91 ――ま、別にヒーローになろうって訳じゃ無いけどさ、なれる訳も無いんだし……
「――こんなもんでいいかな?」
ノートパソコンのモニターに表示された、書いたばかりの手紙の文面に目を通し、青のトランクスにタンクトップというラフ過ぎる格好の慧夢は、手紙の推敲をする。
夕食を終えた慧夢は、両親と色々と話しながらテレビを見続けた後、風呂に入ってから部屋に戻り、両親に残して置く手紙を書き始めた。
志月の夢の中から、すぐに戻れたなら問題は無い。
だが、戻るまでに数日かかる可能性もあるし、失敗して戻れなくなる可能性もある。
翌朝までに戻れなかった場合に備えて、慧夢は事実を隠さずに書き残して置く事にしたのだ。
延々と眠り続ける息子を前にして、その理由が分からないと、両親が困るだろうと思ったので。
永眠病やチルドニュクス、志月の話や黒き夢……夢占秘伝に書かれていた事など、死の危険がある事まで含めて、慧夢は包み隠さずに手紙に記した。
「微妙に遺書っぽい気が……。少し真面目に書き過ぎたか?」
そう感じた慧夢は、堅過ぎると思われる部分の表現を、砕けた風に書き直す。
その上で読み直し、満足げに頷く。
目の前にあるノートパソコンと、棚の上に置いてあるプリンターを無線で繋ぐと、慧夢はパソコンで書いた手紙の印刷を開始。
喧しい音を立てながら、A4サイズの白い紙二枚に、手紙を印刷する。
印刷し終えた手紙を手に取り、慧夢は机の方に戻ると、手紙を机の上に置いてから、ノートパソコンを操作し、プリンターとの接続を切る。
その上でプリンターの方に行って電源を落としてから、また慧夢は机に戻る。
「手紙は眠る前に、目立つ所に置いておくとして、後は道具と服装だな」
慧夢はノートパソコンが置かれた机の、左側に目をやる。
机の上の左側……ノートパソコンの傍らには、帰宅後に開封した懐中時計と斧が置いてある。
黒い斧は弄り回して、使い方や折り畳み方などを頭に叩き込んだ上で、海老茶色の財布を思わせる合皮のケースに収納済み。
懐中時計の方も、説明書と睨めっこしながら、デザインや操作法などを記憶に刻み付け、日付と時刻を合わてある。
慧夢は銀色の懐中時計を手に取り、蓋を開けて日付と現在時刻を確認する。
六月九日木曜日、午後十一時十二分という現在時刻を、懐中時計は示していた。
ノートパソコンのモニターの下部に表示されている時計部分に、慧夢は目をやる。
懐中時計と同じ日付と現在時刻が、そこには表示されていた。
「時計も合ってるし、次は着替えて……」
慧夢は立ち上がると、ドアの近くにあるクローゼットの近くに移動。
扉を開けてクローゼットから、ワイシャツと黒いズボン、白い靴下などを取り出して身に着け、慧夢は夏用の制服姿となる。
更に、部屋の隅に置いておいた青いスニーカーを履くと、慧夢は机の方に向かって歩く。
一週間程前に洗ったまま使っていないスニーカーなので、別に汚れてはいないのだが、外履き用の靴を履いて部屋の中を歩くのは、慧夢にとっては妙な気分だった。
机に戻った慧夢は、懐中時計を手に取ると、左前のベルト通しにチェーンを繋いで、海中時計を左前のポケットに仕舞う。
そして、斧のケースを右後ろのポケットに仕舞う。
何故、わざわざ制服姿に着替えたのかといえば、志月の夢世界の中で、学校で活動する場合に備えてである。
夢の中で役割が与えられておらず、幽体の時の姿のまま夢世界に出現した場合、慧夢は靴などの必要な物は、大抵夢世界の中で現地調達して済ましてしまう。
今回、私服姿で志月の夢の中に入り、夢世界の中の学校で活動する必要がある場合、制服などを現地調達するのは面倒かも知れないと、慧夢は考えた。
それ故、慧夢は制服姿で幽体となり、志月の夢の中に入る事にしたのである。
「着替えと装備は、これでOK。後は枕元に手紙を置いておくだけか」
慧夢は机の上に置いていた手紙を手に取ると、ベッドボードの手前にある棚の上に置き、目覚まし時計をセットした上で、手紙の上に載せる。
「これで、母さんが手紙に気付くだろ」
目覚まし時計のベルを鳴る様にしておけば、朝……起きてこない慧夢を起こしに来た和美が、鳴り続けているベルを止める為に、目覚まし時計を手に取る筈。
その際、目覚まし時計の下に置かれた手紙に、和美は気付くだろうと、慧夢は考えたのだ。
他にやるべき事は無いか考えてみるが、ノートパソコンのシャットダウン以外には、慧夢は思い付かなかった。
ノートパソコンをシャットダウンしてから、慧夢は独り言を呟く。
「――後は……寝るだけだな」
ふと、眠る前に両親の顔を……もう一度見ておきたい気分になった慧夢は、椅子から立ち上がって、ドアに向かって歩き出そうとするが、すぐに立ち止まる。
両親の顔を見たら、決心が揺らいでしまうかもしれないと、慧夢は思ったからだ。
立ち止まったまま、少しだけ悩んでから、慧夢は意を決する。
そして、自分に気合を入れる様に、両掌で軽く頬を叩いてから、慧夢は口を開く。
「さっさと寝よう。時間制限があるんだから、出来るだけ早く、黒き夢に入った方が良いんだし」
慧夢は踵を返して、ベッドの方に方向転換。
近くにあった紐を引っ張り、部屋の照明を落としてから、慧夢はベッドに歩み寄ると、靴を履いた制服姿のままベッドに寝転んで、スプリングを軋ませる。
暗くなった部屋の中、常夜灯の仄かな光を頼りに、慧夢は枕元に置いてあるスマートフォンを探して手に取る。
スリープ状態から復帰させたスマートフォンのタッチパネルを操作し、音楽プレイヤーアプリを操作し、気に入ったプレイリストを再生する。
慧夢が選んだのは、威勢の良い曲を集めた、元気の出る曲ばかりを集めたプレイリスト。
眠る時には余り聴かないのだが、今夜の気分には合う気がしたのだ。
枕元のスマートフォンから流れ始めたのは、子供の頃に好きだった特撮ヒーロー物の主題歌。
眠りに誘うタイプの曲では無いが、勇気が湧いて来る気分になれる曲といえる。
「スーパーパワーを持つスーパーヒーローが、命の危険に怯えて悪党と戦わないで、スーパーパワーを世の中の為に使わなかったら、悪党が好き放題出来て、世の中が無茶苦茶になるだろう? だからさ」
ふと、志津子から聞いたNGOの医師の話が、慧夢の頭に甦る。
特撮ヒーロー物の主題歌を聴いたせいで、ヒーローに関する印象深い話を、慧夢は思い出したのだ。
(――ま、別にヒーローになろうって訳じゃ無いけどさ、なれる訳も無いんだし……)
言い訳染みた言葉を心の中で呟きながら、慧夢の意識は徐々に遠くなって行く。
かなり速いペースで、慧夢は眠りの世界に落ち始めたのである、
制服姿で靴を履き、ポケットにはゴツイ物が入っているので、眠り易い格好では無いし、普段より早目にベッドに入っていたりと、眠り難い条件は揃っている。
だが、学校で居眠りしたとはいえ、徹夜した影響は大きく、眠り難い筈の幾つかの条件を、あっさりと睡魔は乗り越えてしまい、慧夢を眠りの世界へと誘う。
プレイリストの二曲目が始まる頃、慧夢は寝息を立て始めた。
眠りの世界へと、完全に落ちたのである。
× × ×