第五話 魔王、死霊の森を征く
「はあ〜〜〜〜」
うっそうと茂る暗い森を前にして、おれは盛大にため息をついた。
おれたちはくだんの港町から四フォートぐらい離れたところにある、通称、死霊の森までやってきていた。
魔王様が意気揚々と酒場の門を開け放ったとき、いっせいに向けられたのは奇異の視線だった。
いわく、なんでこんながきんちょが酒場に来るのだ、という。
そう。
たしかに現代日本にくらべれば飲酒がゆるされる年齢は低いものの、それからしても、わが魔王様は、かなしいかな、『対象外』に見られてしまったのだった。
一方、おれはオーケーだったらしい。
だから、「勇者様、おもりならよそでやってくれよ」と言われてしまう始末だった。
それがなおさら、魔王様にはお気に召さなかったのだろう。
怒り狂い、あげくの果てには「いまここでヒュドラを、ベヒーモスを、キマイラを召喚してやるわ!」などとのたまうものだから、なんとかそれをなだめすかし、そのかたわらで酒場のひとびとから情報を集めなければなかったのだ。
酒場の女主人は、いくら勇者とはいえ、こんな面倒なおまけを連れて来て、さっさと追い払いたかったのだろう。
ほんとうなら手近にいたのかもしれないが、「死霊の森の奥深くに、とっても裁縫がうまいやつがひとりで住んでるらしいよ」という、ありがたい情報をくれたのである。
まあ普通に考えて、ていよく追い払われたのだろう。
おれだって同じ立場ならそうする。
しかし、わが魔王様が「どうせていよく追い払うためのうそだよ」などという常識的な文言に耳を傾けるはずもなく、おれたちはいまこうして、死霊の森の前に立っているのだった。
「ここって、こんなに亡者どもがうろうろしてたっけ……」
むかし、町人の依頼でこの森に探索に来たことがある。
そのときにもアンデッド系の魔物が存在したものの、ここまでうようよ、ぞろぞろはしていなかったように思う。
「それはあれじゃ。わらわが来たからじゃろ」
隣でしれっと魔王様が言った。
「いのちを失ったきゃつらを動かしているのは、魔力じゃ。膨大な魔力をもつわらわの存在に引き寄せられるのは、むしろ当然のこと。たとえるなら、ネギがカモしょってやってくるようなものじゃ」
……それ、逆になってるのに意味があるんだろうか?
「……というか、おまえ魔王だろ。魔物の王だろ。そこらへんうまく説得して帰ってもらえよ。平和的に解決するのが一番だろ」
「むりじゃ」
またも当然のように魔王様は言った。
「おまえは町の領主の顔をしっておるか? その上の王子の顔を、姫の顔を、王の顔をしっておるか? しらんじゃろ。世の中とは、そーゆーもんじゃ」
知名度がないのをそんなに自慢げに言うことでもないと思うのだが、たしかにその言い分はあながち的外れでもなかった。
写真もないこの世界では、たしかに、じぶんに縁のない立場のひとたちの姿って、そう簡単にはわからないのだ。
「じゃあ、とりあえず強い魔物でも召喚してくれよ。さっきは酒場だったからとめたけど、今度こそ解禁だ」
「いやじゃ」
「は?」
おれが青筋をたてそうな勢いだったことを察知したのか、魔王様は負けずにキッと鋭い視線をおれに向けた。
「わかっておらぬ。魔物の、とりわけ強力な魔物の召喚といえば、それはもう膨大な魔力を消耗するのじゃ。ゆえに、腹がへるのじゃ。菓子が恋しくなるのじゃ。それなのに、持ってきた菓子といえば、このいもけんぴ一袋のみ!」
青い猫型ロボットのように、ふくろからいもけんぴを取り出して、魔王様は言った。
魔王様は、和菓子党なのだった。
和菓子党に、なってしまったのだった。
「これしきでは、呼び出せる魔物なぞ、せいぜいこの程度じゃ」
そう言って、なにやら詠唱を開始すると——。
やがて黒い煙とともに、小柄で、ずんぐりむっくりしたなにかが、あらわれた。
「ゴブリンの、ゴビーくんじゃ」
雑魚モンスじゃねーか!!
おれのこころの叫びともつかないツッコみをよそに、当の魔王様はつとめは果たしたと言わんばかりだ。
もう、いい……。
やりあっても無駄だ。
ここはあきらめて先を進んだ方が、建設的だ。
うん。おそらくはそうに決まっている。
なかば無理矢理じぶんを納得させて、おれたちはとうとう、暗い森のなかへと一歩を踏み出したのだった。
* * *
ゴビーくんは、がんばってくれていた。
おれ:ゴビー:魔王としたら、おそらく7:3:0ぐらいの割合だろうか。
そう。
ゴビーくんを呼び出したあとの魔王様といえば、てんで役にたたないのだった。
召喚はだめだとしても、普通に魔法攻撃ぐらいはしてくれるかと期待したのに、
「魔王が手ずから攻撃などするはずなかろう。わらわは召喚魔法専門じゃ」
などとのたまいやがって。
ようするに、ようするにだ。
どうやら魔王様は、めちゃくちゃ燃費の悪い召喚魔法しか使えないようなのだった。
いやあ、役立たずって言うにもいろんな言い方があるんだなあ。
などと、おれは内心こっそり感心してしまったぐらいである。
とにかく、この魔王様を働かせようと思ったら、高級な和菓子をこれでもかというほど積んでやるしかないらしい。
そう。和菓子だ。
おれのなけなしの金をあっというまに溶かした恐るべき菓子。
ここらの普通の菓子なら、自慢じゃないが、おれだって一応、本物か偽者かはさておいて、勇者として名を馳せたのだ。
そう簡単に貯金を食いつぶされたりしない。
このあたりでは、和菓子っていうのは高級品らしい。
海をも越えた東のほうに、ヤポニという小さな国があって、そこからの交易品として、和菓子群は舟に乗り荷馬車に乗り、えんやこらと運ばれてくるのだ。
だから和菓子と言っても、あるのはいもけんぴやらかりんとうやら麩菓子やらの、乾物ばかりだ。
それでもそれらはどれもこれも、珍しい貴重品なのだった。
だから、そうばりばりむしゃむしゃ、ジャンクフードのように食べるものではない。
決して。断じて。
ここらの普通の、常識的な人々は、異国情緒あふれるその和菓子を、特別な、ここいちばんというときの贈答品として、使っていたのだ。
偶然にもいもけんぴを見つけたとき、その値段に驚きながらもついつい故郷なつかしさに買ってしまったのが、運のつきだった。
味はなつかしの日本のものとよく似ていたのだけれど、その味を、魔王様がすっかり気に入ってしまったのだ。
それからというもの、恫喝まがいの『お願い』により、いもけんぴを買い足し、かりんとうを買い、麩菓子を買い、せんべいを買い与え、すっかり魔王様は和菓子党になってしまったのだった。
そう、これはおれ自身のミス、と言ってもよかったのかもしれない。
——と。
そんなことを考えながら、一心不乱に剣を振るっていたときだった。
ゴビーくんが死んだ。
がいこつ戦士に刺し貫かれて、あっさりと。
いままで満身創痍になりながらも、とてもがんばってくれていたが、とうとうここまでだったらしい。
っていうか、やばいぞ。
おれも結構、いろんなところに傷を負っているのだ。
一匹一匹はたいしたことはないけれど、魔王様という極上のエサにつられて、つぎからつぎへと亡者どもがむらがってくるのだ。
そしてとうの魔王様は、てんで役に立たないときている。
いちおう魔王様を守りながら戦わなくてはならないおれは、一時的にでも敵をひきつけ、攻撃を分散させてくれるゴビーくんを、いつのまにか結構あてにしていたらしい。
ああ。なんかちょっとまえに、魔王様も仲間と言っちゃってよかったりする?
とかノーテンキなことを考えた気がするが、あれは完全に間違いだった。
おれのはじめての仲間は、ゴビーくんだったのだ。
もしかしたらおれもここで、すぐにゴビーくんの後を追うのかもしれない。
死ぬ前のたったひとりの仲間がゴブリンか。
それもいいかもしれない。
たしかいただろ、魔物どもを片っ端から口説いてまわった勇者の父。
真に英雄と呼べるものとは、そういうものなのかもしれない。
などと、おれが都合のいい決着のつけかたを考えていたそのとき。
——前方に、家が見えた。