99 こいつはチャンスだ! さっさと殺し……いや、壊しちまおう。この屋敷が凍って……え?
「窓が開いてる……って事は、誰かいるのか?」
籠宮家の屋敷には、現実世界では死んでいる陽志の他には、志月と両親が住んでいる。
その事を、慧夢はロイヤルホステスで志津子と食事した後、家まで送って貰う途中に色々と雑談をした時に、志津子から聞いて知っていた。
以前は大志の両親である志月の祖父母や志津子も、屋敷に同居していた。
だが、今現在は籠宮総合病院に近い、川神市北側郊外のマンションで、志津子と祖父母は暮らしている。
志津子が言うには、志津子がマンションで一人暮らしを始めた頃、そのマンションを見物に来た祖父母が、マンション暮らしを気に入ってしまったらしい。
「年寄りには広い屋敷は住み難い! 病院に近いマンションの方が良い!」
そんな風な事を言い出して、志津子とは別の部屋を借り、祖父母夫婦はマンション住まいを始めてしまったのだ。
屋敷の方は、長男夫婦に押し付けた上で。
「両親は籠宮総合病院の医者と看護婦、今頃は働いてる時間だろうし、籠宮は川神学園にいる筈。となると、今……屋敷に残ってる可能性が高いのは、籠宮の兄貴か」
夢の鍵の最有力候補だと考えている陽志が、屋敷に一人でいるかもしれない上、窓まで開け放たれているという絶好のチャンスを前に、慧夢の気は昂ぶる。
右後ろのポケットから斧を取り出し、外したケースをポケットに戻してから、慧夢は斧を開いて右手で握る。
屋敷内にいるかもしれない陽志は、凍っている筈なので、音を立てようが姿を現そうが、気付かれる訳が無いと、慧夢は考えてはいる。
それでも、夢の世界とはいえ他人の家屋敷に忍び込み、人を殺そうとしている慧夢は、つい本物の犯罪者の様に、気配を消した上で行動してしまうのだ。
身を屈めつつ忍び足で、慧夢は屋敷の縁側の窓に近寄って行く。
緊張の面持ちでガラス戸越しに、慧夢は屋敷の中を覗き込む。
(見辛いな……)
陽が射す庭からでは、庭より暗い屋敷の中は見え難い。
慧夢は左掌で陽射を遮って、目の周囲に陰を作ってから、再びガラス戸越しに屋敷の中を覗き込む。
すると、今度は屋敷の中が、はっきりという程では無いが、見える様になる。
見える様になった、くれ縁の向こう側には、十二畳はあるだろう広い和風の居間が広がっていた。
だが、居間には人影は無い。
慧夢は目線を、居間の奥……開け放たれた襖の向こう側にある、ダイニングキッチンに移動させる。
洋風のダイニングキッチンではあるのだが、和室の居間同様の木材が使われていて、色合いなどが合わされているせいなのか、和風の屋敷の中でも違和感は僅か。
居間同様に、地味ではあるが品の良い設えで、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
そんなダイニングキッチンの一点に、慧夢の目は吸い寄せられる。
テーブルの上に文庫本を積み、その中の一冊を手にして読んでいる、椅子に腰掛けている青年の姿を、慧夢の視界は捉えたのだ。
大志や志月と似た、整った顔立ちではあるが、志月より陽子に似ている要素が強く、より柔和さを感じさせる青年。
顔立ちと性別や年齢から、その青年が誰なのか、初見であっても慧夢には分かる。
「志月の兄貴、籠宮陽志か!」
いきなり陽志を発見し、慧夢は興奮気味に声を漏らす。
夢の鍵の最有力候補だと考え、殺すつもりの標的を発見したのだから、慧夢が興奮するのも当たり前。
「凍ってる志月の兄貴を、こんなに早く見付けられるなんて、ついてるな」
夢の鍵が陽志である場合、普通の人間の様に動かれるよりは、凍っている状態の方が、慧夢としてはやり易い。
抵抗を受けずに済むのが主な理由だが、それだけでは無い。
いくら夢世界が作り出したキャラクターであり、本物の人間ではないのだとしても、人間を「殺す」というのは気分が良いものではない。
故に、凍っている状態の方が慧夢としては、人形を壊す感覚で破壊出来るので、気分的に楽なのである。
「こいつはチャンスだ! さっさと殺し……いや、壊しちまおう。この屋敷が凍って……え?」
慧夢の呟きが、途中で驚きの声に変わる。
(今、動いたよな?)
驚いた理由は、陽志が動いた様に見えたから。
口には出さずに、心の中での呟きに切り替えたのは、動いた様に見えた陽志には、声が聞こえてしまうかもしれないと考えたが故。
見間違いかも知れないと思い、慧夢は深く深呼吸してから、再び陽志の様子を凝視する。
(やっぱり、動いてる!)
慧夢の目は、文庫本のページを捲る陽志の姿を、しっかりと捉えたのだ。
(凍ってないって事は、籠宮が屋敷に近付いている……帰って来たのか?)
最も可能性が高い推測を、慧夢は心の中で呟いてから、空を見上げる。
まだ夕暮れとは程遠い、青空を。
(いや、でも……まだ夕方にはなってない。籠宮が部活に出たのなら、まだ部活の最中の筈。帰って来てる訳が無いだろ)
慧夢が川神学園を後にして、まだ慧夢の体感としては、三十分も過ぎてはいない。
夢世界は時間進行が速いので、部活が終る時間になっている事自体は有り得るのだが、夕暮れとは程遠い空の色は、まだ夢世界においても部活が終る時間帯ではないのを、示していた。