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暗がりで泣いていると、誰かが膝をついて手を差し伸べてきた。
ああ、舞踏を申し込まれているのだと感じ、その手を取る。
相手の顔はよく見えない。
それは相手の身長が高すぎるせいなのか、それとも雲が月の姿を隠しているせいなのかは、分からない。
それでも、相手の金色の瞳が宵闇の中で輝いているのだけは分かった。
見上げるように立ち上がり、服の裾を摘んでお辞儀をする。
風が吹いて、月を隠していた雲が払われた。
差し込んできた月光が、見えなかった相手の顔を照らしだす。その姿は……。
「……ライオン」
ぼんやりと目をあけて、天井を眺めながら美月は呟いた。
瞬きをする度に瞼をくすぐる朝日が、起床時間を告げる。
「夢、かぁ。ライオン人間と踊る夢なんて、変なの」
軽くため息を吐いて起き上がると、思いっ切り伸びをした。心地良い倦怠感が全身にまんべんなく広がったのを確認してから、ふとベッドの脇に置かれていた目覚ましを見て……。
水澄市は都会ではなかった。
田舎、と言う程何も無いわけではないが、街中に雑居ビルが立ち並ぶその風景は都会という程洗練されたものではなく、かなり中途半端な印象の強い場所である。
そんな雑然とした街に追いやられるようにして隅っこの方に固まっている小さい森の少し高台に、天竜家はあった。
何代も前から天竜家の住処であった日本家屋の屋敷は、繰り返される増改築の中でもその風情だけは損なわれていない。
「仁さん! 美月! 朝ごはん、出来ましたよ!」
そうして、天竜家の朝に響く女性の声。
食卓を温かな湯気で包む出来立ての朝食が、食べられるのを今か今かと待ち構えている。
そんな食卓に誘われるように覚束無い足取りで現れたのは、目の下に濃ゆい疲労とクマをたたえたぼさぼさ髪の男性、この家の家長、天竜仁であった。
仁を見た女性、仁の妻の明美は、その姿にため息を吐いた。
「仁さん、また夜遅くまで研究なさってたんですか?」
「……ん。何か昨日の夜からどうも皆が騒がしくて気になったもんでさ……」
「もう、余りとやかくは言いたくないですけど……」
明美の追撃が仁に襲いかかろうとしていた時、二階の方から少女の甲高い悲鳴が聞こえた。
「……美月は朝からうるさいな」
仁が食卓に着きながら二階に続く階段の方へ視線を向けるのと同時に、けたたましい足音と共に一人の少女が駆け下りてくる。
「やだ! 何でこんな時に限って目覚まし止まってるの!? 最悪!」
ブレザーに袖を通しながら慌ただしく居間にやってきた少女、美月は食卓に着くなり半ばかきこむ様に朝食を食べ始める。
「あ、こら美月! ちゃんといただきますしてから!」
「ごめんなふぁい!」
明美の叱責に、美月はもごもごと口を動かしながら謝る。だが朝食を口へ運ぶ手は止めない。
物凄いスピードで自分の分の朝食をたいらげた美月は、「ごちそうさまでした!」と手を合わせ、傍の鞄を引っ掴んで転がるように居間を飛び出していく。
「あ、ちょっと! 美月!」
「行ってきます!」
それだけを叫んで家を飛び出す美月。
やがて静かになった居間で、仁が卵焼きを飲み込んでから首を傾げた。
「……アイツ何で制服なんか着てたんだ?」