第18話 続・はじめてのお仕事。
2018.08.05 修正
そうして薄暗い森を進む事、体感で1時間前後。未だに目的地と思しき場所には着いていない。
一体どこがもう少しなんだ?
マニエラにまだ着かないのかどうか聞きたいが、下手に機嫌を損ねて置き去りにされるのでは無いかと言う恐怖が先に立って聞けやしない。
そんな事を考えていたら段々と息苦しくなってきた。鼓動も早く胃が徐々に競り上がり始める。
「少し休憩しましょうか?」
行く手を遮っていた太い枝を断ち切ると、マニエラが振り返ってオレに尋ねてきたので、渡りに船とばかりに首肯する。少し落ち着こう。
大きく鼻から息を吸って鼻から吐き出す。
吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー……最後に口から息を吐き出してー…………よし。何とか落ち着いた。
そんなオレの事なんかお構い無しに、マニエラが中華包丁のような形をした鉈の先の部分にある峰の出っ張りを器用に使い、木の枝を引き寄せるとそれに生る実をもいでいた。
「どうぞ」
「あ、りがと…ぅ」
お裾分けに貰った実をマジマジと見る。
『果実』
そんなのは見れば解る。
ポップアップウィンドウが無駄に仕事をしてくれる。
手のひらにすっぽりと収まったそれは、まだ青いレモンよりもずんぐりとした見た目をしている。
チラリとマニエラの様子を覗き見ると皮ごとかぶり付いて顔の中心にシワを寄せている。酸っぱいらしい。
オレはマニエラに習い名前も解らない果実の表皮を軽く服に擦り付けると、恐る恐ると歯を立てた。
シャクッ――
何だこれ――?
果皮の下の見た目に反したリンゴか梨のような食感に驚く。
そして口の中に広がる果汁は柑橘系のレモン……グレープフルーツ……いや、酸っぱめのミカンが一番近いか。マニエラがシワを寄せるのも解らなくはないが、俺はそこまで酸っぱいとは感じなかった。むしろ皮の苦味と言うか渋味が口に残る。ただし果汁は多くて喉は潤った。
それにしても違和感ありありの実だな。シャクシャクしてるのに味は柑橘系。名前を付けるならレモンアップル……梨レモン……ミカンリンゴ……ミカンゴ……は無いか。
『ミカンゴの実 [見た目は檸檬、食感は林檎、味は酸っぱい蜜柑のハイブリッド果実]』
『ミカンゴの木 [ミカンゴの実を付ける]』
うん、ポップアップウィンドウに微妙な悪意を感じる。
神モドキの嫌がらせか、それとも俺が扱い切れていないだけか……近い内に扱い方の考察をしておこう。
芯だけになった……ミカンゴの実をその辺に捨てて心に誓った。
マニエラを先頭に移動を再開して更におおよそ20分。森の雰囲気が変わり始める。
徐々に緑の量が減り、代わって周囲が少しずつ明るくなり始めると、遂には森が開けた。
その開けた視界に飛び込んで来たのは一つの巨岩。
都会に無理矢理建てた一戸建てなんか鼻で笑っちゃうくらいの大岩に無数の蔦が絡み付き、ヤツデに似た形の青々とした葉を生い茂らせている。
その大岩を中心に2〜30m程下草がまばらに生えて茶色く硬い地面が顔を覗かせていた。
「さぁナツメさん、あの岩に張り付いた薬草を採取しちゃいましょう」
一度こっちを振り向いてそう言うと、マニエラは大岩へと歩を進める。俺も馬鹿みたいに突っ立ってる訳にもいかずその後を追った。
大岩に近寄ると更に大きく見える。圧迫感が半端ない。しかし、何故こんな森の中にポツンと一つ大岩があるんだ? しかも岩の周りには木が生えてないし。全く理由が解らない。
ぼーっと大岩を見上げるオレの隣ではマニエラが、黙々と大岩に絡み付いた薬草を引っ剥がし、根っ子毎引っこ抜く。
『薬草』
「これが、薬草……」
ポップアップウィンドウがマニエラを真似て引っ剥がして引っこ抜いた植物に表示される。正直、途中で引き千切れないように採取に多少の苦労をした以外、その辺に生えてる雑草との違いが良く解らない。
「葉っぱは潰して切り傷や打ち身に、根っ子は干して煮出せばお腹の薬になるんですよ」
「へぇ…茎、は?」
オレが薬草1本採る間に3、4本クルクルと輪っか状にして地面に下ろした背負子に突っ込んだマニエラが効能を説明してくれる。
慌ててオレも2本目の薬草採取に取り掛かった。マズい、のたくらしてたら役立たずのレッテルを貼られちまう。
「茎は燃やすと虫除けになります」
「そぅ、か…。捨てると、ころ…ない、んだな…」
手を休めずにマニエラが答える。
こんな草でさえ捨てる所無く人様の役に立つんだな……オレなんかとは大違いだ……。
視界をジワリとぼやけさせるそれを急いで服の袖に擦り付け、大きく鼻を啜った後は黙々と薬草採取に従事した。
そうして薬草の束を背負子の半ばまで入れた頃、
「ナツメさん、そちらの籠にこれ入ります?」
そう言って薬草の束を両手に抱えたマニエラがオレの元へとやってくる。それに頷き返し背負子を差し出すと、背負子はマニエラの手にしたそれで満杯になった。
そっか……マニエラはオレの3倍のスピードなのか……。
「オレ……足手まといだったか……」
ぼそりと独り言ちたオレの呟きが届いてしまったのか、自分の背負子を背負いに戻ったマニエラが振り返ってきた。
「ナツメさんが居てくれたお陰で二人分の薬草が摘めたんですもの。足手まといなんかじゃないですよ」
ニコリと微笑んで優しい言葉を返す。
俺には読心の力も無けりゃ、仕草や声音から相手の心を読み解くような力も無いので、その言葉が本心からのものかどうか解らない。建前だけで本音では邪魔だと思われてるんじゃなかろうか。
「それじゃあ目的の物も手に入った事ですしそろそろ戻りましょうか……どうかしました?」
背負子を担ぎ直したマニエラが、猜疑心に塗れたオレの様子を窺う。オレは慌てて平静を装う事に努める。
「大、丈夫…なんで、もない」
「そうですか? なら急ぎましょう。日が暮れる前に帰らないと何が出て来るか解りませんからね」
思わず周りを見回す。
一体何が出るんだ? やっぱりモンスターか? 森でエンカウントしそうなモンスターなんて多過ぎて何が飛び出してくるのか検討も付かない。ただはっきり解る事は、何が出て来ようが戦闘経験0で武器の一つも持ってないオレじゃあ、何にも出来ずに食われちまうだろうって事だ。
「大丈夫ですよ。森の動物達は大抵は夜行性なので酷い出血とかしてない限り、日の出てる内は襲ってきたりはしてきません」
日が沈むと襲ってきたりするのか……。
見上げると、青空に浮かぶ太陽は真上からは幾分か傾いている気がする。そう言えばこの世界の東西南北ってどうなってるんだ? 太陽は東から昇って西へと沈んでいるんだろうか。
「ナツメさん行きますよ?」
その声にハッとして正面に向き直ると小首を傾げてこちらの様子を窺うマニエラの姿。
「わ、解…った……」
方角と太陽の関係はまた時間のある時にでも考えよう。兎に角今は、ネガティブな印象を持たれないよう行動しなくては。
オレは薬草で少し重くなった背負子を背負ってマニエラの後を追う。
帰路は往路よりも時間は掛からない。
行きにマニエラが拓いた道を通るだけなのだから掛かりようがある訳ない。しかし、行きに切り開かなけりゃならない程、木や草が生い茂っていた事を考えると、ここへはそう頻繁に薬草を取りに来ないと言う事だろうか。
と、前を歩くマニエラの足が不意に止まった。
「おっ…ぉと……」
それに合わせてオレも止まろうとしたが僅かばかり遅かった。勢い殺せず、咄嗟に前に出した手がマニエラの背負った背負子に軽く押す。
「きゃっ、ごめんなさい急に止まってしまって」
振り返ったマニエラが謝る。
「ど、ぅした……?」
「ちょっとお土産をと思いまして」
はにかむように笑い、腰に下げた鉈と抜くマニエラ。
お土産? と、首を傾げて辺りを見回す。そういえばこの辺りは……。
『ミカンゴの木 [ミカンゴの実を付ける]』
行きに休憩を入れた場所だった。よくよく見ればその木だけでなく、ちらほらとミカンゴの木が見受けられる。
マニエラは手近な一本から鉈の峰の出っ張り部分を使い枝を手繰り寄せ、たわわに実るミカンゴの実をもぐ。
「持…つょ」
「あ、ありがとうございます」
マニエラは一瞬驚いたような表情を見せたが直ぐに嬉しそうに微笑むと突き出したオレの手の上に実を乗せる。
あの驚いたような表情は、オレがそんな気の利いた事する訳ないと思っていたからだろうか。なんだかんだ言ってもやっぱり役立たずだと思われてるのかも知れない。
軽く傷付きながら下ろした背負子の中に実を入れていく。籠一杯に薬草が入ってはいるが、ギチギチに詰め込んであるわけじゃないので、少し詰めれば多少は入る。
6個の実をオレに渡した後、マニエラは空になった枝から手を離した。
「ありがとうございます。それじゃあ行きましょうか」
「あぁ……」
僅かに言葉を交わし、オレとマニエラは再び歩き出した。
しばらく森の中を二人で黙々と進んだ先の光景に、オレはある事を思い出していた。
そう言えば川の中を渡るんだった……。
眼の前に横たわる川の姿にゲンナリする。
オレのシャツとズボン、靴は既に乾いていたが下着はしっとり濡れたまま、しかし程なく乾くだろう。なのに再度びっちょびちょになるのは些か以上の抵抗がある。けれども渡らなければ村へは帰れない。
何とか濡れずに向こうへ辿り着く方法は無かろうか。
右手に川を、左手に竹藪と森を視界に収めつつ、不揃いな石の上をてくてく歩いていくと、良い案も出ない内に行きに渡った場所まで戻って来た。
「ナツメさん、薬草は濡らさないように気を付けてくださいね」
マニエラがそれだけ言うと背負子を下ろし、両手で抱えるように持ち上げると何の躊躇いもなく、ざぶざぶと川の中へと入って行った。
「あ〜…もう。仕方無い……か」
鉛のような溜め息と一緒に吐き捨てると、意を決してマニエラに倣って背負子を抱えて川の中へ足を浸ける。
水は直ぐ様靴の中へと潜り込み、衣服を身体にへばり付かせる。くっそ冷たいし、動き難いったらありゃしない。更に濡れないように抱えた背負子が前面を遮って何も見えやしない。
オレはえっちらおっちら、川の水をざぶりざぶりと身体を使って割いて進んだ。
と、川の真ん中辺りを過ぎた頃――、
ゴロリ。
と、踏み付けた川底の石が転がった。
「なっっ!!?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
何だ?? 何が起きた――!?
そうこうしてる内にへそ辺りだった水位がみぞおち辺りまで迫り上がってきた。
いや、オレが沈んでるのかっ!
崩れる軸足。倒れる身体。
慌てて身体を捻り、顔を空へと向けて、倒れる方向へと蹴り出そうとしていた足を差し向ける。
乳首が水に浸かった。
水の抵抗か、それとも神経が昂ぶってるからか、差し向けた足が進まずもどかしい。
二の腕と肘に水が掛かる。
マズイ! 薬草がっ――!!
兎に角空へ、両腕を突っ撥ねる。
靴底に硬い物が当たる。
顎が水に浸かり口の中に滑り込んでくる。瞬間的に口を噤んで息を止める。
今度の足場は崩れない。
水中に浮いたもう片方の足を身体の下へ、身体を支える為に滑り込ませる。
鼻に水が入る。ギュッと目を瞑る。
今、何が、どうなってるのか良く解らない。
その間ずっと水流が俺の身体を押し流そうとしている。
鼻の奥の奥で激痛が走る。脳みその後ろの辺りがチリチリとひりつく。
ようやく二の足が仕事を果たし身体が沈むのを止めた頃には、オレはずっぽし頭まで水に浸かっていた。
水中越しにじゃぶじゃぶと何かが近付く耳に届く。
音が止むと両手が軽くなった。
「ナツメさん。大丈夫ですか!?」
身体を持ち上げ水面へ浮上した。薄っすらと開いた水でぼやける視界には、オレから背負子を取り上げたマニエラの姿があった。
「げほっ、げほっげぇ…げぉっほ……や…くそぅ、は……?」
「え…? あ! えぇ。薬草は無事です」
盛大にむせ返りながら聞くと、望んだ答えが返ってきた。
良かった。これで評価はマイナスにならないだろう。いや、足を取られた時点でマイナスなんだからマイナスへの振り幅が少なく済んだだけか。
人なんて他人のミスは自分がミスした時の万倍失望するからな。
「それより早く川から上がりましょう。身体が冷えちゃいますよ」
そう言うと背負子を担いでさっさと岸へと移動してしまう。
このまま川に下半身を浸していても仕方ないのでオレもそれに付いていく。濡れてなかった肘から先も雫が滴り落ちてびっちゃびちゃだ。
岸に上がると途端に身体が冷たくなる。びっちゃりとへばり付く服も川の水を多分に吸っていて重い。
「ぁ〜〜……」
このままじゃ動き難いし風邪を引くと感じてシャツとタンクトップをまとめて脱ぐ。
「きゃっっ!」
突然悲鳴が上がりそちらを見るとマニエラが慌てて顔を背けていた。あぁ……いきなりのオッサンの汚い半裸は正視に耐えないわな……。
「ゎ…わ、るい……」
「ぃぇ……あの、向こう、向いていますので、支度が整ったら、声…掛けてくださいねっ」
顔を赤くしながらしどろもどろに言うと、くるりと背中を向けるマニエラ。……まぁ、そっちの方がありがたいから良いか……。オレはマニエラに背中を向けた。
上をまとめて絞ると思ったより多い水がびちゃびちゃと零れ落ちる。固く絞って水がほとんど落ちなくなったら広げ、バサバサと振った後シャツとタンクトップに別けて川原の石の上に置く。
靴は絞る訳にはいかないので脱いで中の水が出て行くように裏向きに置いておく。
さて…………。
もう一度マニエラを振り返ると、彼女はオレに背を向けて自分の服の裾を絞っている。俺のように服を脱ぐなんて暴挙に出てはいない。
再び背を向けると、ズボンに付いたベルト代わりの太い紐の水を吸って固くなった結び目を解く。
そして――、
…………よし。
意を決してズボンをトランクスごと脱ぎ捨てる。
あぁ……人として大事な何かも一緒に捨ててしまったような気がする。
生まれたままの姿でズボンとトランクスを絞りながら、ふと自分の身体が目に入る。
久し振りにまじまじと見る、ぶくぶくと太った生っ白くも醜い身体。
百科事典よりも分厚い腹を掴んで持ち上げ離すと、だぶるんっっ。と、脂身が揺れて戻る。
肌触りが変わったようには感じるが、それ以外が劇的に変わったようには感じない。
顔に触れる。
口が、鼻が、耳が、目が。何から何まで全く違う。
ため息が出る。涙が出そうになる。
鼻を啜ってそれ以上考えないようにした。
シャツとズボンギチギチに絞ったからか、かなり水分が飛んでいて直ぐに着ても問題は無さそうだ。
だがトランクスとタンクトップ。お前等は駄目だ。
いくら絞っても水気が飛ばず冷たいままだ。
暫し考え……考えるまでも無い、今更だ。
シャツとズボンを着込むと、濡れたトランクスとタンクトップをズボンのポケットに捩じ込む。左右のポケットがじわりと冷たくなった。
さてと……。
オレはマニエラへと振り返る。口を開きかけては閉じ、何て声を掛ければ良いのかと何度か逡巡した後、何とか声を上げる。
「もぅ…大丈、夫……」
オレの声を聞いたマニエラが振り返り「それでは行きましょうか」と言うと自分の背負子を背負い、もう一つをオレに差し出す。
それを受け取りながら先を歩き始めたマニエラの後を追った。
村までは後もう少し。
オレは肺一杯に吸い込んだ息をゆっくりと一本の糸のように吐き出す。
やっとこの世界に来て初めての仕事が終わりそうだ。