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美しくも傷は深い

 夢を、見た。


 四季折々の花が咲き乱れる庭園の中を手を繋ぎながら駆け回り、お互いに綺麗だね、と笑い合うそんな些細な夢。


 第三者が聞けば他愛のない可愛らしいと言うような夢が嫌いだ。息苦しさを覚え、早く目覚めろと自分に命じていた。



 わたしは馬鹿みたいに美しいものが好きだ。


 それは豪華絢爛と呼ばれるような宮廷もそうだし、難しい模様を描いた過敏や額縁など様々な美術品、きめ細やかな絹、繊細で技巧を凝らしたレース、煌めく宝石。


 芸術品だけではなく美しい音色も同様に好きだった。ソプラノからアルトなど様々な歌声が奏でるハーモニー。ピアノや魂を震わせるような弦楽器、心の蔵を鷲づかみにするような力強い音を出す打楽器などもだ。


 そして、黄金の稲穂を刈る人々の様子も、額に汗水たらし洗濯物を洗う主婦の姿や、家を建てるため重い資材を運ぶ姿、上げていけばきりがない。


 この世界は美しさで満ち溢れている。



 幼い頃から好き勝手に暮らすことを許されていたせいか、他の貴族よりも選民意識はない。しかし、わたしは知らなかった。これらの美しいものが、どれほどの苦労の末に実を結ぶのか、何一つとして知ろうとせず他者にも優しい令嬢、王妃に相応しい令嬢ともてはやされていた。


 だから、というのはおかしな話だけれど、王太子妃を狙う令嬢からうけた嫌がらせも気にすることなく、傲慢にも許していた。


 この態度が全ての原因を弓引いたと知った時、大きな嫌悪感を抱いた。


 わたしは愚かな者で、領土を毒まみれにさせることで気付いたのだ。



 でも――だからこそ魔王にも知って欲しいと思えた。やっと本当の意味で思えたのだ。それまでも世界にある美しいものを伝えようとしていたけれど、わたしは人の営みを彼に伝える努力をするようになった。


 二度と過ちを犯させないように。


 わたし以外にも美しい者がある、と知ってほしくて。でなければわたしが消えた時、彼はどうなるのだろう。



 やっと目覚めることができたわたしは、虚しさを胸に抱いたままベッドから下りたその足で、カーテンを開け放つ。


 眩しい朝日が蔦模様を施した窓から降り注ぎ、夢の残滓を祓う。まるでみそぎのようだけれど、今のわたしには必要だった。



(夢は夢。それ以上にはならない)



 幾度となく見る虚しい夢はわたしの願いなのだろう。無意識に自分を追い込み、王太子妃という名に相応しい娘に成長した。みなくてもいいものを見て、知らなくてもいい知識を得て、ルナティアのような存在を手足として使い、汚さなくてもいい手を汚した。


 


 こんな日は考えてしまう。


 わたしが美しいものを見せる努力をせず、黙ってあの男の隣にいて、自分が好きなものを愛で続けていたなら、貴族令嬢という枠からでることはなかったのかと。


 想像することは簡単で、でも実感が湧かない。



「本当に面倒な性格よね」


 


 多分、夢想の中のわたしでは、あの男の美しさが損なわれる。


 それがわかっているから、あの男の隣できちんと支えられる存在になろうとしているのだろう。


 悲しいほど優しいから心が壊れてしまった魔王。


 なら、彼が本当に人災とならないように支えたいと思うのは当然のことなのだ。



 よしっ、とくだらない考えを捨てるように自分にかけ声をし、壁にかけられた振り子時計を見る。起床予定よりも二時間も早いことに項垂れてしまう。二度寝という手段もあるけれど、眠気はない。仕方なく支度をはじめることにした。





 こんな時ばかり、いや常日頃からだけれど狙ったようにわたしに魔王は迷惑をかけてくる。自然と作っていた握り拳から力を抜きながら、魔王の言葉を携えた騎士に問いかけた。



「……あの、申し訳ございません。なぜ、わたしが起こしにいかなければならないのでしょうか?」



 事の発端は突然の来客者である騎士二名がもたらした内容だ。


 一応、侍女が客間へと案内しようとしたが騎士たちはエントランスにて話がしたい、と誇示したため、朝食を切り上げ彼らと立ったまま話を始めた。


 二時間も前に目覚めたから支度は整っているが、本来であればまだネグリジェだったかもしれないような時間に、だ。


 その上彼らが口にした内容は起こしに来て欲しい、と早く目覚めた王太子がベッドの上から侍女に命じ、そこから騎士に伝言をしたとのこと。当の本人? 二度寝に着いたとのことで、あの世に送ってやろうかと一瞬でも考えたのは仕方がない。



「……王太子が是非に、と」



 一瞬の間と同時に逸らされた目。


 彼も心底この仕事を疎い、申し訳なく思っていることは理解できた。


 ここで断れば騎士の二名が罰せられる。理不尽な理由で。あれはそれをするだけの権力を有しているし、そのこともちゃんと理解している。恐ろしい。本当に魔王に近づいているんじゃないか。


 互いに言葉を発する前に幾ばくかの躊躇いが生じるのは致し方がないことだ。


 わたしは文句をなんとか飲み込み告げる。



「…………わかりました、ではすぐに参ります」



 家の者には告げたが誰も驚かない。それもそうだろう。魔王のワガママには慣れているのだから。


 わたしは執事に見送られる中屋敷を出て、王宮の紋章が刻まれた無駄に豪華な馬車に乗り込んだ。






「廃嫡されちゃえばいいのよ、このワガママ王子!」


「僕もそう思うんです。だけど、君のこと以外では優秀らしいんですよ」



 朝の挨拶は二の次で、ブランケットを捲りながらそう告げると、二度寝したはずの魔王が満面の笑みを浮かべ待っていた。


 思わず舌打ちしそうになるのを堪え、「おはよう」と告げれば、嬉しそうに目を細める。



「自分で優秀とか言って、恥ずかしくないの?」


「事実なので、なんとも思いませんね。アヴェリーの前では駄目男みたいですけど」



 あーはいはい、と適当に流しながらベッドに腰をかける。魔王の腕がわたしの腰にまわされ、彼の表情が背中に埋もれ消えてしまう。


 これは久しぶりに重症だと気づき、なるべく優しい声で魔王の髪を撫でながら話しかけた。



「大丈夫なの?」



 触れた髪はほんのり濡れていて、二度寝は本当にしたのだろう。いや、正しくは気絶か。どちらにせよ、彼を苦しめる悪夢は続き、汗を流した。


 サイドテーブルを見れば侍女が用意したであろうタオルと水が置かれている。魔王は自分の体に無頓着なところがあるが、誰かに触れられることを嫌うからこうするしかなかったのだ。



 魔王はぴくりとも反応しなかったけれど、しばらく頭を撫でていると手を伸ばし、腰まで伸びているわたしの髪を一房掴んだ。まるで縋るようだと言えば彼は顔を見せて笑ってくれるだろうか。


 不安と不満がごちゃまぜになりながら、彼の反応を待った。



「……やっぱり、アヴェリーの髪は美しいですね」


「あなたの髪のほうが綺麗だと思うけど……。でも、ありがとう」



 別に自分の髪が美しくないとは思わない。侍女たちが毎日磨き上げてくれるのだから、持って生まれた以上の成果は出ている。ただ、魔王の居住の中だとわたしの髪色は埋もれる。


 なぜかといえば部屋の壁髪や調度品など、可能な限りハニーブラウン色に染めているからだ。


 何度も美的センスを疑うと言ってもやめることはせず、年々悪化の一途を辿っている。本人曰く、わたしが城に住めばやめるとのことだけれど……早々にやめてもらいたいところだ。



「アヴェリー? 何を考えているんですか?」



 顔を伏せたまま、人の髪をぐいっと引っ張り自分に意識を向けさせる。思わず子供か、と叫びそうになったがなんとか堪えた。



「別になんでもないわ。でも、髪を引っ張るのはやめて。わたしも同じことするわよ?」


「アヴェリーになら何をされても構いません」



 いつもは結んでいる銀糸の髪が背中に広がっている。魔王と同じように一房掴み、くいっと引っ張れば「痛いです」と笑いながら反応を示す。


 彼が笑ってくれたことがうれしくて、くいくいと何度も引っ張っていた。


 どれほどこうしていただろう。分からないけれど、ふとした時に魔王は髪を離しわたしに視線を向けてきた。



「……嫌な夢を見ました」


「ん、わたしに内容を話す?」


「…………まさか、そんなこと、絶対にしません」


「そう……」



 魔王はほんの一瞬目元を歪めると、再びわたしの背中に隠れてしまった。


 拒絶されたような気がしてわたしも彼の手を離す。


 彼がわたしを拒絶したわけではない、守りたいのだと分かっていても教えてほしかった。彼の負担を一緒に抱えたいから。それは大きなお世話なのかもしれないけれど。



 彼、というよりもこの国の国王の血族に、稀に現われる不思議な力がある。力の法則はなく、発言する者の魂に相応しい力と言われているけれど定かではない。


 とにかく国王の血族には不思議な力が宿ることがあり、魔王は千里眼とでもいうのか、遠い場所であろうと様々な出来事を見る力が生まれながらに宿っていた。


 力はとても不安定で夢と現実の区別がつくことはなく、力を自由自在に操ることもない。本人が力を否定しているからだ、と宮廷魔術師などは言い、認めさせようと躍起になったことがあったが全て徒労に終わった。魔王が認めないと言うのだから無意味なのだ。


 国王夫妻としては制御できるのであれば、認めてほしいという気持ちがある。しかし、魔王の答えはここ数十年変わらない。制御できてしまえば、見ずにはいられないという。夢の中に現われる数々の悪夢を。


 そんなことをしたら魔王の心は完全に壊れてしまう。だから誰もが諦めた。



「言えないのに……呼んだりしてすみません。それでも僕は……綺麗なものが見たくなって……」


「謝る必要なんてないわ。話してくれなくても、こうして頼ってもらえることは嬉しいのだから」


「…………ありがとうございます」



 魔王の腕に力が込められた。


 布越しでも体温は伝わるものなのだと感じながら、もう一度汗で濡れた髪に手をやる。



 魔王に美しいものを見せたい。見てもらいたいとこんな時に強く思う。


 彼は昔言っていた。この世は汚いもので溢れている、と。


 幼い頃は今以上に力に翻弄され、昼夜問わず苦しめられていた。その時彼が零した言葉は人の死に関わるものばかりだった。


 それも無残な死ばかり見せられ、幼い心にどれだけの傷を残したのだろう。推し量ることはできるけれど、本当の意味では理解できない。


 だから彼にわたしは美しいものを見せたい。


 少しでも、ほんの一つでもいいから見せていたいのだ。

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