第十二話 青天の暗雲
「おっはよー!!」
「……おお、おはよ」
ベッドにダイブしてきた千代君の頭をキャッチし、俺は目覚めた。
もういい加減慣れたね。
その後も隙あらば俺に絡み付こうとする千代君をカンフーアクションスターばりに捌く。
お陰で二度寝の心配はない。
いつも通りの騒がしい朝だ。
最終的に俺は千代君をタオルケットで簀巻きにし、彼がジタバタしているうちに服を着替えた。
「もー!! なんだか最近ボクの扱いが雑になってない!? お兄ちゃん!!」
「雑にはなってないよ。慣れただけさ」
「一緒だよ!!」
簀巻きのままジタバタ暴れる千代君を放置し、俺は顔を洗いに行く。
千代君はあのまま放っておいてもいいだろ。
勝手に抜け出してくるからな。
一階に降り洗面台――を通り過ぎ、キッチンのシンクにタオルを持って向かう。
すると洗面台の脱衣所の戸が勢いよく開けられた。
「シャロ君!! なんで洗面台に来ないのでございますか!?」
「いや、音把さんがいるのは予想がついていたし」
全身からホカホカと湯気を立ち上らせながら、バスタオルを巻いただけの姿で現れたのは、当たり前のように音把さんだ。
音把さんと千代君は俺が朝、顔を洗うタイミングでシャワーから上がり待ち受けている。
毎朝どちらかがそうしているのでもう予想がつく。
もう2週間以上同居しているんだからいい加減分かるわ。
「ならなおさらでございます!! 私はシャロ君が来るの……ずっと待っていたのでございますよ?」
「あ、湯冷めするんで早く体拭いて着替えた方がいいですよ。最近冷えてきましたし」
「ちょ!? その扱いはないのではございませんか!?」
「もう慣れたんデー」
朝から付き合ってられんがな。
面倒くさいし。
俺は明らかな泣いた振りをする音把さんを放置し、そのままキッチンに向かった。
キッチンでは恐らく狐々さんが料理しているだろう。
この家で一番きちんとしているのは狐々さんだろうな。
マジありがたや。
「狐々さーん。おはよー」
キッチンに入り、俺はそう声をかけたのだが、キッチンには誰もいなかった。
予想がはずれ、俺は首を捻った。
おや、朝ごはんは出来ているんだがなあ。
狐々さんはどこだろう。
まあ何はともあれ、顔を洗い、歯を磨く。
トイレにでも行っているんだろう。
「みんなー。来てー」
「「「はーい」」」
九十九神の食器に声をかけ、集まってもらう。
俺自身は人間だが、魔王が生まれ変わるための器であり、妖怪にとっては重要な存在である。
大抵の妖怪は俺の言うことは聞いてくれるのでありがたい。
だからと言って無理難題を出すこともしないけどな。
悪い気がするし、そもそも妖怪はこの家にはあんまり居ない。
音把さん達4人と、九十九神くらいだ。
いずれ集まってくるかもしれないが、今のところそんなに大きな変化はないかな。
食器を運びながらそんなことを考えた。
「狐々さーん? いないのー? 朝ごはんもらうよー」
どこにいるのか分からないが、家の中には居るだろうと思い、大きな声を出した。
それでも返事はなかった。
仕方ないので、手を合わせてから朝食を取った。
因みに今日の朝食は和食だったが、狐々さんが洋食にも挑戦したいと言っていたので、今度何か良い食材を買ってこようかと思う。
俺も料理の心得はあるし、教えられるところは教えよう。
「ごちそうさまでした」
やっぱり狐々さんのご飯は美味しかった。
手を合わせて食器の九十九神にはシンクに戻ってもらった。
……しかし、狐々さんはどうしたんだろう。
あの娘は俺に限らず、誰かが自分の料理を美味しそうに食べてもらえるところを見るのが好きなので、食事は一緒に取るか、そうでなくても大体近くに居るのだが。
今日は本当にどうしたのだろうか。
探してみようか。
と、思ったら直ぐに見つかった。
縁側に座り込んで、ぼんやりと空を見上げていた。
「おはよう、狐々さん。朝ごはん、今日も美味しかったよ。で。今は何しているんだい?」
「……ああ、おはよ。別に、何もしてないよ」
ふむ、どうもこの娘、元気がないな。
どうしたんだろうか。
気になる。聞いてみるべきか。
「狐々さん、なんだか今日は元気ないね。どうしたの?」
「……別に。大したことじゃねえよ」
「そうは見えないけど」
プイッと顔をそらされたので、俺は狐々さんの隣に座り頭を軽く撫でる。
だが、狐々さんはそれも嫌がるように縁側から庭に降り立ち、俺から距離を取った。
これまでに無い反応に俺は驚いた。
俺が避けることや、狐々さんが照れることはあったが、彼女は俺を避けることはないことだった。
狐々さんが振り向き、俺に向きなおした。
「なあ……。ダーリン」
「ん? なんだい?」
「何で……アタシに鍵を渡したんだ?」
「え? 何でって……。ほら、買い物とか便利じゃね? まあ君ら妖怪にとっては人間の鍵なんて簡単に解ける程度のものかもわかんないけどさ」
「それは……アタシ以外じゃだめだったのか?」
「え?」
「アタシ以外の……、音把や千代や真理亜じゃ……それは駄目だったのか? アタシだから、ダーリンはアタシに託したのか?」
そう言って狐々さんは俺をまっすぐに見つめた。
うーん、昨日の説明じゃ納得できないことがあったということだろうか?
ちょっともう一回話をしようか。
「そうだなあ。ま、街に行くなら真理亜は論外だ。目立ちすぎて職務質問されるわ。お使いなんて頼めないわな。千代君は翼が目立つし、音把さんは角が生えている。コスプレで誤魔化すには限度があるし、まあひょいひょい街にはいけないだろ。でも狐々さんなら完全な人型になれるから街に行ける。だったら、狐々さんに鍵を持たせておくべきだろ?」
「それは昨日も聞いた。……アタシが聞きたいのはさ。仮に、変化の能力を持っているのがアタシじゃなくて音把や千代だったら……誰に鍵を渡したんだ?」
そう尋ねる狐々さんは泣きそうな表情をしていた。
……よく分からないけど、多分狐々さんにとって鍵というのは特別なものだったんじゃないかと思う。
だから、彼女のことを思えば言うべき言葉は分かってる。
でも……。
「多分、変化できる娘に渡したと思う」
「――そっか」
俺は正直に答えた。
嘘をつくべきじゃないと思った。
だからはっきりと応えた。
狐々さんはぎゅっと口を引き締め、空を仰いだ。
空を見上げたまま、狐々さんは言った。
「そっか。そっか。分かった。ううん、分かってたさ。それくらいは……。なあ、これ返すよ」
狐々さんは懐から藍色のキーケースを取り出し、俺に手渡した。
そのまま俺に背を向け、どこかに行こうとする狐々さんに俺は叫んだ。
「待て!! おい!! どこに行くんだ!!」
「鍵ってさ、大事なものだろ? そんな簡単に人に渡すんじゃあねえよ。それこそ家族とか恋人とかそう言う人に渡せよ」
「君から一般常識を教えられるとは思ってなかったけどさ、そんなに考えなしじゃねえよ、俺は。なあ、狐々さん。この鍵は君に渡したんだ。だからさ……」
「――要らないって言ってんだろ!!」
狐々さんに怒鳴りつけられた。
突っ込みとか、注意とか、ふざけてとかではない、本当に怒鳴りつけられた。
狐々さんにそんなことをされたのは、またしても初めてのことで、俺は戸惑ってしまった。
そして、狐々さんもまた戸惑っているらしかった。
振り返り、俺のことを震える目で見つめてきた。
「あ、……アタシ、その、そんなつもりじゃ」
「大丈夫……、大丈夫だからさ。気にしてないよ。だから一端落ち着こう、狐々さん」
……何故だろうか、ひどく胸騒ぎがする。
今、ここで狐々さんから目を離しちゃいけない気がする。
俺は精一杯に、腕を広げ、狐々さんに微笑みかけた。
「……狐々さん。ちょっと落ち着こう。色々話してさ」
「ごめん……、アタシ頭を冷やしてくる」
「ま、待て!! 待って狐々さん!!」
狐々さんは、もう一度俺に背を向け、そのまま妖狐の身体能力で跳躍した。
彼女は一度の跳躍で十メートル以上跳躍し、そのまま竹林を抜けてどこかに向かった。
人間の俺には到底追いつけない速度であった。
――チッ!!
俺は舌打ちした。
もう少し、言い方を考えるべきだったか。
何事もなければいいんだが……。
嫌な胸騒ぎを抑えつつ、俺はみんなにこのことを伝えるべく部屋に戻った。
「そうでございますか……。そんなことが」
俺の説明に音把さんが軽く俯いてそう応えた。
あれから直ぐに、残っていた3人を集め、狐々さんのことについて話した。
なんだかどうにも嫌な予感がするからな。
狐々さんをどうすべきか考えるべきだろう。
「で、狐々さんを追うべきかと思うか? 俺はどうにも嫌な感じがするんだ。放っておくべきことではないと思う」
「……お言葉ではございますが、狐々も四天妖の一角たる妖狐。何か大事に至ることはないとは思うのでございますが」
「そりゃあ、そうなんだけどね。でも……狐々さんは今どうにもね、調子よくなさそうだったから」
「うーん、下手なことしたほうがアイツは気にしそうだとボクは思うけどなあ。狐々はああ見えてボクらの中じゃ一番真面目で責任感あるし」
「ぬう。何かあっても多少のことであれば何とかするであろうよ」
「……そうか、皆がそう言うなら、そうしようか」
気にはなるが、俺の脚では狐々さんは追えない。
そもそもどっちに行ったのかも俺にはわからない。
みんなの言葉を信じて、待つしかないか……。
本当に、何事もなければ良いんだが。
*******************
「何やってるんだろうな、アタシ」
狐々秋葉はそう独りごつ。
秋葉はしばらく竹林を駆け、その先にある山中深くにまで進み、小川の岸にあった岩の上に腰を落とし、ブーツを脱ぐと、爪先を冷たい水に浸していた。
そのままチャプチャプと音を立てながら、水を弄ぶ。
意味もなければ益体もない行為だ。
ただ、それでも昂ぶっていた心を静めるには役立つものだ。
自分の中でもやもやしていたものが段々と落ち着いてきた、秋葉はそう感じていた。
勝手に自分で怒って、勝手に飛び出した。
自分自身のわがままな行為を溜息混じりに思い出せる程度に、落ち着いていた。
「本当、馬鹿だよな。アタシはさ。アイツがアタシの過去なんて知らないことは百も承知なのに。いや、なんならアタシはアイツを騙して、利用しようとしていたのに。本当に……、アタシは碌なことしないぜ」
秋葉は独りで返ってくるはずのない言葉を紡ぎ続けた。
だがそれは、落ち着きある心を再度揺さぶってしまうものであった。
それは、本来であれば感覚の鋭い妖狐にとっては容易く気付くことができる程度の奇襲に、気付けないほどの心の揺さぶりであった。
「気付いているなら重畳だ。せめて役立って死ね」
「――え?」
その瞬間、狐々の視界が暗転した。




