第10話 鬱るんです。
2018.05.29 加筆修正。
今歩いてる森は崖の上の森よりも密度が濃く、濃い分上の森より歩くのに難儀する。
道らしき道は獣道すら無く、前を歩く二人が分け行った後が辛うじて路になると言った感じだった。
そう。オレは豚男二人の村に向かって歩を進めている最中だった。
「そう言えばまだあんたの名前を聞いてなかったっけかな?
おいらはガリバロ。で、前を歩くのはマグドロ。村のみんなからは『おやっさん』って呼ばれてんだ」
「バカ野郎。お前がそんな呼び方しだしたから、若い連中が面白がって呼ぶようになったんじゃねぇか」
「ありゃ? そうだっけか? まぁ、細けぇ事は気にしなさんなって」
前を歩く豚男ことガリバロが、陽気に声を掛けてくる。
その更に前を歩く同じ豚男のマグドロが、さして面白くもなさそうにガリバロにツッコミを入れるが、当の本人はそれを適当にいなして聞き流す。
マグドロのお小言よりも、オレと言う存在に興味津々と言った感じだ。
二人にはそれぞれ『ガリバロ 豚男』と『マグドロ 豚男 [通称 おやっさん]』とウィンドウが表示されている。
「夏目 諭吉……」
「ナツメユキチ? ずいぶん変わった名前だな? で、ナツメユキチはやっぱり別の土地から来たのか?」
「な、夏目か、諭吉でいい…帰れない程遠い所、から、ついさっきこの辺り、来た。道、迷った……」
「そうかい、あんちゃんは一つ所に留まらない『渡り鳥』か…………」
マグドロが何か思う所でもあったのか、よく解らない単語を口にして遠い目をしてるように見えた。
オレはと言えば、やはり心の何処かで、自分とは違う種族と言う事で警戒してるのか、それとも単に対人スキルを拗らせてるのが原因か、口から出る言葉がたどたどしいのがもどかしい。
しかし二人は、そんなオレをこの辺りの言葉に不馴れなだけだと解釈してくれているように見える。
「おやっさんの息子は何年か前に『こんな所で一生を送るのはイヤだぁー!』って飛び出して渡り鳥になっちまってさぁ……って、アイタァッッ!!?」
「こんのバカ野郎っ! どうしてお前はそうぺらっぺらと口が軽いんだ!? 外の者にまでいちいち話す必要なんか無いだろ!」
「イタイタイタイッ、おやっさん悪かった! 悪かったってば!」
先頭を歩いていたマグドロが豚面に鬼の形相を張り付け、ガリバロの頭に何度もげんこつを振り下ろすと、ガリバロはガリバロで上っ面だけで謝りながら、頭をかばいげんこつから逃げる。
オレの視界に映るウィンドウが『ガリバロ 豚男 [口が軽い 軽薄?]』と『マグドロ 豚男 [通称 おやっさん][息子が「渡り鳥{家出人? 旅人?}」]』と言った具合にウィンドウが重なって表示されていった。
どうやらウィンドウの表示は、オレが見聞きしたり、認識を改めたりしたら、自動で情報が新規・更新・追加されていき、その数だけウィンドウが増えていくのは確定のようだ。実にごちゃごちゃしてて解り難い。
神モドキが言っていた情報集めとやらはこんな感じで進んでいくのか? 何か情報収集以外の裏が有りそうな気がするが、そんな穿った物の見方をしてしまうのは『いつもどこでも殺人事件に巻き込まれては、チートな頭脳で速攻解決!』的な、推理マンガの読み過ぎなのかも知れない。
『真実はいつもじっちゃんにぶっかけて!』ってやつだ。
豚男二人の、おそらくいつもやってるのだろう掛け合いが一段落した所で、オレはどうしても聞きたかった事を二人に尋ねてみた。
「この辺り、人間の住む町か村、あるか?」
目の前の二人は言葉は通じるし、まあ友好的ではある。友好的ではあるが、種族が違うせいか違和感があり、今一つ落ち着かない。
やはり同じ人間に会って、モンスターとか亜人とかじゃない普通の人だってちゃんといるんだと安心したかった。よく知りもしない外国の地で、同じ日本人に会えた時のような安堵感が欲しかった。
だが、同じ人間とは言っても異世界転生物ではテンプレと断言しても過言では無い西欧風の人間が出て来たらどうしよう。オレはまともに話せるだろうか……。
「人……間?」
「何だ、そりゃ?」
しかし、キョトンとした顔の二人から帰ってきた言葉は、オレが最も聞きたくない物から二番目の言葉だった。
マジで!? マジで人居ねぇのっ??
どこぞの忍者を殺しまくってる忍者の口癖みたいに『人間殺すべし』とか言われなかっただけマシだが、それでも『人間って何? それって美味しいの?』的なその発言には辛いものがある。
「この辺りにあるのは、おれらの村以外には同族のオークの村が森の中に3つに、森の外の平野にコボルトの村が2つ。山の方にゴブリンの村が2つと、後は湖の側にサハギンとリザードマンの村が1つずつあるくらいだったか」
「そう言えば、この間行商に来たゴブリンのおっちゃんが、湖の向こう側に見た事ない種族が居着き始めたとか何とかって話してなかったっけ?」
「いや、知らんなぁ。そんな話があったのか?」
「あり? したらば勘違いだったかな?」
マグドロの話を鵜呑みにするなら、この辺りと言うのがどれほどの範囲かは不透明だが、とにかくここいら一帯はモンスター種の棲息圏で、人間と言う種は存在しないようだ。て事は、オレはそんな魔物の巣窟のど真ん中に居る唯一の人間って事か?
それともこの世界には人間は存在せず、神モドキが転移させた地球人のみが唯一の人間種って事になるのか?
どちらにせよオレはもう少し、キチンとした身の振り方を考えないといけないようだ。
そんな事を漠然と考え始めた所にマグドロが先頭から声を掛けてきた。
「あんちゃんはこれからどうすんだい? おれらの村で一息付いたら直ぐに別の土地へ発つのかい?」
「ま、だ決めてない。出来たら、しばらく……居、させて、欲しい」
「しばらく居たいって? それならババ様に話着けないとな~」
「そうだな。ババ様にお伺いを立てて許可を頂かなくてはな」
二人が口を揃えて『ババ様』とやらの許しが必要だと言う。
「バ、バ様?」
何となく村長的なポジションに位置する人物だとは思うのだが、一応、確認の為に聞いてみる。
「ババ様はおいら達の村の長老さ」
やっぱり思った通りだ。
「古臭くて愛想なくて巌のような堅物だけど、遠く離れた場所から旅してきた同族を無下に扱うほど薄情じゃ無いはずだから安心して良いぞ」
おいこら、ちょっと待て――。
そこへまたマグドロのげんこつがガリバロの脳天に落ちた。
「お前と言うヤツは…もっと口を慎まないか! ババ様は先祖代々の教えを守り、村の安寧を誰よりも考えていらっしゃるお方だ。
だと言うのに、最近の若い者は口の聞き方や物の考え方と言うもんが……」
マグドロが頭を押さえてその場にうずくまるガリバロの前に立って、くどくどと説教を始める。
大人や年寄りが事ある毎に使いたがる「最近の若い者は……」と言う言葉は、どうやら異世界でも当然のように使われるようだ。
って、そんな事はどうだっていい。
問題なのはガリバロの豚野郎が、霊長類ヒト科ホモサピエンスであるこのオレを、よりにもよって『同族』だと抜かしやがったんだ。
ガリバロにはオレの姿は豚に見えるのか……。
自身を見下ろすと分厚い脂身が、弛んだ身体を覆っているが、たまに鏡で見る顔は、そんなに豚々しくはなかった。しくはない…しくはないはずだ…………多分。
その代わり記憶の中にある自分の顔は、他人に嫌気が差し、世の中全てに嫌気が差し、自分にさえ嫌気の差した濁り腐った胡乱な目をした、髪は皮脂がこびりついてボサボサで、無精髭も伸びるに任せた乞食とさして変わらない、誰からも好かれる事の無いだろう、精神的なストレスでいつも眉間にシワを刻んだ、不景気な面が張り付いているはずだ。
一方、ガリバロとマグドロはオレと同じで、皮下脂肪が厚く身体を覆ってはいるが、その下に脂肪の厚み以上の筋肉があるのか、弛んだ感じは無く、むしろがっしりとした印象を受ける。
また、モノホンの豚より多少デフォルメされたような、人のそれに寄ったイメージのある顔は、日々の暮らしに満足しているのか、何の気負いも後ろめたさも無い、真っ直ぐな表情をしていた。
あぁ……オレって言う存在は何一つとして、コイツらに勝る所なんて無いや。豚男だなんだと言いはしたが、本当の豚野郎はオレの方じゃないか。
情けなさが心を侵す。
そんな詰まらない事をぼんやり考えていると、思い出すだけでもはらわたの煮え繰り返る、厳重に封印して意識の底の底の奥底に沈めていた、忌々しい過去の記憶の扉が開く。
ガキの頃から『豚まん』だ『ポーク』だと嘲り、罵られ、無視され、殴られ、見下されてきた日々。
遠足でどこぞの牧場へ行った時、当然のようにその牧場にあった豚小屋の中に拉致られて「お前の仲間がいたぞ!」と、裸に剥かれて柵の中に放り込まれた時の事。
その時の糞虫どもの嘲り笑うけたたましい声。
汚ならしい物でも見るような目。
まるで現在進行形で受けている攻め苦のように甦る。
それと共に長年封じ込め続けてきた、熟成に熟成を重ねた十年、二十年、三十年物の仄暗い憤怒の汚泥が胸の奥底で沸々と煮立ち始めた。
あの時の糞虫どもの頭を一人残らずハンマーで叩き割って脳味噌を酢漬けにでも出来たなら、この苦しみもほんの少しは晴れるのだろうか。
陰々鬱々とした気分になる。
無論ガリバロがそう言った悪感情から放った言葉で無い事は、頭では解っている。解っているが、心がそれを受け付けてはくれそうにない。
胸が握り潰されそうなほど痛くて辛い。
そんなオレの心情の変化に気付いたのかどうか解らない。が、少なくとも何かしらの感情が顔に出ていたのか、それ以上はろくすっぽ会話はなく一時間近い時間、道無き道に道を造り歩き続けた。
それで今更ながら気付いたのだが、オレは整備も何もされていない森の中をひたすらに歩き続けたと言うのに、全然……は言い過ぎだが「妖怪の飛び出す腕時計買ってくれなきゃ、もう一歩たりとも動けない」とかでんぐり返って号泣しなければならない程、疲れは感じていなかった。
この世界に転移させられる前のオレだったら、トイレに行くのに階段を上り下りしただけで軽く体温が上がり、動悸と息切れをしていたのにだ。
神モドキがこの世界に適応するために身体を改造したと言っていたが、その影響が出ているのか?
解らない事だらけで気持ちが悪い。何とか答えを見付け出したい。
そんな事を考えながらオレがマグドロらの案内によって二人の住む村へと辿り着いたのは、更に30分ほど経過してからだった。