第六話 魔王、エルフに逢う
てっきりそれは、酒場の女主人の口からでまかせだと思っていたのだ。
面倒くさい客を追っ払うための。
だって、普通に考えて死霊の森の奥深くに家を構えてたったひとりでちくちく針仕事をしてるひとがいるなんて、信じられないだろう?
しかし、眼前にあるのは、たしかに家だった。
丸太作りの、ログハウスと言い換えてもいいような、見るからに人なるものが住んでいそうな、明らかなる家だったのである。
「おい、突き抜けるぞ。走れっ!」
もう亡者どもをまともに相手するのも面倒だったので、おれは言った。
面倒なことはおれにまかせてぴんぴんしていた魔王様は、うなずいて走った。
ここで魔王様がすっころんで、「ふえ~んころんじゃったあ。魔物にかこまれちゃったあ。てへぺろ」みたいな面倒なお約束にならなかったことだけは、幸いである。
家の前にたどりつくと、そこには不思議な気が満ちていた。
踏みしめるは枝や枯れ草ばかりだった道中とは違い、家のまわりには見たことのないきのこや花々が咲いていて、それが青白い燐光を発している。
あいにく、おれは魔王様の言うような魔力とかそういうものにあまり敏感なほうではないのだが、なにか普通ではないということははっきりとわかった。
そもそも、家の近くにいれば亡者どもは近寄ってこられないのだ。
その一点からしてみても、この家のまわりはなにかが違うのだろう。
「これは結界じゃな」
魔王様が言った。
「魔除けの? だとしたら魔王様は大丈夫なのか?」
「だれに向かって話しておるのじゃ。こんな結界わらわにとってはないも同じじゃ」
「ふうん」
返事をしながら、おれは家の様子をうかがってみた。
窓はあるが、うちからカーテンを閉められていて、なかをうかがうことはできない。
でも、屋根の上の煙突から、ぷかぷかと煙が出ている。
だれか、いるのだ。
「なにをしている。さっさと入らんか」
魔王様が焦れたように言った。
「入らんかって……。どんな人が住んでるかもしらないのに、勝手に開けて入るわけにはいかないだろ」
「まがりなりにも勇者とよばれておきながら、このていたらく。他人の家くらいぱっと開けてぱっと入ってぱっと家捜しくらいできんでどうする」
そんなメタな内容、どこで知ったんだよ。
それともこの世界でも、ふつうの勇者っていうのはそういうものなのだろうか。
それは、なんかいやだ。
とりあえず魔王様の言は無視して、おれは扉をおもむろに叩いた。
「すみません、誰か、いませんか?」
こんなところで隠遁してるぐらいだから、いたとしてもろくなもんじゃなさそうだなあという気はしていた。
魔女とか錬金術師とか、それこそ死霊術士とか、そのたぐいの。
「はーい。ちょっと待ってくださいね」
しかし、なかから返ってきた声は、おれの予想したものとはまるで違った。
すくなくとも魔女とか錬金術師とか死霊術士っぽさは皆無で、まるで、近所の大学生のおねえさんの家のチャイムを鳴らした際に返ってくるような、そんな声だったのである。
がちゃり、と警戒する様子もなく、扉が開いた。
そのとき、おれはどんな顔をしていただろうか。
そこには、美人とか、美少女とか、そういった下世話で俗な評をしてしまうことが恥ずかしいと思えてしまうほどに、まばゆい女性が、立っていたのだった。
「えーと、どちらさまかな?」
女性は、すかさず客がふたりいることを見てとったあと、首をかしげた。
透き通るほど肌は白く、金色の髪はあごより少し長いくらい。
その片側を、ささやかなピアスがきらめく片耳にかけていた。
髪の一部分だけがメッシュになっていて、そこだけ瞳と同じ緑色をしている。
そして、そのはっきりとあらわになった片耳は、先が特徴的にとんがっていた。
「……エルフ?」
ぽつりと口走ってしまってから、おれはしまった、と思った。
けれど、女性は笑って「そうだよ」と言うだけだった。
おれは、恥ずかしくなった。
だって現実世界でも、思ってしまうのはしょうがないにしても、初対面でいきなり見た目とか人種のこととかを口にしてしまうのって、よほどデリカシーのないやつだけだろ。
あまりにきれいだったから、と言い訳めいたことを口にしそうになったけれど、それもじぶんの浅さを露呈するだけだと思ったから、小さく「すみません」と言うことしかできなかった。
「まあとにかく、こんなところまで来るのは骨が折れたでしょう。とりあえず、入ってくださいな」
そう言って女性は、にこやかにおれたちを受け入れた。
* * *
家のなかにお邪魔すると、そこには外からは想像もつかない光景が広がっていた。
「おお! これは!」
おれが言葉を発する前に、魔王様が走った。
そして、くるりと振り返り、きらきらと瞳を輝かせて言った。
「のう、アキラよ。これは全部、おみくじスライムじゃぞ!」
「おみくじ……スライム?」
おれはまぬけな声をあげた。
しかし、たしかにそういうものなのだろう。
部屋には一面、ところせましと、様々な色柄の布でつくられた片手サイズのスライム人形が、飾られていたのだった。
「アキラよ、まさかおみくじスライムをしらぬとか言わぬよな」
「いや……しらないけど」
おれがそう言うと、魔王様はたいそうショックを受けたようだった。
いや、そんなに素でショックを受けられると、おれのほうがショックなんだが。
「おみくじスライムといえば、いまやナウなヤングのあいだで大人気のグッズじゃろうが! ひとつひとつデザインの違うかわゆいスライムの背にチャックがついておってな、そこをあけるとおみくじがはいっていて、そのおみくじに一喜一憂したあとは、小物入れに使えるという寸法じゃ! はじめて町でおみくじスライムを見たとき、そのあまりのアイディアの秀逸さに、わらわは舌を巻いたものじゃ。まったく、一週間も町にいながらちっとも気づかないなんてうんぬん」
おれはそのころ、セーラー服のことで頭がいっぱいだったんだ!
と、こころの中で反論するも、その字面があまりに変態くさくて、おれは深く深く落ち込んだ。
「適当な席に座っていてね、いま、お茶を入れるから」
そう言って、女性はいったん奥に消えていった。
魔王様は、見渡す限りのおみくじスライムに目をきらきら輝かせている。
ひとつひとつデザインの違うおみくじスライム。
これを全部彼女が作ったというなら、なるほど確かに、相当な裁縫スキルの持ち主だろう。
っていうか、こんなに夢中になって、この魔王様はほんとうに当初の目的を覚えているのだろうか。
そんなとき、ついに見ているだけでは飽きたらなくなったのか、魔王様がひとつのおみくじスライムを手に取った。
「おお。これはいいのう。おみやげにひとつもらえないかのう。ん。でもこれ、ふつうのおみくじスライムより少しばかり重くはないじゃろうか……」
などとぶつぶつ言いながら、勝手にうしろのチャックをあけはじめた。
「お。おみくじではなく、なにか石のようなものが入っておるぞ。これはいったい……」
「おい、ちょっと。さすがに勝手に手に取ったうえ、勝手に開けるのはどうかとおも……」
「あああああああああっ!」
おれが制止しようとしたそのとき、しかしそれは叫び声によってさえぎられた。
その叫び声は当然おれの発したものでもないし、魔王様が発したものでもなかった。
ちょうどお茶を入れ終えて戻ってきたおねえさんが、発したものだったのだ。
「ん? なんじゃ、これ。なかの石の色がかわっていくぞ」
「投げて! それを投げて!」
「え?」
「はやく!」
おねえさんの様子は、さきほどまでとうってかわってかなり切羽詰まったようだった。
「え、え、えっと……ほれ。アキラ、パスじゃ」
動揺した魔王様は、その不思議な石が入ったおみくじスライムを、おれに放りなげてきた。
「おい! ちょ、ちょまっ」
おれはあわててそれをキャッチする。
チャックからのぞいている不思議な石は、紫色をしていたが、どんどんと赤に向かって変色していっているようだった。
「そうじゃないの! その石を投げて! 外に! ああ、でも窓をあけなきゃ、飛距離がでない!」
「え、え」
「わらわにまかせるのじゃ!」
そう言って、魔王様がすかさず早口で詠唱をはじめる。
するとおれの右腕に、みるみる力がみなぎってきた。
「さあ、投げよアキラ! 今ならカーテンがあろうとガラスがあろうと無問題のはずじゃ!」
「問題だらけじゃねーか!」
いきなり家に押しかけた上に窓ガラス割れってか!
っていうか、いまツッコむことでもないかもだが召喚魔法以外も使えたんじゃねーか!
「ううん、うちのことはいいから、はやく!」
しかし、おねえさんにまでそうせき立てられて、おれは決意をかためるしかなかった。
「くっそおおお!」
おれは窓に向かって、おもいっきりおみくじスライムを投げつけた。
投げたあとになって、ああ、せめてなかから石を取り出してから投げるんだったと後悔したのだが、しかしそんな後悔は杞憂に終わった。
おれの投げたおみくじスライムはすさまじい勢いで飛んでいった。
そして、がしゃあん、と盛大な音をたてて窓ガラスが割れる。
そしてそのまま、すこしも勢いを削がれた様子もみせず、おみくじスライムはどこまでもどこまでも飛んでいった。
そして、しばしの静寂の後。
どおおおおおおおん、というすさまじい爆発音が外から聞こえ、地が揺れて、窓の向こうが一瞬真っ赤に燃えた。
おれは、息を飲んだ。
さしもの魔王様も、唖然としているようだった。
なぜ、おねえさんがあそこまで必死だったのか、やっとわかった。
——あとすこし、手放すのが遅ければ、この家が爆心地になっていたのだ。