤、というのが通常らしい。三鷹は自車を持っているが、以前、鈴久保が移動に用いていたのは、公務車両と呼ばれる勤務中に使われる四輪車だ。昔はパトカーといって白と黒でデザインされた車両に統一されていたという。今ではその特徴的な色も無くなり、無機質な灰色で統一されているが。電車の中は正義が知る戦前の映像と殆ど変わりなく、手すりを掴みながら窓から見える景色は静かだ。電車内にいるスーツだらけの通勤姿は、帰国したばかりの正義からは異様にも見える。皆俯いているか、手持ちの携帯機器で一人の時間に耽っていた。正義はひとり、窓の中で流れていく河の向こう側を静かに見つめていた。


 保安視庁は、正義も知るほど有名な米国建築デザイナーに作られていた。以前あったと言われる、荘厳かつ無駄のない、今で言うところのジャパニズム(ジャポニスムではない)、を代表する単調で無機質なビルを連想させる建物は、先の第四次世界大戦により壊滅的となり、新たに建て直されたのが今の視庁である。装飾のないモダニズム的建築は相も変わらずであるが、土地のある分、縦ではなく横に広い造りであり、やや蹄鉄型になっているのは高度の位置から街を見下ろせるよう、考えられたのだろうか。ちなみに正面入り口はその蹄鉄の内側部分に当たる。正義たち職員らは、正面横にある職員玄関から個々のIDを通して出勤する仕組みとなっている。

 無人の機械仕立てな駅を降りると、徒歩十分足らずで保安視庁に着くことができるように駅も配置されていた。つまり、この駅で降りる人間は殆どが同じ職場の人間であるということだ。周囲を見渡す。男も女も年上も同い年も、皆が無機質な表情に見えた。空は快晴、今日一日は晴れるだろう。

 正義が配属された六課までの道のりは、先日三鷹が教えた通りにあった。朝出勤する中に紛れて建物や内装を眺めていると、周りの視線に気づく。(後にその視線は、海外から来た新人への焦燥感だろうとイソに諭される)


 第三次世界大戦第はアメリカと中国の間によるサイバーテロから始まる。その後、事実上の第三次世界大戦勃発、核を保持した二国を中心とし各国はどちら側へ着くかで大いに迷い悩んだことだろう。日本は中国を近い国としながらも、同盟国であるアメリカ側へとついた。幸か不幸か、日本が戦地として巻き込まれる前に日本を脱国した日本人は一割にも満たない。戦時中は物資に紛れ、又は外交官やその家族、政治家といったいわゆるお偉いさん方の一部が攻撃の及ばぬ地へ飛んだ。

ニュースで大々的に取り上げられたおかげか、二か国間で核が使われる事はなかった。しかし問題となっていた北方領域、竹島、尖閣諸島といった島々を逆手にとられ、中国側へ加勢した国は全てが日本のものではないとして真っ先に戦地と化した。アメリカの同盟国として自衛隊を使わざるを得なかった日本は、国民から多くの誹謗中傷を受けるも、戦火から遠ざけるように国民の多くを救った。勿論、落とされた命は数えきれないほどであったとされているが。


 そして戦後。同盟国であるアメリカとの提案により、警察という組織が組み直された今、それは「国家保安視庁」という名にすげ変わっている。戦前より国民が声高にあがっていた「上層部と政治家の癒着」による不正を減らすべく、内部の組織もだいぶ整理された。古い政治家は一掃され、日本の経済は次々と新たな政策を与えられてきた。過去の痛手より経験されたもの以上に、実績ある取り組みは延び、国民全体にも「経過を見る」という考えが定着された。それが現状である。



「おはようございます!」

 抱えてきたジュラルミンケースを下げ、黒いスーツで正義は大きく挨拶をした、新人だからと失礼のない様に。しかしまともに返ってきた挨拶は一つもなく、邪魔くさそうに避けたり、顔を上げるも挨拶の無い人々ばかりだった。朝が始まったばかりだというのに、六課ではあちこちが忙しなさそうだった。

「……あのー」

「おはよ。そこに突っ立ってるのも邪魔だから、とりあえずこっち来れば?」

 呆然と立っていた正義に声をかけてくれたのは、幼馴染である鈴久保蘭だった。黙々と皆が自分のこなす仕事に精を尽くしている中、自分は一日中突っ立ったままかと正義は思っていた。鈴久保が引っ張って来たのは、一室の隅にある円卓状のデスクだった。いわく、これが彼女の班のデスクらしい。言われれば鈴久保のスペースには仕切りが造られているが、それは彼女のみで他は開放的である。単に散らかっているともとれるのだが。

「もうそろ三鷹さんが来る時間だし、それまでここに座って待ってて」

「て言っても誰の椅子だか……」

 恐る恐る腰かけると、腰にフィットした良いワークチェアだ。皆同じような椅子を使っている。辺りを見渡している正義を宥めるよう、「いいんだって、そこはほとんど座って無い人のデスクだから」と鈴久保が言う。

「そうなのか……。そういえば……お前の班員は? 誰?」

「さあ、もう少ししたら集まるんじゃない? 朝礼が始まれば集まるでしょ」

 他のデスクを見ると、資料にあった通り昔ながらの四角い机を合わせた班ばかり。鈴久保のいる班は特例なのだろうか。鈴久保は適当にいれたコーヒーを二人分淹れ、正義へと突き出した。正義はそのコップを受け取りずずずとすする、それはインスタントとは思えない程美味かった。


 第六課の課長は、数分後に現れた。第六課長、三鷹は先日正義が会った時と変わらぬよう、まるでそのままワープしてきたかのようにピッシリとしたシャツとスーツネクタイでの出勤に、職員の目は一斉にそちらへ向けられる。自分の鞄をデスク横に置くと、ふうと一息ついて三鷹は立ったまま、朝礼を始めた。室内にいる皆はその場にとどまったまま、話を聞く体勢になる。正義も自然と、三鷹の登場と共に立ち上がっていた。

「おはよう。今日の一日はA班引き続き西区のロク探し、B班はロスとのやり取り報告をこの後に3F会議室で行う。C班はカワセ……いや、今日はいなかったか、隊長の無い状態だが西区研究施設の調査を頼む」

 はい、と大小さまざまな声が一室に響き渡った。と同時に正義は三鷹への憧れが余計に強まった。この人ひとりが入るだけで室内の空気が変わる、一言一言が士気を高めるのだ。斜め前にいる正義の姿を見つけると、三鷹はそれ以上と終えようとしていた話を続けた。

「それと皆、新しい顔にそれぞれ思うところがあるだろう。合奇、前へ」

 言われるがままに前へ出て来た三鷹の隣へ立つ。余計に、ずらりと室内が一望できる場所なのだとわかる。棚を見ている男性から座っている女性まで、全員がこちらに目を、いやそれだけではない興味も嫉妬心も、ありとあらゆるものが入り混じった瞳で正義を見ている。

「先日付けで配属となりました、合奇正義です。宜しくお願い致します!」

「……というわけだ。新人が来るという話は前にしているな。とはいえ、新人一人には任せっきりにできない、だがこのケースを操ることができるのは合奇のみ。今後はD班に入り、同じ班員となる鈴久保、田宮、乙藤、五十棲の四人で交代してペアを作らせる」

 三鷹の声は続ける。窓の外では電車がせわしなく駅を行ったり来たりしていた。橋の向こう側に見える都外には、平坦に整えられた壮大なアパートのような、工場のような建物が並んで見えた。

「今から三十七年前、第三次世界大戦の終結と共に頻繁に勃発した現象。戦争と共にと公共機関では記載されてあるが、その現象は終結より前より兆候が見られたらしい。様々な呼び名があるが保安視庁及び公的機関では『第六感』と呼ばれている。通常の人間には感じられない感覚、著しい成長の発達や、聴覚や視覚といった五感の突出した発達現象。それが第六感だ」

 正義は三鷹の説明に小さく頷く。課にいる全員がその言葉をじっと聞くように静まっていた。

「単に、それが第六感として成長するだけなら良い。だが突出しすぎるが故に、思考、行動、力と一般人を上回り、ひいては国を脅かす程の事件を引き起こす発端となった。過去の事件については──皆も知っての通りだ。合奇には後々ここでのデータを引き継いでおく」

 

「承知の上だろうが、六課の事件は主に捜査一課との合同で行われる。いや、行われてきたと言うべきか」

 そう、三鷹がつまり本当に言うべき事は一つであった。正義の持っていたジュラルミンケースを持ち上げ、胸元で掲げるようにして一同へ見せながら言う。

「だがここにいる合奇が、この『PD』で本人が第六感を所持しているか否か判別できる技術をアメリカから譲り受けてきた、つまり、これまで通りの合同捜査は打ち切りだ」

 喜びの溜息ばかり、ではなかった。どちらかというならば安堵より、何とも言い難い空気が流れる。その空気を代弁するかのように、室内後方で聞いていた男が手を挙げて発言した。

「それはつまり、今後は一課に捜査協力を求められない、ということですか」

 実際、現在に至るまで第六感の有無を、現場から確実に確認できた試しはなかった。そのためにあらゆる方向で調査を進めていく……だからこそ一課の知識や合同捜査も得られたのだ。それが無くなるとなれば、設立されたばかりの自分達のみでの捜査は厳しいのではないか。そう考えるのが妥当だろう。

「すぐに打ち切りとはいかないが、徐々にそういう方向へなるな。……何事も変化が大事だ。既に上からの許可は下りているし、他の課にもこの技術の件については通達済みだ。勿論、これ以上に成果が挙げられるだろうが、その間これ以上忙しくなるのも避けられない。異動願いがある場合は、私へ一言送ってくれればいい。他の課への移動を考慮しよう」

 室内はしんと静まり返った。三鷹の言葉が嘘ではないと、皆が分かっていたからだ。そして三鷹は、正義と、その第六感を判別する機械の受け入れを止めるつもりはないと言う。それは第六課として、良くも悪くもの判断であった。


 そうして即時解散と共に、昨日まで行われていた捜査の続きが開始される。辞めるとなれば、今週中にでも三鷹の元へ届け出が出されるのだろう、自分が来たことで仕事を奪われる人間もいればこの課を去っていく人間もいるのか。と正義が事の重大さを考えている一方でどん、とぶつかってくる肩があった。わざとなのは分かる。ぶつかってきた男は五十代ほどか、オールバックになでつけられた灰色の髪とサングラスが印象的な、ほぼヤの付く人間に見えた。

「どうせ此処に来るんだって、前からわかってたことだろ。あんま重く考え込むんじゃねぇよ」

「ええと、誰でしたっけ」

「おい、こら」

 口調こそ悪いが、サングラスの男は笑ってじゃれ合うように正義の肩に腕を回した。「イソさん、変わってませんね」と正義が笑う。

「おうよ。変わってねぇ渋さだろ?」

「渋さまでは分かりませんけど……」

 とまで正義が口にすると首を絞められる、もちろん動作だけで力はほぼ入っていないのだが。こういったスキンシップは彼なりの歓迎法なのだ。見た目が見た目なだけに、怖がられることはしばしばであるが。

 親し気に声をかけてくる、正義が「イソさん」と呼ぶこのサングラスの男は「五十棲(いそずみ) (かける)」。いかつい顔つき、年々に増して彼はいかにも他人が近づかなさそうな見た目になっている気がする、と正義は以前を思い返していた。それもそのはず、五十棲は第六課に来る以前、麻取(麻薬取締)にいたところを六課へ引き抜かれた人物である。無意識的にそういった態度や口調が出てしまうのは仕事柄なのだ。

「丁度いい。五十棲さん、此処でのやり方を合奇に教えてやってください」

 デスクから立ち上がった三鷹が言うと、五十棲と呼ばれた男はおうと応える。三鷹はそのまま部屋を出て行ってしまった、先ほどの会議室へ向かうのだろう。五十棲の話によると、最近いつもああして忙しいのだとか。五十棲は正義の左隣にある椅子を回し、半ば乱暴に腰かけた。そこが彼自身の席であることは、デスク上の散らかり様からすぐに分かった。

「つっても、現場実習時代に来たから大体は覚えてるだろ」

 テーブルに肘をつきながら五十棲は言った。そう、正義は米国で通っている大学の中で受けているコースの実習先として、わざわざ自国のこの班を選んだ。手続きが面倒臭いだろうと周囲には止められたが、強固な意志を以てして、何重もの入国審査の警備ゲートを突破してやってきたのだ。

「あん時はまだ今以上にひよっこだったなぁ。あれは……田宮が引き抜かれて来る前で、鈴久保が新人だった頃か。研修は何人かいたけど、中でもお前はずーっと俺たちの後ろに雛鳥みたいに付いてきてよぉ」

「忘れてくださいよそんなこと。今日からは以前と違って、役立てる分野も、此処でのやり方も学んで来ましたから」

「そりゃぁ期待しないでおくわ。えーと、じゃあ次は班員か……今手が空いてるやつ片っ端から紹介すんぞ。あーっと、じゃあフジ、起きてんだろー」

 「フジ」と呼ばれた先には長いグレーのソファがあり、そこで横たわっていた人物が掛け声と共に起き上がった。よれたスーツによれたシャツ、くせっ毛で無精ひげの生やした男だった。

「仕事中だぞ、起きてるに決まってるだろ」

 それは低く鋭い声付きで、緩まった正義の空気をきゅっと引き締める言葉だった。ぶっきらぼうな声に、五十棲はわざと肩を竦めて見せ、正義は口を閉じる。その男は恐らく、新人の紹介と詳細説明の為に起こされているのが嫌なのか、はあとため息をついていた。この男は「乙藤(おとふじ) 光太(こうた)」五十棲とは同期であり、以前同じチームを組んでいた年があったという。五十棲と乙藤のコンビというのはとても想像がつかない、五十棲が一方的に喋っているような絵が容易く想像できた。起き上がり、少し正義を眺めると乙藤は立ち上がって奥へと去って行ってしまった。

「乙藤も前に会ってるだろうし、ま、あいつはいいわな。そのうちコンビ組む時にでも話を聞いとけ。あとは鈴久保……は知ってるし、田宮……はどこにいるんだか。とりあえずこの班は六人班制だ」

「六人? でも……あと一人って」

「ここの指揮をとってるのは課長だからな。課長も班員の一人だ」

 合奇は、よりいっそう身が引き締まる思いでぴんと背筋を伸ばす。三鷹の下だけでなく、同じ班で仕事ができるだなんて。思ってもみなかった幸運だ。迂闊な失敗をして足を引っ張るわけにはいかない、と正義は余計に心に命じた。一方で五十棲は特に緊張感もなく、淡々とした話は続いた。

「そうだな、仕事内容は……まあ勉強してたんだからわかるだろうけど。まず『ロク』ってのは俺達が容疑者とする相手、つまり第六感保持者の事だな。んで、俺たちのいるこの課は通称『ダイロク』。仕事は主に第六感が使われた事件。ほら、あれだ、科学じゃ証明できない謎を解いてくっつー昔の特殊なドラマみたいな感じよ。それが今まで外国との通信で一々時間を食ってたのが、お前のソレで楽になったっつーわけだな」

「けれど、本当に第六感保持者が事件を起こしているんですか」

「まぁ、なあ。第六感があるにしろ無いにしろ、それを悪用してる輩が頻繁に出てきてるっつーのは本当だ。さっきの話にもあったろ、一般人じゃできない事をやらかしてみせるってのが……」

「確かに、最近では第六感を扱うことによって思考、筋力、あらゆる肢体の一部が高成長を遂げてはいますけど。単にその箇所が一流だという可能性も……」

「まあ、ヤマ追ってけば慣れる。それらしい、って勘にな」

「勘……ですか」

 朝礼時には人でいっぱいであった六課は、五十棲の話の間でいつの間にか随分と人気がなくなっていた。今朝指示された通り、それぞれの班が移動したおかげで静かになったのだろう。新人だからといって注目や視線を浴びるのが少なくなり、正義にとっては好都合だ。と、そのときだった。

「また『長年の勘』ですか? イソさん」

 突然、横から間延びした声が背後から聞こえて来る。肩を竦めて後ろを見てみると、知らぬ間に見知らぬ人間が立っていた。


「おいおい、まだ俺が話してるところだろ、年上を立てろ」

「今時、年功序列なんて流行りませんよ」

「うるせっ」

 そう横槍を入れて来たのは、正義が初めて見る六課の人間だった。朝礼にも見かけなかった男、髪は少し癖が入っている、歳は自分より少し上ぐらいに見えるが、引き締まった動作も所作も見られない、どころか二課かはたまた別の部署のほうが似合っているのではと思うほど飄々としている。ひょろ長い体つきで、嵐にでもあえば吹っ飛んでしまいそうだ。男は自ら紹介を始めた。

「あー自分は田宮信春たみやのぶはる、ども」

「あ、はい、合奇正義です、先日付けで……」

「さっき聞いてたって。そう固くするなよ、今は課長もいないんだし。まだデスクも来て無いんだって? 菓子食う? さっき買って来たんだけど」

 へらへらと笑い、田宮は正義の右隣にある自分のワークチェアを引っ張り出し、デスクで茶を飲みだした。それぞれの班員がやる事に向かっている中で、この班員はただでさえバラバラだというのに、田宮はそれに輪をかけて暇そうに見えた、それでいいのだろうか。誰かは別の部署へ行き、誰かは誰かと組んで調査に出て行き、誰かは証拠品のデータ整理をしている。動いていないのは自分、それと田宮だけだ。乙藤は自分の席に戻って(とはいえ課長のデスクからそう遠くない)いるし、五十棲も隣にはいるが、何やら送信されてきた連絡を片っ端から開いている。鈴久保は、と室内を探すが朝礼の後から見当たらなかった。

 やる事も指示されない正義は、とりあえずと用意された椅子に座り、田宮が買ってきたボトルの飲み物をちびちびと飲みながら、自分の端末を取り出した。少しでも早く、此処での仕事に貢献したい一心なのだ。五十棲に過去の第六感が関与している事件データが欲しいと言えば、唇を突き出すようにして考え込み、課長の許可が下りるまで待ってろと言われてしまった。さていよいよする事も無くなってしまった、と肩を下ろしていると、自分の携帯端末でデータニュースの芸能欄を眺めていた田宮がふと、口を開く。

「そういえば、川沿いの被害者、ポストだったんスか」

「……まぁ、そうだな」

「ポスト?」

「正式にはポストヒューマンな」

 何かの俗語なのか、聞きなれぬ単語に正義が首を傾げる。どう返答したものか、困り口になって五十棲が肯定するがあまり使われる言葉ではないらしい。そのポストヒューマンとやらに関してはデスク向こうにいた乙藤が、何も知らない新人へ喝を入れるように問いの答えを返した。

「この国で六感を持つ人間の総称だ。第六感を持ってるヤツだよ。本来の意味を離れて『作られた新たな人間』という意味で使われている。差別用語とはまた違うが、俺達、視庁の者が安易に使っていい言葉じゃない」

「ほら、お年寄りは流行りに否定的だから」と田宮が普通の声量で笑いながら言う。じろりと、その場にいる彼らより年齢層が上と見られる人々からの視線が集まった気がした。しかし確かに三鷹がいればこの言葉は聞けなかっただろう、差別の類を嫌いとする人だ、と正義は思いながら菓子をあさる田宮を見る。ビニール袋のかさかさという音が止んで、小さな煎餅の袋が出て来た。同時に、ぽんと軽い音がして新たなデータを開いた五十棲がそれを読み上げる。

「よーし今日の内容来たぞ。聞いとけよ、合奇、今日は田宮につけ。あー鈴久保、お前も新人指導よろしく」

 何やら送られてきたデータを読みながら、五十棲が自分のデスクに靴を引っかけて告げる。今日の合奇の綱持ちは田宮と鈴久保だそうだ。「うぃす」と軽い返事の田宮に対し、丁度のタイミングで室内へ出戻りしてきた鈴久保は「はい」と相変わらずきびきびと返事を返した。どうやら五十棲は三鷹からの指示報告を読み上げているらしい。

「今呼んだ三名は例の患者から新たな情報を仕入れるように。それと、橋に取り付けてあるプログラムの管理会社へ行って、もう一度映像の確認。俺とフジは遺族への聞き込み再開……こんなもんか。詳細は各自端末へ転送済み。終わったら各自連絡、以上」

「かいさーん」と軽い声を響かせて、五十棲も上着を引っ掴むと立ち上がった。五十棲、乙藤、田宮。記憶に新しい名前と容姿を記憶する。田宮はさっき取り出した煎餅を一枚口にくわえ、袋に残ったもう一枚を鈴久保へ差し出していたが、鈴久保はもちろんNOと断っていた。



「ポストヒューマン……人間以後、か」

「ほら、ぼさっとしない新人」

 違和感のある言葉にぼんやりとしていた正義の頭へ、鈴久保の突きが入る。此処は六課を出、職員用入口へと向かう通路にあたる。鈴久保、田宮、合奇は言われた通り、先ほど宣言された三人で一塊になり視庁を出て駐車場へと向かっていた。本日の日程は、正義が帰省早々に関わった事件の患者からの調書、それと監視カメラの取り付け会社への訪問、この二つだ。車は先日使ったものと同じ車種を使った。途中、正義は田宮から、課によって車の色が違うことを話されてそこで初めて知る。助手席に鈴久保、後部座席には正義、そして運転席には田宮という図になった。田宮は納得がいかないと言いながらも電源をいれた。

「お前なぁ、俺センパイだぞ」

「年功序列は古いんじゃないんですか。それに私は昨日運転したので」

「あ、じゃあオレが運転……」

「左ハンドルで免許とったやつに任せられっか」

 と、正義はものの見事に一蹴され、仕方なく後部座席で資料を再確認する作業へ移った。

 橋を渡り、都外へ移動する間での車内では、ハンドルに体を乗せるようにしてフロントガラスから空を眺めるように、田宮がぼやいた。

「って言ってもな、被疑者の手がかりすら掴めていない状態だかんなぁ」

「でも日記は見つかったんですよね?」

「ああ、あれな。自殺って線になるとそれらしく繋がるけど、まだそうとも言い切れないみたいでさ。課長が」

「じゃあやっぱり課長も殺人だと……」

 それぞれ支給品である携帯端末に送られたデータを照合する。昨日見たばかりである遺体の発見現場、死因、それぞれの背景や家族構成と連なっているそれからは新しい発見は得られなかった。

「偏見は見聞を狭める、ほら着きましたよ。さっさと出て」

 鈴久保はというと、先輩である田宮への態度もあまり変わらないようだ。オートドライブで橋を渡り、着いた総合病院は、変わりなくどっしりと灰色の川沿いを見つめている。だが一つだけ、正義が訪れた先日とは変わった点があった。

「あれは?」

「記者だろ。ったくどこから嗅ぎつけてきたんだか……ほら、おれらは裏手から回るぞ」

 記者、といっても病院の表入口に群がうのは人ではない、ドローンや飛び交う電子機器ばかりだった。だがそれらが発信するのは人の声で、あれは遠隔操作でのレポーターなのだと田宮が教えてくれた。今や現場で足を使った仕事など三割にも満たない。全てがアンドロイドや電子化されているのだ、公務員のような事務仕事も殆どがアンドロイドによるものらしい。大国アメリカですら見られない光景に、正義ははあとため息を漏らしてそそくさと裏へと回った。


 裏口へ回ると、院長と思わしき、骨骨しい手をした細い老人が出迎えた。表の入口では、若い医師や看護師らが対応して手いっぱいだという。頬にシミのある顔で、院長は頭を下げて三人を出迎えた。

「すみません。どうやら院内に事件性のある患者がいると、別の患者がマスコミに漏らしたらしく……」

「それで、先日お会いした患者はどちらに?」

「今は病室を変えまして、こちらへ」

 部屋が変わったといっても、階が上がっただけで内装は全く同じ作りになっていた。ベッドが一台に相変わらず酸素チューブが繋がれ、それ無しでは呼吸も困難だと老医師は言う。先日と同じよう、鈴久保、正義が語り掛けてみるが反応は一切ない。ならばと田宮がアジア圏内の様々な言語で語り掛けてみるが、それでも閉じた瞼は開くことは無かった。安定して、心音を計る機械が音を鳴らしているだけの部屋は、どこか寒々しく虚しいものだった。

「先日の面会で疲労したのか、今日は一度も起きていないんです。腫れは引いていますし、呼吸もバイタルも安定はしていますが」

 とはいえまだ赤みがかった患部や膨れ上がった瞼の患者を見下ろし、鈴久保は老医師へ問いかける。

「そうですか。昨日我々が面会をした後に変わった様子はありませんでしたか?」

「いいえ、そういった報告は一切ありませんね」

「食事は……」

「この喉ですから、今はまだ点滴で様子見といったところです。何にしろ都外の病院なもので、最新設備はありませんので……」

鈴久保と老医師の会話の後ろで、ジュラルミンケースを持った正義へ田宮が囁く。

「お前の、それ、PDだっけ? でなんか掴めないわけ?」

「無理ではないでしょうけど……五感が戻っていたほうが確かなので……」

 正義の言う通り、PD(Prana Detector)では脳波が取れようと、ウソ発見器のように相手にこちら側を認識してもらう必要性がある。答える事がなくとも、最低限の視覚か聴覚といった五感が必要になるのだった。やれやれと肩を落とす田宮に対し、鈴久保が食い下がるように老医師へ言っている。

「患者を都内に移すことは可能でしょうか」

「……お分かりになられているよう、無理でしょう。まず都の許可が下りない、それに都民や都外の市民らに万が一でもバレたら、それこそ袋叩きです」

「……分かりました、もしも患者が目を覚ました際には、こちらに連絡をお願いいたします。それと、医療費の件ですが、患者が情報提供できる身であれば、六課が持つことになっているのでご安心を」

「はあ、ええ、わかりました。こちらでも十分注意しておきます」

 ぴ、ぴ、と電子音が鳴る部屋での会話は淡々と進んでいく。部屋の窓からは、大きな橋を渡って見えるエプコットと呼ばれる都の大きさが遠くに見えた。ロンドンで見たテムズ川よりも幅広く、川というよりは海に近いようにみえる。都外から見た都内はこんなにも遠く見えるのかと、正義はケースを傾けてぼんやりと眺めていた。「では我々はこれで」と言った鈴久保の言葉ではっとし、四人はさっさと病室を出た。


 向かうは勿論さきほど入って来た裏口だ。歩いている最中、院内にいる患者は珍しいものを見る目つきで、老医師の挨拶後ちらとスーツ姿の三人を見たり、遠くから指をさしていた。申し訳ありませんと謝るのは院長である老医師であった。階段を降りると、階数を表示する点字版の明かりが消えかかっているのが目についた。

 老医師に裏口まで見送られると、病院内を出て車内へ戻り、どっかと腰を下ろして思いきりため息をついたのは助手席に座る鈴久保だった。

「……せめて都内の病院に移すことができれば」

「あの爺さんが言ってたように、まず無理だろうなぁ」

「そんなに厳しいことなんですか?」

「よし、帰国子女の新人くんに先輩が教えてやろう」

 横のアームレストに肘をつき外を眺めている鈴久保をよそに、オートドライブをオンにしたまま運転席の田宮はやや席を後ろへ倒しながら、振り返って説明を始めた。

「第三次世界大戦後、保安視庁と共に富裕層を主に作られた都市、それがあのエプコットだ。実際、視庁が面倒みてんのは都内で起きた事件が八割。都外は視県番として各地に置かれてる、旧県警が見ている、とはいえ都外はギリギリのラインにある。なんせ管轄はエプコットの視庁下だからな、いくら他の視県に助けを求めたところで手出しできる例が少ない。今回の病院を移すってのも、そういうことだよ」

 オートとはいえ、手持ち無沙汰なのも違和感があるのか、田宮はハンドルに軽く手を置いて話を続けた。表玄関にはまだ記者が複数おり、鈴久保はそれを見てナビの順路を切り替えた。

「なら、なんで都外にいる人たちはわざわざこんな所に滞在をしているんですか? グレーゾーンなら、視県のある場所に移ればいいのに……」

「それが問題なんだよ。グレーゾーンって言ったな、だからこそ、都外にいる連中はここに集まる」

 どういうことか、そう尋ねる前に鈴久保がぶっきらぼうな口調で口を挟んできた。

「国別パートナーシップ協力計画、知らないわけないでしょ」

「あ……そうか」

 国別パートナーシップ協力計画というのは、その名の通り、同盟国であろうとなかろうと緊急時には互いに手を取り助け合おうという、日本を含め約50ヶ国が参加している計画だ。その計画の主な仕事は、災害時の寄付金、飢饉時の食糧提供、そして難民受け入れ支援が含まれている。

「じゃああの患者が別の言語を話すっていうのも」

「大戦時に紛れて来たのか、もしくは難民として流れて来た人。恐らくね」

「実際、都外に建てられた建物を使ってるのはほとんどが難民なわけだし……ほら、外、見てみ」

 先日来たばかりの時は知りもしなかった。正義は田宮の言うように窓の外を見ると、確かに外は外国人ばかり。それも車を走らせているこちらのほうがおかしいとでも言うような目つきで、薄っぺらい布をまとった人々がこちらを見ている。そこからは、都内とは比べ物にならない程の格差が見られた。

「難民を受け入れたのはこっちなわけだし、何か起きれば都外担当の課が行くわけだし。食糧は国で最低限配給してるみたいだから最低限イノチの保証はされてるってわけ。でもあの患者はどうやら身分を判別できる物を一切所持してなかった、ってことは……まあ9割そういうことだよな。そんで、都内に難民をいれることは禁止されてる……まあ都外からも入るには検閲がすげぇらしいけど」

 他人事のように、田宮の気だるげな目だけが、外にいた老婆と、その手を繋いでいる少女をとらえながら流した。この国のITは世界的にも最先端のものであり、今や人の手すらいらない状態にある。人口減少に伴い発展された結果のアンドロイドであり、同時に、受け入れた難民達にも労働力は与えられなかった。居場所は与えられたものの、やる事もなく配給のようにただ与えられた食事をとって、教育されることもなく、眠り、彼らは一日を過ごして生きて行くのだろうかと、正義は外を眺めて思った。

「でもまあ、俺らの管轄っちゃあ管轄だから、そのうち慣れるよ」

 え?と正義が運転席の田宮に聞き返す。

「そういえば正式に聞いてなかったんですけど、六課の管轄区域って……」

「ぜーんぶ、ここら一帯で起こる第六感関連、全部、おれらは担ってるわけ。課にいたみんなが疲れてたのも、当然だろ? 多分今朝の話で他に異動する奴出るだろうなーあーめんどくせ」

 ここら一帯とは、一体どこまでの範囲を示して言っているのだろう。車内から見るとほぼ難民のような人々、異国情緒が溢れる一帯だが、そこからまた都より離れると、六課の窓から見えた平坦で大きなアパートのような建物がずらりと並んでいるのが見える。あそこまで行けば、さすがに管轄外だろうと正義は思うも、口にはしなかった。

「でも地方で働く公務員なんてここに比べて、ほぼいないに等しいんだぜ、ぜーんぶアンドロイド。うちの受け付けや国会は例外だけど、事務処理なんて機械にお任せって感じ。地方じゃ国民はほぼ一次産業に費やしてるか、お遊びでベンチャーが多少あるぐらい。むしろ地方民のほうが稼げる場合もある。じゃあここで質問、なんでそんな中、視庁は毎年倍率が高いでしょうか?」

 お答えください、と悪戯に田宮が正義に振ると、正義は少し考え込んでから真面目に答えた。

「……サイバー課が大々的になったから、ですか?」

「さすが、当たり。ネット犯罪が主流になったおかげで、サイバー課は末広がり。うちもサイバー課だけで三種も出来てるし、そこは人員を増やしたいわけだ。アンドロイドやIT企業の大手も都内に集中してるし、都内は技術者にとっては天国らしいね」

 技術者ではない自分には知らないが、と言いたげに田宮は嘲笑すると、倒していた椅子を元の位置に戻して、背もたれに全体重を預け直した。車は整備された道を通ってはいるものの、周りの建物に見える景色は独特なものだ。建物は粗末な居住区を与えられているわけでもなく、ひと昔前まで人が住んでいたような場所をあてがわれている、そんな感じだ。所々に落書きがあったり、剥がれかけているペンキを見るとアメリカの路地を、正義は思い出す。そんな外の風景にも見慣れた田宮は、まだ話を続けていた。

「……っていうか今じゃ考えらんねぇよな、過去の資料漁ると思うけどさ、金目的の殺人やら強盗やら、ばっかみてーな事件が多くて、記事を漁ってるとこれがまたおかしな……」

「田宮さん、そこ左です」

「うおっと」

 鈴久保が田宮のハンドルを借りると、急に車体が左の細道へと入った。がくんと揺れる車内に正義は思いっきり体を倒し、前の二人を見る。危ねぇだろと口を尖らせ話してばかりいる田宮と、全くそれに関わろうとしない鈴久保は、乙藤と五十棲のように対照的に見えた。正義が来るまではこの二人が組んでいたのだろうか、それを今ここで発言すると鈴久保に睨まれそうな気がして、正義は口を閉じた。


 三人がやって来たのは先日、三鷹が目を付けていた通信警備会社である。受付案内のアンドロイドに手帳を見せれば、三人の話は既に聞いていますと、ロビーのソファで待つよう指示された。男とも女ともとれない、そのにこりとした表情に正義は何とも言えぬ気持ちになり、顔を背ける。受付アンドロイドが案内した5分後には、社員である男がやってきた。男は手足が長く全体的にすらりとしており、小洒落たスーツを着こなしていた。

「初めまして、丹沢(たんざわ)です。一応ここの管理部長やってます。なんでも視庁が扱う事件を追うのに、うちの製品が使われるとお聞きしたもので」

 それは三鷹の嘘だろう。プログラムが書き換えられていたとして、社内で任意となっていたとしたら即刻証拠や痕跡を隠滅されかねない。それは極力避けるための嘘だった。すると、鈴久保が即座に対応する。今まで幾度もこういった相手に対処してきたのであろう、かろやかな口調だった。

「はい。現在の所、国内での識別認証プログラムシェア率で一位として話題になっているのが、こちらの製品ですので。都内に取り付けられている橋の監視カメラや、その他も多く扱われていると聞いております」

「嬉しいですねーそうなんですよ。昨今、この情勢ですから、まだ海外進出の許可は下りてないんですが、いずれはね。ああそれと、此処では社内に監視カメラがありますが、あまり気にしないで下さい」

 首からIDカードをぶら下げている他の社員とは変わって、その丹沢だけは何も下げていない。パソコンを前にカタカタと手を動かしている社員のいる部屋を両脇に、三人は真ん中を通る一本の廊下を案内される。程なくして、橋の監視カメラプログラムに携わっている多くの機器が集まる管理室へと通された。中は厳重に警備されており、IDカードとパスワードが無ければ通れないらしい。それでもまだ奥の部屋にあるらしく、四人の足は進んでいく。カードも持たずにセキュリティを次々と通っていく姿を見る三人の目が気になったのか、丹沢は笑って腕をあげた。

「ああ、私にはチップを埋め込んでるんですよ。そこにIDのデータも入っているので」

「それってもしかして、LTチップですか?」

「よくご存じですね! 刑事さんも、ご興味ありますか?」

 丹沢の妙な単語に反応を示したのは、アメリカ帰りの正義だった。LTチップ、というのは体内に埋め込むマイクロチップの一つで、世界大戦次、北欧へと飛んだ日本人が帰国し、開発されたものである。知識だけならば田宮も鈴久保も知ってはいたが、興味はさほどない。

「皆さん現金なんてお持ちじゃないでしょう? うん十年前に言われていたキャッシュレス化の時代、その最先端がこのLTチップですよ」

 北欧発端のチップが今や日本で最高峰と言われている時代だと、声高々に丹沢は自分のシャツを捲って見せた、その左腕にはかすかながらも薄い基盤のようなものが入っているように見える。田宮は口をへの字にして顔を背け、鈴久保は眉間に皺を寄せて見つめた。正義はというと、二人よりも興味津々といった様子で眺めているので、代わりに鈴久保が質問を投げる。

「初めて拝見させて頂きました。……しかし、国内でこの手術は禁止されてるはずでは」

「いえ、それが去年、政府から一部の人間だけに許可が降ろされたんですよ。条件付きですし、それについては言えないんですが」

「うわぁいいなー、自分も実はやってみたかったんですよ。でも日本じゃ駄目ですし、アメリカでもまだそこまで発達していなくて。これって、実際どの程度データが入るんですか?」

 正義の輝く瞳に、丹沢は笑いながらその基盤部分をさすりながら言った。

「私が入れているチップには殆ど、なんでも入りますよ。財布も保険証も全てこれ一つに収まってます。会社の個人情報だってここで管理されてますし、パソコンなんて無くても、データはこのチップに転送して、あとは端末で見ればいいだけですから。楽なものですよ」


 程なくして、三人が案内されたのは【コンピューター管理室】と書かれた一室であった。ここもまた入口がIDカードでの出入りのみで、丹沢が通ればシュッとドアが両側に開いた。中はサーバーのマシンで棚の列が作られており、その奥の正面にはこのビル全体の監視映像が流れていた。右側に簡易的な折り畳み椅子が並べられているのは、視庁から三人が来ると聞いて急きょ用意されたものだろう。室内は真っ暗だが、その分監視映像がよく見えた。

「どうぞ、ここでお待ち下さい。なんでも高速道路のプログラムについて見てみたいとか。そちらの刑事さんはお詳しいようですし、お任せします」

「丹沢さんは、お仕事ですか?」

「ええ、すみません。ここでお仕事の話をさせて頂く予定だったんですが。いまちょっとした会議が入りまして。何かあればそこにある内線3番でお願いします」

 と、丹沢は近くにある内線と書かれたボタンとマイクを指し、頭を下げて部屋から出て行った。丹沢いわく、外出する際にはカードもパスワードも必要が無いらしい。

 

 暗い緑色とでも言えばいいのだろうか、室内は暗室というほどではないが、全面に大きく出ているモニターのみが明かり代わりとなっていた。機材も影となり、部屋の隅まではよく見えない。モニターには橋々に取り付けられている監視カメラから、映像が流れてきている。今でも北側外部から内部へ食糧を運搬するトラックが検査のため停止している。監視映像の列を前にしつつも、やっとといった雰囲気で田宮が張っていた肩を落とした。鈴久保はモニターを端から端まで見、何処の橋に取り付けられたものなのかをチェックしている。

「実際、チップってどうよ。おれあんなん体の中いれたくないわー」

「私も同感です。カード一枚あれば十分かと」

「あの腕、やばくね? えぐいよな」

「まあ、安全性についてはまだ不明点がいくつかありますしね。オレもそこまでやってみたいとは思いませんよ」

 しれっと言い放たれた正義の言葉に、二人は肩を竦めて見せた。

「じゃあ何、さっきのは演技かよ、やるなぁ」

「いえ、でもLTチップに興味があるのは事実です。実際、アメリカでもキャッシュレス化前と後では比較的大きな強盗や窃盗は少なくなっていますし。LTの場合、国が管理するだけでなく複数の企業や個人からもデータが見れるので、脱税や着服が減ったのは良い点じゃないですか」

「んじゃあ、不明点ってのは?」

「逆にあそこまで開かれていると、クラッカーによってはデータがコピーしやすいんです。それにメンテナンスを受けるため、一年に一度の定期検診と、それに引っかかった場合は取り出さないといけないっていうのが難点ですね」

 自分の体内にいれた異物を再び取り出す場面を想像したのか、田宮はわざとらしく、おえと舌を出してみせた。ノートパソコンやパッドありとあらゆるものが置かれている、自社製品を調べるためならば好きに使って良いという事らしい。

「どうする? ご丁寧にパソコンが用意されてるけど」

「使うから、立ち上げといて」

 そう言った正義は、既に自前のパッドから手持ちのサーバを飛び、子会社の警備会社へアクセスするとハッキングをしかけていた。どうやらこの部屋の監視映像を、三人とも黙々と製品であるプログラムを見ている映像のループになるように、仕掛けていたらしい。

 その後、正義はすぐにおかしな点を見つけた。事件当日の映像データに何度も目を通し、後ろで通常通りに本社のサーバ伝手で同じ映像を眺めている二人を呼んだ。

「どう? こっちは何度見ても変わらず、あの日夜中に怪しい人や車が通った痕跡はないけど」

「ならやっぱりこっちが当たりだ。ここ、ほら、この部分、綺麗すぎておかしいんですよ。まるで痕跡を消した痕みたいに」

 言われてみれば二つの映像を照らし合わせれば、秒の差で映像がすり替わっている違和感に気付く。田宮がその痕跡の修復を試みてはどうかと促したが、正義は苦い顔をして答える。

「不可能、ですね。今のところ」

「んー……今のところ?」

 田宮の質問に対して答えつつ、正義は未だ熱心に映像を端から端まで、丹念に見つめている。

「これを動かした人間本人なら、もしかしたら直せるかもって事です」

「まず犯人を先に捕まえなきゃなんない、か。本末転倒じゃねぇかよ……来て損したな」

 肩こりをほぐしているのか首を回し、ぐっと伸びをしてから田宮がため息をつく。彼は残りの一か二かの可能性の話には飛びつかない人間らしいが、鈴久保は違った。正義がリプレイする映像と自分がリプレイしている映像を見つめながら、何かを考えている。

「……ハッキングと殺人、それも二人の殺人と未遂が一人。この事件、単独で出来ると思いますか?」

 鈴久保は何もいない橋の映像を睨みつけるように、画面に向かって話し続ける。「複数犯か」と田宮が前屈みになって肘をつく。

「鈴久保、お前としての意見は?」

「はい。クラッキング行為といい殺人行為といい、理由も見つかりません。もし殺人が不慮の事故だとして、それをわざわざ内と外に分け、データをハッキングしたとしてもそれが出来る人間が社内にいたというのは都合が良すぎます」

「だよなぁ。まあ、念の為ここの社員全員のアリバイはとってみるか……」

 鈴久保の案に沿って今後の意向を決める田宮の様子は、億劫なようにも見えた。一方で二人の会話を聞きながら、正義はじっとパッドの英数字を見つめていた。部屋の薄暗い灯かりだけが三人を真正面から照らし、パッドの明かりだけが正義の顔を唯一見ていた。何か考えがあるのか、それとも考えを出そうとしているのか、その表情は至って真剣そのもので、つい先日着いたばかりの新人とは思えない顔つきだった。



 一方、都内を走るとある車内の中で、執拗に一件の着信が鳴り響いていた。目覚ましのアラームともバイブス音ともとれるその音は、不快な気持ちを増幅させる。ナビに表示される名前に無視していた五十棲は、長い溜息を吐いて仕方が無く通話音を押した。

「はい、こちら六課D班五十棲、ただいま西区。あとで折り返……」

 多少苛ついている声色を隠さない辺りが彼らしいが、その声は電話越しの内容にぴくりと眉を動かした。

『こちらC班、都内西区での風俗店から殺人の通報あり。尚、通報者はアンドロイド新XY-022型。容疑者は都内在住会社員男性、被害者は同僚の男性。至急向かうように──繰り返す──』


 また厄介な案件だ。五十棲はシワを寄せて、サングラス越しに窓の外を睨みつけた。横で寝扱けていたはずの乙藤もその通報に体を起こし、五十棲は真っ直ぐ行くはずであった道を左に曲がるウインカーを出した。ナビに新しく記された目的地、通報のあった風俗店はその先にあるのだ。

 


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