第九話 ある日の午後
――ズゥン、ズゥン、ズゥン!!
という重低音が響き、俺は眼を覚ました。
狐々さんが寝付いてからも、しばらく撫でながら彼女のモフモフ具合を堪能させてもらっていたのだが、何時の間にやら俺は寝ていたらしい。
狐々さんも俺の脚の上で寝たままだったが、同じようなタイミングで起き出したらしい。
耳をぴくぴくと動かしながら、俺の脚の上から頭を持ち上げた。
「ふわあ、うーん、なんだ? この地響きみたいな音。折角気持ちよく寝てたのに」
「まあ、多分いつも通りアイツだろ。俺らでこんなことするのはあいつしかいないしな」
「ま、そうなんだろうけどさ」
狐々さんは両手を床につけ、前に突き出し、反対に腰を突き出すようにして伸びをし、同時に大きな欠伸をした。
狐も犬や猫と同じような伸びをするらしい。
欠伸はというと、イヌに近いマズル、つまりイヌのように縦長の顔をしているからか、欠伸の際に「ハゥ」という可愛らしい声が漏れる。
ちなみに狐はイヌ科、正確に言えば哺乳綱ネコ目イヌ科イヌ亜科の一部だ。
ややこしいな。
「いいや、一応俺が見てくるからさ。狐々さんは眠いなら寝てて良いぜ」
「いや、そろそろ昼ご飯の支度するから」
「おー、そっか。じゃあよろしく」
俺も首をコキコキと鳴らしながら立ち上がり、未だに重低音の響く方へ、つまり庭のほうへと向かった。
やれやれっと。
これは多分、またアイツだな。
「ふん、ふん、ふん!!」
案の定、そこに居たのは真理亜だった。
兎の妖怪であるはずなのに腰を落とし深くしゃがみ、いわゆる兎跳びで庭を飛び跳ねている。
そしてその背中には巨大な岩を乗せている。
見た目でいえば数百キロはあろうかという岩だ。
俺は頭を掻きながら、未だに兎跳びをする真理亜に言い放った。
「……妖怪だとどうかは知らないが、人間はいまどき兎跳びなんてしないぞ。膝や股関節、筋肉に余計な負担がかかる」
「なんと!! ついこの間までは誰しもがやっていたではないか」
「それ、何時の話だよ。妖怪と人間の時間間隔は違うんだよ。最近だと兎跳びはしないしさせないよ」
「なんと、ではこのトレーニングは無益であったか。やり方を改めねば」
と言って、真理亜は岩をそのまま庭に投げ捨てた。
――ずうん!! と大きな音を立て、地面に軽く岩がめり込む。
オイ、何してくれてんだお前は。
「コラ、どっから持ってきたんだよ。その岩。元あった所に戻して来い」
「ぬう、仕方あるまい。もはやこいつに用はないからのう」
「おお、そうしてくれ」
コイツの脳みその中身がシェイクされているのは前々からだ。
もう慣れているので、今更どうということもない。
汗にまみれた真理亜は岩を担いで、竹林の向こうへと行った。
アイツ本当に筋肉のことしか考えていないな。
因みになぜかアイツはバニースーツを複数所持しているので、毎日バニースーツだ。
白と黒を数着ずつ持っているらしい。
なんなんだよ、そのバニーへのこだわり。
最初に会った時は男がバニースーツ好きだからみたいな事を言っていたが、多分アイツが純粋に好きなんじゃないかと思う。
まあ俺としては、あんな漢と呼ぶにふさわしい相手に欲情することはないので、何をどうしようと構わない。
最初は俺に力尽くで迫るようなこともあったが、何度か俺に投げられて以降、「まだまだ筋肉が足りぬ」とかほざいて筋肉を鍛えまくるようになった。
筋肉でなくて脳の方が足りないのではないかと思うな、俺ちゃんは。
因みにアイツは我が家で唯一、何の仕事もしない。
ただ飯ぐらいという奴だ。
困ったものだが、あいつは力が有り余っているので下手に仕事を任せると、何もかもを破壊しかねない。
以前、あいつがガラス戸を壊した際に片付けさせたのだが、ほうきで掃く際にうっかり力を入れすぎたとか何とかで、飛んだガラス片が壁に刺さっていた。
そのときに俺は察したのだ。
あ、これはコイツに下手なことはさせないほうが良いと。
故にアイツはただ飯ぐらいなのである。
参ったものだ。
とは言え、他のみんなは俺の家に泊まり食事しているのに、真理亜だけ仲間はずれというのはどうかと思う。
流石にそれはないだろう。
結果として、ただ飯ぐらいのくせに一番良く食う真理亜も俺の家に居るのだった。
「はあ、エンゲル係数上がったなあ」
まあ食う人数が増えたのだから仕方ない。
幸い、ひいじいちゃんは年金も貯蓄もそれなりにある上、俺のバイト代も入っている。
金には早々困らないだろう。
俺の学費のほうは、入学時の成績が結構良かったので全額免除とは言わないが、少なくなっている。
学費もかからず、ひいじいちゃんの持ち家に住んでいるので、幸いなことに学費も生活費もそこまでかかっていない。
その分、居候に食わせるくらいの金はあるのだが、それでもこの出費は何とか抑えたいものだな。
「ねえねえ、お兄ちゃん!! ボクとゲームしよ!! ゲーム!!」
「……はあ、お前はいつも元気が良いな」
「うん? ボクは元気いっぱいだよー!」
縁側にいた俺に、元気よく千代君がそう話しかけてきた。
どうせご飯が出来るまで暇だったので、俺は千代君の言葉に乗り家庭用ゲーム機を起動する。
ソフトは俺の好みで集めたものなので,FPSやアクションが多いが,どうも千代君はそういうのが好きらしい。
最近は協力プレイができるアクションゲームを2人でよくやる。
俺はテレビから少し離れたところに座椅子を持ってきて、そこに座った。
まあどうせ暇だしな。
俺もゲームは好きだし、付き合おう。
ソフトを起動させ、ゲームを始める。
「わーい、今日こそ次のステージ行こうね!!」
そう言って、千代君は胡坐を掻いた俺の脚の上に座った。
千代君は小柄なので、まあそれでもテレビ画面を見てゲームするくらいはできるのだが、俺に密着するようにしてくるのでゲームがやりづらい。
「お前、それ止めろって言ってるだろ!!」
「えー、いいじゃんかー。ボクこの体勢好きだもん」
「ゲームしにくいだろうが」
「何、お兄さんはこのくらいで音を上げちゃうの? 温いゲーマーだなぁ」
小馬鹿にした表情で千代君はそう言った。
このガキ、腹立つな。
というかこの子、この姿勢になるといつも俺の股間にお尻をぐりぐりと押し付けてくる。
まあこいつら、隙あらば俺を誘惑しに来る。
俺がエロゲの主人公なら、この二週間で10回はエロシーンが入るわ。
しかしながら俺はエロゲ主人公ではないので、そんなものには屈しない。
「ていや!!」
「ひゃうん!? な、何するの!?」
俺は千代君のお尻の下に手を突っ込んで無理矢理持ち上げると、俺と千代君のお尻の隙間に座布団を挟みんだ。
これで、俺の上で千代君が多少動いても、耐えられるだろう。
ていうか、男なのに尻を揉まれたくらいで変な声あげんなよ。
男子校なら日常だぞ。
座布団をひかれた千代君はむっとした表情を浮かべていたが、ゲームをやっているうちにそんなことは忘れたらしい。
ぎゃあぎゃあと喚きながら楽しそうにコントローラを操作していた。
千代君の背中が俺に密着しているため、俺は彼を抱きしめるように手を前に出して、コントローラを操る。
最初はこれも恥ずかしかったのだが、もう慣れてしまったよ。
このまま、落ち着くかと思ったのだが、そんなことはなかった。
「ふふふ、楽しそうなことをしているのでございますね」
と言って現れた音把さんが俺に背後から寄りかかり、胸を後頭部に押し付けたからだ。
――むにゅ、と。やわらかいものが俺の後頭部を包んだ。
またかよ!!
先ほどは落ち込ませてしまったみたいだが、どうやら立ち直ったようだ。
いやそれは良いんだけどさ、元気になった途端おっぱいを押し付けるというのはいかがなものかね。
淑女としてどうなのかね?
全くけしからん。
これははっきり注意せねば。
「あ、あのあの、音把さん。当たって、いやあの、当たってるんで。ちょっと離れてもらえません? あの、マジで」
コミュ障か俺は。
駄目だ、うまく離せない。
千代君や狐々さんは男の娘とかケモノであることを考えれば冷静になれるが、音把さんは角を除けば普通にきれいなお姉さんだ。
やっぱりどうしても、俺も邪な気持ちを抱きやすくなってしまうため、動転してしまうのだ。
「ちょ、マジで。今、ゲームしてるので。音把さん勘弁して!!」
「あら? 私、そんな大そうなことをしているのでございましょうか?」
「そ、そういうんじゃないけど……」
「それなら別に良いのではございますか? ふふふ」
「ちょっと、音把!! ボクとお兄ちゃんのゲームの邪魔はしないでよ!!」
「邪魔なんてしてはおりませんよ。ちょっと後ろからシャロ君に密着しているだけではありませんか」
「それが邪魔なの!! ……あれ? お兄ちゃん、何か硬くなってない?」
「ギク!!」
ばれた。
座布団ごしなのに。
でもしょうがないじゃん。
上から押さえられる形で、息子には刺激が与えられているのに、その上音把さんの巨乳のコンボは洒落にならない。
これでなんとも思わない奴はマジで病院いけ。
勃起不全か何かだから。
「ふふ、そうですか? 硬くなっちゃったのでございますか? それは鎮めてあげるしかありませんねえ。やっぱり、そう言うのは女性に鎮めてもらわないと駄目なのでしょう?」
「大丈夫!! そんなことないから!! 時間経過で直るから!! 俺のことは放っておいてくれて良いから!!」
「大丈夫だよ。僕だって男だから分かるよ。どうせなら、気持ちよくなったほうが良いよね……?」
「いいよ!! マジで!! お前ら良い加減に――」
「オイオイ、アタシがこの熱い中でも料理してやっているのに、何してるんだ?」
騒がしい俺達に冷や水を浴びせかけるような、冷たい声が掛けられた。
俺達が恐る恐る振り返ると、眉毛を吊り上げた狐々さんが立っていた。
確かに夏場のキッチンは暑い。
俺もバイトでやるからわかるが、本気で汗がだらだら出てくる。
1人で暑さを我慢して料理して、周りが遊んでいれば怒りたくもなるだろう。
「アンタらね、料理できないからって遊び呆けてんじゃないわよ!! テーブル片付けて拭くなりやることはあんでしょ!!」
「だ、だって、料理はボクらの仕事じゃ……」
「テーブルの片付けなんて、あんたらでやりなさい!! そんなの料理に内に入らないわよ!! それとも何!? ご飯抜きでも良いわけ!?」
「あ、あら……。それを言われると反論できないのでございます」
音把さんと千代君は料理が出来ない。
これまでの食事はどうしていたのか聞くと、誰かに作ってもらっていたか、肉の丸焼きか野菜丸齧りというダイナミックな料理だった。
そのため、音把さんと千代君は料理上手な狐々さんにすっかり胃袋を握られており、食事抜きといわれると、二人はぐうの音も出ないのだった。
それから2人は仕方なしにテーブルを片付け、俺も準備を手伝い、みんなで昼食を取ったのだった。
「はあ、いい湯だなあ」
俺はゆっくりと湯船につかってそう言った。
夏場はシャワーで済ませていたのだが、音把さんが毎日風呂を入れてくれるようになったので、今は風呂に浸かっている。
中々に気持ちがいい。
今日も落ち着けなかったので、ゆっくり風呂に浸かるととても心地がいい。
「ハア……。疲れが抜けるよ」
一日家に居たのに、結局疲れてしまった。
鼻歌交じりに俺が湯船に浸かっていると、ドアが開く音と共に
「邪魔するぜ」
と、狐々さんの声がした。
な!? 風呂場にも入ってきやがった。
狐々さんたちが俺のところにやってきた状況は知っていたので大目に見ていたが、流石にこれは……。
と、思っていたのだが、何故か狐々さんの姿が見えない。
「あれ? 狐々さん?」
「こっちだよ、こっち」
その声は下のほうから聞こえた。
ん? と思ってみてみると、そこに居たのは一匹の狐だった。
「え? 狐々さん?」
「ああ、そうだぜ」
「……そんなことできたんだね」
「あはは! まあな。これなら一緒に風呂入っても文句ないだろ」
「ああ、まあね。でも先に体洗えよ?」
「おいおい、この状態じゃ無理だろ。しょうがないから洗ってくれよ」
「はあ、仕方ねえな」
俺は頭を掻きつつ、一度浴槽から上がり、狐々さんを洗うことにした。
全身をシャワーで水洗いし、狐々さんのために買った犬用のシャンプーで全身を泡立てていく。
要領は実家でイヌを洗っていた時と同じだな。
あとはきれいに洗い流しておしまいだ。
とは言っても、丸一匹洗うので時間も掛かったが。
「じゃあ、アタシもお湯に浸かろうかな」
「ん? その状態じゃきついだろ? 深いから溺れるんじゃないか?」
「あはは、分かってるって。ドロン!」
「は? オイ待て!!」
狐々さんはそのままケモ耳娘の姿、つまり人間に近い姿に変身した。
それはつまり、俺の目の前に全裸美女が現れたということだ。
全裸と言っても大事なところはタオルで隠されているが。
俺は顔を赤らめて目をそらした。
「うわ!! 何してんだオイ!!」
「えー、だってあの姿じゃお風呂は入れないし」
「じゃあ俺がいないときに入れよ!!」
「んー、だって、今日は音把と千代ばっかりアンタを誘惑してたからさ、これくらいやっても罰は当たらないでしょ?」
狐々さんはそう言って、背を向ける俺を後ろから抱きしめた。
ぐわああああ!!
素肌に直接当たるウウウウウ!!
柔らかいものと、二つの突起物の感触が伝わる。
待て待て待て!! 童貞にはハードルが高い。
そんな激しいショックを童貞に与えて死んでしまったらどうするんだ!?
「ていうか、変身の時葉っぱ要るんじゃないのかよ!?」
「え? 要らないぜ?」
「マジで!?」
「うん、ああした方が狐っぽいじゃん」
クソ!! 多分これも俺を油断させる罠だったのだ!!
葉っぱを持っていなければ狐の姿から変身できない、と思い込ませて俺を油断させようとしていたのだ。
しかし、俺はこの程度では終わらない。
俺にだって策はあるのだよ!!
「おーい!! みんな!! 狐々さんが抜け駆けしようとしているぞ!!」
「ゲ!! アンタなんてことを!?」
そう、他力本願という策がな!!
直ぐにどたばたと音を立て、ドアが開け放たれた。
現れたのは当然のように、音把さんと千代君だった。
「コラ!! なんてことをしてるんだ!! お兄ちゃんと混浴なんてボクもまだなのに!!」
「いや、俺とお前性別一緒だから混浴じゃないだろ」
「え? じゃあ一緒に入って良いの!?」
「それとこれとは話が別だ!!」
「狐々!! なんてことをしているのでございますか!? そこを代わりなさい!! シャロ君は疲れているのですよ!? 癒すのは私の仕事です!!」
「ふざけんな!! アタシが一番乗りだったんだぞ!!」
「うるせえな、もう!! 頼むから全員でてけよ!! 俺ちゃんからのお願い!!」
狐々さんを引っ張り出しながら、逆に自分達も服を脱いで入ろうとする音把さんと千代君に、俺は叫ぶ。
なんで俺はゆっくり風呂にも浸かれないんだ。
「闘争の空気である!! 我も混ぜるのである!!」
「うわ!? どっから来たよお前!! 俺と午前中に会ってからずっといなかったのに」
風呂場の窓からいきなり真理亜が顔を出してきた。
びっくりするからやめろよ。
しかも何故かビチョビチョに濡れている。
これは流石に汗ではないだろう。
雨は降っていないはずだが。
「言われたとおり、岩を元の山に戻しに言ったついでに、滝に打たれてきたのである!!」
「お前だけ本当にフリーダムだな!!」
「シャロ君とは私が!!」
「いやボクが!!」
「アタシが!!」
「我こそが最強なり!!」
「お前ら全員いい加減にしろおおおおおお!!」
俺は怒鳴りつけて全員を追い出した後、適当にお湯に浸かり、さっさと上がった。
もう寝よう。
寝る前にコップ一杯の水を飲み、俺はその日はさっさとベッドに潜り込んだのだった。
はあ、今日も大変だったな。
そんな日々を過ごす俺は考えもしていなかった。
妖怪の総大将にして魔王、山本五郎左衛門の復活という一大事は、妖怪だけでなく人間にとっても無視できぬ事態であるということに。