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Epcot  作者: 六曲
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turning



「どこへ行くの?」


 その声は女性特有の柔らかさを含んでいた。責めるわけでもなく、ただ自分へゆったりと問いを投げてくる、自分は何と答えたのだろう。

 誰もが心の内に秘密を持つ、それを秘める相手が身内にしろ社会にしろどんなに親しくなろうと苦楽を共にしようとも、自分自身以外の生き物から完全なる理解は得られない。人が人である限りそれは確実で、絶対なのだ。あなたと私があるように、意識と無意識が存在する。それらはまったく異なった事象でありながら似た形をしており、そして互いに互いを観察することはできない。人が自分の背中を見ることができないのと同じように。



・第一話(三月)


 体が背中から天井へ向けて引っ張られるような感覚とガタガタと機体が地面に着陸する震動で、青年は目を覚ました。明るい橙色の瞳がまぶたの下から現れた。揺れはまだ続いている、何度か瞬きをして夢から醒めていると正面に座るキャビンアテンダントと目があった。よく眠られていましたねと言わんばかりの笑顔が向けられる、男は先ほどの声が彼女ではない事を察した、それと同時に今さっきまで入っていた夢の内容をすでに忘れている事にも気付いた。ここは機内だ、青年の席は左前の非常口付近にあり左には窓、右隣ではスーツ姿の中年男性が疲れた顔でため息をついていた。

「システム障害の為、遅延したことを深くお詫び申し上げます。当便はこれから十七番ゲートへ向かいます、シートベルト着用のサインが消えるまで……」

 アナウンスは続いている。誰かがベルトを外した音がすると、乗客は一斉にあちこちでカチンカチンとシートベルトを解除し始めた。化粧室、喫煙に続いて両脇から絞める図のベルトマークの明かりは消えていない、だが乗客を注意することもなく自分のベルトを外すこともなく、目の前に座るキャビンアテンダントはじっとしていた。青年は顔を左へ向けて、窓から灰色の空と空港を眺めた。開けた風景の中、奥にうず高くそびえ立つ何かが見える、アメリカでいう摩天楼のような山なりの影、青年は見覚えがある気もしたがそれもまたすぐに忘れてしまうのだった。


『Welcome to in Japan,This is Epcot,so…』

 機械的なアナウンスが響き渡る。女性でも男性でもない中世的なその声色は、この国の技術が生み出したものの一つなのだろう。

 国際線のゲートから出た青年の手にはスーツケースが一つ、荷物受け取りの広場を抜けて迎え口に出るが、辺りに人は少ない。エスカレーターに昇るとなんだか道のりが長く感じた、エスカレーターは一定の速度で青年とケースを乗せ、一気に二つ上の階まで続いていた。エスカレーターを降りると、白くてだだっ広い床が延々と続いている。人はほとんどおらず、駐車場出口と書かれたドアの前でひとり、携帯機を弄っていた女性だけがこちらを向いた。青年は軽快な足取りで女性の下へ歩いて行く。

「よっ久しぶり、すず。あれ、迎えってお前? そんなに下っ端なの?」

「皆、手が空いてなかったから、偶々。久しぶりって去年会ったばっかでしょ」

「一年前は久しぶりって言うんだよ」

「荷物は? それだけ?」

「うん。後は送っといた」

 鈴と呼ばれた女性は、黒くショートカットにした髪がすっきりと清潔感を持たせ、黒いパンツスーツの格好がより硬い性格を印象させる。

「それと、これから私はあんたの先輩、その呼び方はやめて」

「はい。……まさか、先輩が直々に迎えてくれるなんて思ってなかったんですけど、暇だったんですか? それとも会社でこういう迎えの決まりができたとか?」

「……忙しいからこのまま本部へ直行するよ」

 差し出された握手の手も見ずに『鈴』は踵を返しさっさと歩き始めた、青年はスーツケースを持ちながら後を追いかける。

 追いかけ始めた正義は、女性の肩越しに陽の光だろう、しかし眩く強い光を見た。その直後、飛行機の中で見た夢のことなどとうに忘れ、機内であったほんの少しの不安も収まっていた。


 運転席には『鈴』が乗り、青年はその助手席に座った。スーツケースは後部座席の足元に横たえている。黒色のレガシーに乗った二人はシートベルトを締めようとしたところで、『鈴』が上着ポケットにある異物の存在を思い出し、隣の青年へ異物を取り出し手渡した。

「はい、これが今日からあんたのここでの職務手帳。ID代わりにもなるから無くさないこと」

 青年はそれを、欲しかった玩具をプレゼントされた時の子供のように胸を高鳴らせ、黒革で包まれた手帳を開いた。自分の顔写真と番号、名前がそこにははっきりと記載されている。

「うおー……やっぱり日本の新しい手帳はかっこいいなー……」

 その手帳に載っている彼の写真、その横には『合奇 正義』とある。これがその青年の名であった。彼の短い髪は海外で染めて来たのか明るい茶髪、オレンジに近いほどだ。とはいえこの職務では、うん十年前ほど見た目の義務化は規制されておらず、彼のやや明るい髪色も認められていた。職務規定以外に、まだ何も書かれていないページを捲る正義の目は、若さと持ち前の明るさでらんと輝いている。

「お前のは? ないの? あ、あったあった」

「なんで勝手に……」

「そこに落ちてたから拾ったんです」

 子供のような言い訳にまあいいかと呆れながら、女性はハンドル横にあるナビへタッチとスワイプを行うと、電源一つでエンジンを吹かし、ハンドルを切りながらさっさと空港駐車場を出た。

 正義はまだ手元にある彼女の手帳を開く。精悍に写っている証明写真の横に名前が記載されている、『鈴久保すずくぼ らん』それが今運転席にいるショートカットの彼女の名だった。短い髪は相変わらず、素っ気なさも相変わらずだと正義は鈴久保の顔写真を見ながら昔の思い出に思いを馳せた。

「そんなものより、こっちを見て」

 そう言われた正義は、ページを捲る前に鈴久保の手帳を奪われ、代わりに渡されたレーザーポインターにも似た携帯ファイルのスイッチを入れた。丸くて細長いボールペンのようなメモリ。中からはデータ化された報告ファイルが現れる。宙に浮いたデータを手慣れた手つきで次へとめくれば、突然悍ましい画像が現れた。

 画像を拡大して見てみると、遺体の顔が酷く腫れあがり恐らく目と思わしき箇所に集まるかのように蛆虫がいくつも這っている、検分によると蛆は血と涙の混じった液体に寄っているとのことだ。死因は失血死とある。ファイルは二種類あり、もう片方は青白い肌が先ほどの遺体とは対照的で、こちらの遺体は濡れた前髪が額にはりつき死因は溺死と書かれている。二者は同じ河川敷で発見されたものだが二人に共通点はなく、前者が男性、五十代半ば、生まれ育ちは都で無職、兄弟家族はなく、相続した遺産で暮らしていたものとみられる。後者は女性、二十代前半、出身が都外部で後に内部へ越してきたらしい、仕事は講師、両親共に健在兄が一人皆都外で暮らしている。と家族構成まで綺麗にまとめられていた。

「女性のほうは第六感持ちだったのが、神経内科の医師によって診断結果がとれてる。従って、昨今の反第六感主義者の批判的な目に耐え切れず自殺したという意見もあって……。親族友人にも第六感のことは話していなかったみたい。でも彼女の筆跡で自身について、自分の第六感について書かれた日記が見つかった」

 人は、強い感情の類は文字に書きだすことで発散できるという。恋情、真偽、後悔、怒りや悲しみ。正義は日記を書いたことは無いが、今は亡き被害者が日記をつける習慣があったおかげで、こうして捜査に進展をもたらすタネが引き出されるのは有難いことだと思った。

「そこには同じ河川敷ってあるはずだけど、二つの遺体は対岸に横たわっていた。男性は都外部側、そして女性は都内部側」

「ふぅん。死亡日時が近く同一の河川から発見されたことで、同一犯ってことになってるのか」

「一応ね」

「ちなみに都って、やっぱりあそこ?」

「『エプコット』ね」

 正義が窓の外を眺めて視線で差す、高層の建物がいくつも立ち並ぶそこは大きな川で囲まれた地区で、そこへ行くには空港から真っすぐ上がる、南口を含めた七か所からかかった橋を渡る必要がある。二人を乗せた車は『エプコット』と呼ばれる区域へ向かうため、南口の橋を走るレールに乗り始めたところだ。正義は車窓を下げて少し身を乗り出す、数日前に遺体が置かれていたという河川敷の片方を後ろに、もう片方は橋を渡り切った向こう側にある。エプコットとその外を分け隔てている広々とした灰色の川をぼんやりと眺めていると、鈴久保から注意を受け、頭をひっこめた。


 事件が起こったのは三日前の午前一時から二時にかけて、そして二つの遺体が発見されたのがその翌朝のことだ。発見者は都外部でランニングをしていたという一般人、難民保護のため協力隊へ申請している都外部の学生だ。正義の目が資料データを読み込むように動く。

「同じ犯人だとして……、わざわざ二人を対岸に分けて置いた意味はなんだ? それに二人共、住まいは都部だし、自己防衛プログラムに登録されていたんだよな? 報告書にある通りだと、当時の行動はハッキリしてる」

「そう、二人とも変わった痕跡は無し。勿論会っていたような証拠も、関係性も無くて……」

 『自己防衛プログラム』はエプコット都内部、橋を渡り都心部側に住んでいる国民が必ず登録しなくてはならない国容認の正規プログラムである。登録した人間は静脈認証で店や病院、外部へ渡るための橋に取り付けられている機械によって、その名の通り行動パターンが逐一証拠として残されるのだ。それによって身体の容態、会社や建物への出入り、アリバイが証明される。正義の言う通り、二人の被害者はエプコットから出た痕跡、つまりデータが残っていないのだ。

 すると、二人の会話を遮るように車内へ通信が入った。

『ガイシャが意識を取り戻した。至急証言を得るため病院へ向かうように』

 それはたった今、その河川敷殺人の被害者が面会可能となったという知らせである。ぶっきらぼうな男の声が聞こえ、鈴久保の「了解」と共にすぐに通信は途絶えた。正義は車内の音源を探すように見回しながら、首を傾げた。

「病院? でも被害者は皆、死んだって」

「……他にもいたの、一人だけ意識不明住所も不明、問題有の重症者が。そういうわけで今から病院行くから、Uターンするよ」

 鈴久保の急な荒っぽいハンドル捌きにも対応できるような車体だが、後部に置いたトランクと助手席の正義は遠心力に逆らえず、がつんと窓に頭をぶつけた。声にもならない痛みに呻き、正義は車内で一人うずくまっていた。



「日本国保安視庁、第六感犯罪取締課の鈴久保蘭です」

「ええと、同じく、合奇正義です」


 都外部、河川敷沿いに建てられた総合病院、『コウセイ総合病院』九階建ての三階、角部屋に鈴久保と正義はやって来ていた。慣れた手つきで手帳を見せる鈴久保に対して、正義はポケットに突っ込んだ手帳を取り出すのに苦戦していた。

 築四十年はあるだろう、老朽化が見てとれる昔ながらの建物の造りに、院慣れていない正義は鈴久保の後を歩きながらきょろきょろと見回した。生身の人間がいる受付に待合室、からからと自分の点滴を押して歩く老人、各診察室の前で人が並ぶために設置された薄汚れた緑色の長椅子を見る、破けた端から黄土色のスポンジが見えた。

「こちらです。先ほど意識を取り戻したばかりなので、あまり無理はさせないでください」案内した看護師はそう告げると、静かに部屋から出ていった。同時に、外にある部屋の表示板には『緊急面会中』の灯かりがぱっと灯る。


 個室の主はベッドの上に寝かされ、酸素チューブや点滴の管が繋がっていた。

「……重症っていうか、この人……もう」

「黙って。……もしもし、聞こえますか。我々は視庁の者です、三日前、河川敷で起きた事件についてお話を伺いに来ました」

 鈴久保が話しかけるが、ベッドの主はだんまりであった。外見は男、ぼさぼさに伸びた髪や髭。話したくとも話すことができない様子だ。何故なら顔のどこもが腫れぼったく、看護師によると喉や口も酷く荒れているので喋るのは困難らしい。それは、正義が先ほど車内で見た遺体に似ていた。腕にはバンドがはめられており、自分で傷を悪化させぬ為だろう、既に引っ掻き傷が幾つも腕や顔に痛々しく残っている。

「口頭でのやり取りが難しいのなら合図でも構いません、私の質問に、はいか、いいえで答えて頂きたいのです。はいなら一度、いいえなら二度、目の瞬きで応えて下さい。出来ますか?」

 鈴久保が声を掛けても男はだんまりを決め込んでいる。目は片方が腫れぼったく、もう片方には外傷は見られないが瞼を閉じているため何も聞き入れていない様子だ。

「……黙秘するということなら、視庁としては」

「あの、この人、耳が聞こえていないんじゃない? ほら、左は腫れてるし」

 後ろで突っ立っていた正義の言葉に鈴久保が反対側の耳を見てみれば、確かに左耳は晴れており、反対の右耳にはしっかりとガーゼが宛がわれているではないか。これでは眠っていても聞こえるはずがない、心電図は正常に作動しているのだし少し揺り起こしてみようと鈴久保が、患者の肩に手をかけようとしたその時だった。

 目が、腫れのない左目だけが半開きになって鈴久保をじっと見つめている、視線に気づいた鈴久保がハッと手を離す。患者の男は何も言わずに、自分のベッドを見下ろしている鈴久保をじとりと見つめた。

「……お休みのところ、申し訳ありません。我々は保安視庁の――」

「う、うう、う、」

「……どうしたました?」

「おお、う」

 老人は何か語ろうとしている、それは二人にも理解できたがその内容はくぐもった声では聞き取れない。『保安視庁』という単語に反応した目は、濁り、僅かに血走っていた。患者の男は半開きにした口で嗚咽のような声を漏らし、何か言いかけている。伝えたいことがあるに違いない、そう確信した鈴久保は正義をベッドの反対側に呼び、意思疎通を図るように命じた。

「出来るんでしょ、やって」

「今? ここで? 急に言われても」

「やれるならやる、早く」

 圧に押されて正義が空港から直で運んできた、ジュラルミンケースから取り出したのは、三枚の丸型をしたシール型のパッチ。そのシールにはコードが繋がれており、コードの先には、ジュラルミンケースの中にある薄型の携帯パッドがあった。

 パッチ(電極)が貼られた三ヵ所は、右脳、心臓部、そして右腕の静脈部。鈴久保が、医師と看護師に了承を得て戻ってきた時にはすでにパッドが貼られていた。正義はケースを真横の棚に置いて、電源を入れ準備を始めている。


「見るなら脳波だけじゃないの」

「いや、脳は一か所でいいんんだ、MRIやCTにかけたところで分からないし。それと心臓と右腕のはそれで意味がある」

 今度は正義が慣れた手つきでコンピューターに取り組む番だった、鈴久保には専門外の分野で、その画面を後ろから見ていても訳が分からないだけである。それでも彼女は推測した。

「……言葉にはできない波数を機械で受け取り、解読する。そういうこと?」

「当たり。でもコードの解読方法は有数の機関に限られていて、外部へ漏れることは一切禁止なんだ」

「ああ、だから向こうからあんたが呼ばれたの」

「……優秀だから、って言えよ」

 口を突き出しぶすっとした顔で、正義はさらさらとタップを繰り返していく。病院側でつけられている装置とは別に、その携帯パッドには三種の波が表示されており、それぞれ波の下には英数字の列が並んでいる。鈴久保は首を傾げながら見ていた。

「ちなみに脳波の中にはアルファ波やベータ波があるけど、これはどの波なわけ?」

「波って呼ばないんだよ。統合されて、第六感から流れているのは――プラナ」

 プラナ、と鈴久保が後ろで復唱する。

「もともとはヨガの用語で、気だとかオーラって意味らしい。頭にパッチをつけるのは右脳にプラナを使う周波が流れているからで、第六感の核もそこに……お、来た来た」

 携帯パッドの画面には日本語でも英語でもなく、数字の羅列に記号を組み合わせた列が現れた。鈴久保はその列を目にしたが、意味は一文字も頭に入ってこない。すぐに正義の背中がそれをさっと覆い隠してしまったが。

「ここからは企業機密」

「どうせ暗号化してるんでしょ」

「まあ……。あれ、この人、こっちの言ってる事は聞こえるみたいだ、目も見えてる、ラッキー」

「じゃあ質問していけばいい?」

「いや、ちょっと待って。でも記憶があやふやで……」

 痩せこけた頬や落ち窪んだ目からして健康的な生活を送っていない、都内の人間でないのは確かだ。ホームレスか、移民もしくは難民だったのかもしれない。鈴久保は負けじと得られる物がないか、患者を覗き込むようにして問いを投げかけた。それでも返って来る返事は一貫して「わからない」であった。

「日本人?」

 今度は正義に投げられた質問だ。

「多分違う、でも英語と少しの日本語ならわかるって……鈴、中東系の言語って喋れる?」

「無理。田宮さんなら喋れるかも。ああ、田宮さんっていうのはうちのチームにいる私たちの先輩で……ちょっと変な人」

「外国人?」

「いや、日本人。向こう生まれで、日本に来てから後も向こうに派遣されていたらしいから、多分喋れると思う」

「じゃあ、その人に聞いてもらおう。母国語は英語じゃないみたいだから、別の言語で試してみたほうがいい」


 鈴久保と正義が話をしているうちに疲れた患者は、そのかろうじて開いていた瞼を閉じ、いつしか眠りについてしまった。

 雨でもなく晴れでもない。病室から見る窓の外は怪しげな雲がうろついており、室内の空気も落ち着いてはいたが何も進展はなく、鈴久保の長い溜息が一通り仕事を終えたことを告げていた。

「プラナって主要言語によって波が違ったりしないもの?」

「しないよ、第六感はいわば感覚や感性のものだから。こっちが語り掛ける側だとして、相手の理解できる言語かコミュニケーションで対応すれば、この機械は相手がどこ出身でどの言語を使っていようと、統一して同じ信号を出してくる」

「そう……」

 眠りだした患者の体からパッチを外している正義の後ろで、鈴久保は腕組をしながらその様子をじっと見つめていた。

「そういやこれ、上司の許可無しに使って良かったのか?」

「課長からの許可はとっくに降りてるから」

「仕事がお早いことですね」


 老人が眠りにつくと、二人は病院を後にした。後程また面会に来ると看護師へ告げて。あの患者はまだ心身ともに傷を癒す時間が必要だと担当医は言っていたが、記憶障害なら尚更だろう。その上、今日は正義の入る六課の鈴久保がいるチームは、皆別行動をとっており証言の照らし合わせやカメラの確認、亡くなった被害者遺族へ聞き込みをしに出ていた。先ほど鈴久保が話した『田宮』もそのうちの一人であり、今頃は怖い顔をした先輩と共にあちこち回っているのだろう。


 鈴久保がハンドルを持ってこれから向かう先は『日本国保安視庁本部』。この名は戦後『警察庁』が名称を新たに変えた事で縮めて『保庁』『視庁』などと呼ばれている。都心内部で最も高度、地価共に高くもある一等地に立っていた。丘のような場所にあり、他が高層ビルとなっている中で唯一横に伸びた建物だ。蹄鉄型、正面から奥へ行くのにつれほんの少しずつ高くなっている天井は、国の建物らしからぬ構造だ。

「へえ、データで見たのより……なんていうか、美術館っぽいな」

「何十年も前のデータでしょ。一体いつの勉強してるんだか」

「向こうの大学でも、まだ日本についての学科やコースはあるんだからな」

 車を降りた鈴久保はエンジンを切る音も、鍵を閉める音もなくキーをポッケに突っ込んだまま颯爽と横入口から入っていく。二人が降りると車はひとりでにエンジンが切られ、ロックされた。流石は日本車、と正義が呟く。鈴久保が颯爽と正面入り口とは別方向へ向かっていくのに、正義は並んで尋ねた。

「正面じゃないの?」

「いいの、横から入るほうが早いから。手帳にはIDも組み込まれてるんだから無くさないでよ」

「えっ、あ、ああ」

 慌ててズボンのポケット、コート、と探して胸ポケットに入っていた手帳を取り出しながらほっとする正義に、鈴久保は呆れたようにため息をつく。横のゲートは関係者以外立ち入り禁止となっているので人はいないものの、チェックは厳しいらしく入口ではIDの認証と静脈認証が行われる。この場合、正義の記録は既に登録済みである。


 本部へ戻る方法としてエスカレーターが行き来している内部は、後回しにされ、とりあえず移動手段として一番簡単であるエレベーターで上がってきた。本来ならば緊急や一上層部の人間にしか使われないエレベーターらしい。角が丸みを帯びている手すりに、モノクロで仕切られた中の床、そして後ろを向けば街全体を見下ろすことができる鏡張り。確かに通常時には使えない絢爛さがあった。

 外の眺めに目を輝かせていたのも束の間、六課へと続く廊下を歩いていくと、新人である正義にちらほらと視線が集まった。横を通り過ぎる者、前を横切る者、誰も何も言わないが他の課が自分を見ているのはすぐに感じ取れる。

「六課ってだけで厄介がられるから、新人くんは舐められないようにね」

 先輩である鈴久保もあの物見遊山な視線を浴びて来たのか、しかし今は堂々と、むしろ彼ら以上にこの場に相応しい振る舞いで彼女は道の先を行く。廊下は広く、先ほど行って来た病院よりも幅があり、また清潔だ。第六感犯罪取締課は、三階の正面から向かって左端にあった。あるというより後付けされた形の表札は、それまで廊下で通り過ぎてきた他の課よりも新品に見える。閉じられている扉を鈴久保がノックし、自然な流れで中からの声も待たずに入っていく。正義もそれに続いた。

「お疲れ様です、三鷹課長」

 デスクが並んだ部屋の中、一つ奥に部屋を一望できる一回り大きな机がある。木製でしかし光沢のあるその机を前に、椅子に腰かけるスーツ姿の男は、部屋へ入ってきた二つの人影に目線を向けた。

「ああ。証言がとれないというのは聞いたが、被害者の具合はどうだった」

「遺体で発見された二名同様、腫れの酷い状態ではありましたが、今のところ意識も戻り緊急の事態ではないそうです」

「そうか、緊急ですまなかった」

「いえ、人手不足は承知ですので」

「ご苦労。それと……」

 鈴久保からの現状報告、そして新たな一員に男は目を向ける。三鷹幸治みたかゆきじ、ワックスできっちりと後ろに固めた髪、端が琥珀色をした黒眼鏡、少しくたびれた声色から疲労が見える、だがその威厳は一年前と全く変わらず、むしろこの場に馴染んでいる。彼こそが正義をインターンシップで受け入れ、そして引き抜いた六課の課長である。三十後半とは思えぬ落ち着きと、キャリアにしてエリートコースを選ぶことなく六課を設立し、また年齢性別関係なく部下を率いるそのカリスマ性に、正義は憧れていた。

「お久しぶりです!」

「この忙しない中で来るとは、お前も運が良いのか悪いのか、だな。久しぶりだ合奇」

「三鷹さんがお元気なようで、なによりです」

 鈴久保がぐっと正義の肘をついた、慌てて「課長」と付け足す正義だが、三鷹はその鉄面皮の中でふっと笑いかけ握手を指し求めてくる。慌ててズボンで手汗をふき取り、正義はそれに応えるよう手を握った。


 一通りの報告を聞き終えた三鷹は、何か考える仕草をした後に受け取ったデータを新しく更新させた。

「あの患者についての証言は、合奇、お前がとれ」

 三鷹の命令には当の本人よりも先に鈴久保が発言した。

「ですが、彼はまだ来たばかりの新人ですよ」

「勿論、新人一人には任せっきりにできないがそのパッドを操れるのは合奇しかいない。なので今後は鈴久保、田宮、乙藤、五十棲の四人で交代してペアを作らせる」

 三鷹の目線は更新データから離れない、先ほど報告された記録を手元の薄い入力機で打ち込みながら、同時に二人へ指示を促す姿は手慣れなものだ。六課には現在ほとんどの部下がいない、元より少ない人数だとは聞いているが班もたった一つだと聞く。意味のない装飾が一切ないこの一室は、人がいない今殺風景に見える。三鷹は続けた。

「今、田宮は遺留品担当、乙藤は各データの調べ、五十棲は証拠を洗っているところだ。合奇、お前には悪いが今、この課では研修期間が与えられない。班員に付いてその技術や仕事を学べ。鈴久保、これは必ずだ。何か難を付けて逃れるような者がいれば――いない事を願うが、その者には『今日からお前が新人教育係だ』と任命しろ。いいな。俺が直々に任命を許可したと伝えておくように」

「……はい」

 新人に重要な役割を任命、というのが気に食わないのか。鈴久保は眉をひそめて承諾した。その通り、人手不足のうえ第六感を測れるのは合奇正義のみなのだ、当然といえば当然のことだろう。壁に埋め込まれたデジタルの円時計がきっかり午後六時を示した。と同時に、廊下からはあちらこちらと人の声が聞こえてくる。

「定時だな。……鈴久保、今日はもう帰って良い」

「ですがまだ、まさ……合奇へ引継ぎが終わっていません」

「昨日も遅くまで残っていただろう、保安視庁の規則だ。我々が日本国民を守るためには睡眠時間、十分な食事、休養が必要であると。今日の引継ぎは俺が教えておく、帰って休め」

「ありがとうございます」

 上下関係がない組織とはいえ、鈴久保はこの日本国ならではの年功序列とやらを自身の銘文にしているらしい。頭を下げている姿は、上司よりも先に帰ることが許せないのだろう。勿論怒りの矛先は自分へと向かっているのだ。しかし休めと言われようと、恐らく彼女はデータを持ち帰り、家で反芻しては新たな発見を試みるのだろうが。

「お先に失礼します。……合奇、くれぐれも失礼のないように」

 釘をさされた正義は肩をすくめて見せ、その動きに鈴久保は呆れながらも自分のデスクから鞄をさらい、頭を下げてさっさと部屋を出て行った。


 扉は自動だがきっちりと閉められ、六課の一室には三鷹と正義の二人きりとなる。初日から直々に指導を願えるものか、もしくは労いをかけられ直ぐにでも返されるかと思っていた正義へ、三鷹は意外な言葉をきいた。

「それで、合奇」

「は、はい」

「単刀直入に聞こう、エプコットそれぞれの橋に配置されているカメラ、正面入り口、裏口。そしてこの建物内に取り付けられているカメラを、ここでハッキングしデータを改ざんは可能か」

「……すごい考えしますね、三鷹さん」

「課長だ」

「できます、三鷹課長」

 

 正義の自論はこうだ。まず聞いた限り、視庁でクラッキングに対する防衛は、大三次世界大戦を迎えてからこの国の技術は急速に発達を遂げた。それは他国の間に挟まれ、巻き込まれた国とは思えない程異常な成果を遂げたようだ。戦前戦後と変わらず、日本の技術は世界で賞賛されている。第三次世界大戦の幕開けとなったクラッキング問題以降、視庁に採用される人間の大半はその類の攻撃に強い。だが一方で、内部でも不正が行われていてもおかしくはないのではないか。というのだった。

「俺はプログラミングを勉強したわけじゃないんで、何とも言えないんですけど、米国だとその類の採用にはめちゃくちゃ力を入れていますね」

 三鷹のデスク上を借り、薄っぺらいキーボードをすらすらと叩きながら、画面をスワイプしては正義は視庁内の情報を分かりやすく説明した。六課のデータベースを開いて正義は目を通した。

「大丈夫です、ここにはウイルスも何も……攻撃はされていませんし。けど面白いですね、米国だと学校には行かず、独学で大犯罪やネット不正問題に関わってるやつがごろごろいたのに、ここじゃ正規の職員しか認められないなんて」

「この国はお前がいた国ほど自由じゃない。今や監視社会だ、しつつされつつといった所だな」

 プログラムが新たに作られていらい、都内では一切監視カメラというセキュリティが無くなったが、どちらにせよ同じ事だと三鷹は言う。

「それでもその監視の隙を見て悪い事をするやつがいる……と。そして、それが出来るのが第六感を持つ人間……」

「そうだ。その第六感を悪用している加害者を挙げるのが我々『第六感犯罪取締課』通称、『ダイロク』だ」


 詳しい事は後々また話す、今日は到着したばかりだから指定された居住区に向かうように、と正義との会話を終えると三鷹はまた自分の椅子に深く座り込んだ。定時は過ぎたと部下を返すも、彼にはまだやることがあるようだ。正義は言われたまま帰り支度を整える、とはいっても来てから早々使ったケース以外に持ち物はないのだが。

「けれどその自己防衛プログラム、壁穴に小さい抜け道があります。まあ入ったところでどうという事もできないんですけど……。なのでやったとしたら内部の人間か、或いはそれを盗んだかですね」

「企業の人間が持つIDを使って入り込み、映像のデータを改ざんした。だから河川敷にいた二人の遺体がいつ外で出てどこで死んだのかは不明という事か」

「そうです。でも、視庁が映像の改ざんなんて見逃しますか?」

「……。」

 正義が帰り際に振り返る、三鷹は腕組をしたまま黙っていた。ざっと調べていく限り、事件の起こった日にち前後、自己防衛プログラムの橋々に取り付けられた映像だけが偽物にすり替えられていることが分かった。とにかく今日の成果はそれだけで十分、いや被害者の一人が生き残っていたのも十二分に成果といえる。

「じゃあ、ええと、お先に失礼します。また明日」

 音も無くスライドしたドアをくぐり、正義はケースと共に六課の部屋を出て行った。残る三鷹は一人、背中越しに都内部の夜景を照らしたガラス窓に目もくれず、独り言を口にする。


「映像データのチェックを行ったのは誰だ」

 三鷹の背広が静かに語る。

「この二人が殺された理由は何だ」

 眼鏡越しの目が憎むように細まる。


 一人、室に残った三鷹はそれらを見ているのかいないのか、眉間にくっと皺を寄せながら手元にある河川敷の遺体写真を睨んでいた。

 デスクの上では、米国で起こったテロについての特集が三つの映像で重ねて流れている。それぞれが近況の世界情勢を伝える、別言語のものだ。アナウンサー達が語っているのは内容は別として、とある一文は同じであった。

『二年前、チョークリバー、チェルノブイリそして三カ月前、アイダホで起きたテロと相次いで』『過反六感主義、オポシズムとされている思想家の運動だという説が』『当時、当番組に送られてきた犯行声明文ともとれるこれは、アインシュタインの言葉を引用した一文です』ひとつの番組アナウンサーが手元にある一枚の紙きれを読み上げる。中でも四十半ば、明るい口紅を差したアナウンサーの声が最後により大きく響いていた。


『時々、私を朦朧とさせる疑問。おかしいのは私なのか』



 新人視庁保安官、合奇正義は荷物を抱えて帰りの駅へと向かう。といっても視庁から真っすぐ緩やかな坂を下っていくだけの道なのだが、両側には整った芝生が敷き詰められていた。ぽつりぽつりと、同じような帰路に着く人の影が視庁から出てくる中、正義はその建物をもう一度振り返った。無駄のない建物、新しい造形美と言われる保安視庁の建物内で三鷹幸治は何を思うのか。

 この国の春は短い、秋もまた然り。夜が、過ぎていく。


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