②いざ お稲荷様へ
いざ、お稲荷さまへ
一週間前のことでした。
夕食後のたんぽぽコーヒーをいれている時、不意に夫が顔をあげて、こう言ったのです。
「なあ、おまえ、近いうちに、お稲荷さまにお参りしてみないかい?」
わたしにとって、それは思いもしなかったことでした。
「お稲荷さまって、もしかして、あの?」
「そうだよ。キツネのお宮だよ」
夫は、大きくうなずきます。
ふと、わたしの頭に、幼いころ母に聞かされた話がよみがえってきました。
―お稲荷さまはね、キツネのお宮なの。赤い御殿の中に、白いキツネがウヨウヨいるのよ。
母の話しぶりからして、そこはとてもこわいところのように、幼いわたしには思えたのでした。
なのに、この人ったら、なんでまた、そんなところに行きたがるのかしら?
わたしは、夫の次のことばを待ちました。
「実は、前々から、ずっと気になってることがあってさ」
たんぽぽコーヒーをひと口飲み、夫はゆっくりと話し始めました。
「どうして、キツネだけが神様の使いなんだろう? 化ける能力の点では、われわれだって彼らとひけをとらないじゃないか。お稲荷さまにお参りすれば、そこらがなにか、わかるような気がしてな」
さらにびっくりしたことには……。
「もちろん、人間に化けて、お参りに行くんだ。そこの宮司と、話もしたいと思っているからね」
「だいじょうぶかしら?」
急に大きな不安が押しよせてきました。
もし、化けの皮がはがれたら?
人間はわたしたちを、すぐさま捕らえてしまうでしょう。
動物園送り? それともタヌキ汁? どちらだって、ぜったいにお断りです。
それなのに夫ときたら、
「化けることなら、われわれだって朝飯前だろう」
あまりにも自信たっぷりに言うものですから、わたしの不安はどこへやら。だんだんワクワクした気分にさえなってきたのです。
「じゃあ、何を着て行くかは、わたしにまかせてくれる? とびきり似合いそうな服を考えるわ」
それからの数日間、わたしはカラスに化けて、お稲荷さままでひとっとび。
ご神木の上から、お参りに来る人々の服装を観察しつづけたのです。
そして決めました。
夫は、ベージュのシャツとカーキ色のズボン。茶色のブレザー。
わたしは、いちょう色のワンピースと茶色のブーツ。茶色の小ぶりのバッグをひとつ。
あとは、これらを頭の中でイメージするだけで、化けた時には身についているというわけです。
どうです?
わたしたちの化ける能力って、すごいでしょう?
神の使いとされるキツネにも、ひけをとらないレベルだわと自負してしまいます。
「なかなか似合ってるんじゃない?」
ズボンのベルトをしめながら、夫が満足そうな笑顔をわたしに向けました。
「そう? ありがとう」
わたしもうれしくなりました。
新しい洋服もくつもバッグも、不思議なくらいに体にしっくりなじんでいたのです。