09 さっさと入る夢、探さないと……十分なんて、あっという間だし
閉ざされていた意識が覚めた事に、慧夢を気付かせるのは、耳から飛び込んで来る、聴き慣れたメロディ。
好きな映画のサウンドトラック集を編集したプレイリストを、枕元のスマートフォンで、鳴らしっ放しにしていたのだ。
ベッドに入った直後に、一曲目から再生を開始、記憶に残っている、眠る前に最期に聴いていたのが、六曲目だったのを慧夢は思い出す。
「――これ、七曲目だから……まだ眠ったばかりだな」
呟きながら、瞼を上げた慧夢の目に飛び込んで来るのは、暗い部屋の天井。
眠る前……ベッドで寝ていた時より、木目が確認出来る程に天井が近くに見えるのは、慧夢が宙に浮いているからだ。
正確には、肉体から抜け出した慧夢の幽体が、ベッドで仰向けに寝ている慧夢の肉体から離脱し、その一メートル程上を、ふわふわと浮いているのである。
要は、慧夢は現在……幽体離脱中なのだ。
「――今、何時だろ?」
慧夢は宙に浮いたまま向きを変え、枕元に置いてある目覚まし時計に目をやる。
幽体離脱中の慧夢は、陸上だけでなく空中でも、自由自在に幽体の身体を動かせる。
常夜灯の仄かな光しかない夜でも、仄かなオレンジ色の光を放つので、見易いデジタル時計は、現在時刻が午前一時二十二分であるのを、慧夢に告げる。
時計のついでに、ベッドの上で仰向けになり眠っている、青いTシャツに短パン姿の自分の姿が、幽体となっている慧夢の目に映る。
眠っている自分の姿など、慧夢にとっては見飽きているので、別に特別な感慨は無い。
毎晩の様に見ているのだし、今日……いや昨日は教室で居眠りしてしまったので、二度も見てしまった位なのだから。
「そういや、昨日の居眠りの時は、酷い夢の中に入っちまったな」
悪夢としか思えない、素似合の夢を思い出し、慧夢はげんなりとした気分になる。
「学校では居眠りしない様に、気をつけてはいるんだけど……」
慧夢の夢芝居という能力は、眠りの世界に入ると、数秒から数分の間に、自動的に発動する。
普通は今回みたいに、眠って意識を失ってから数分後、肉体の近くに幽体が分離した状態で、慧夢は意識を取り戻す。
そうなれば、後は誰の夢であろうが、慧夢は自分で選んで、入り込む事が出来る。
だが、夢芝居の能力が発動した直後、肉体から幽体が離脱し、意識が回復するまでの間に、近くで眠り……夢を見ている人間がいると、慧夢の幽体は、その人間の夢に吸い込まれてしまうのだ。
昨日の居眠りで、望んだ訳でも無いのに、素似合の夢の中に入り込んでしまったのは、慧夢が居眠りし始めた時、隣の席の素似合も、居眠りをしていたから。
幽体離脱した慧夢の意識が回復する前に、慧夢の幽体は素似合の夢に、吸い込まれてしまったのである。
この近くで寝ている人の夢に、自動的に吸い込まれてしまうのは、同じ部屋で寝ている人間か、屋外なら半径五メートル程の範囲に限られる。
その条件を満たす人間が、複数存在する場合は、その中で一番近い場所にいる人間の夢に、慧夢の幽体は吸い込まれる。
つまり、家で寝る時は、自分の個室で眠る為、慧夢は自動的に家族の夢に、吸い込まれたりはしない。
幽体離脱して意識を取り戻してから、好きに選んだ誰かの夢の中に、入るのだ。
別に、誰かの夢の中を覗きたくて、慧夢は夢の中に入る訳ではない。
幽体離脱してから十分位の間に、誰かの夢の中に入らないと、慧夢の幽体は肉体に、自動的に引き戻されてしまう。
幽体が肉体に戻ると、慧夢は眠りから覚めてしまう。
つまり、慧夢は誰かの夢の中に入らないと、十分後に目覚めてしまうのだ。
十分おきに目覚める様では、肉体(この場合、脳も含む)を休める睡眠の役割が果たせず、慧夢の肉体は睡眠不足で衰弱してしまう。
下手すれば死に繋がる衰弱を避ける為、睡眠時の幽体離脱中、慧夢は誰かの夢に入らざるを得ないのである。
家族の夢には入るなと、両親に命じられている為、「強制的に吸い込まれてしまう」場合以外、慧夢は家族の夢には入らない。
幽体離脱状態となった慧夢は、幽体のまま空を飛び……目に付いた誰かの夢の中に入り込む。
「――さっさと入る夢、探さないと……十分なんて、あっという間だし」
慧夢は枕元にあるスマートフォンを一瞥し、電源を切ろうかどうか迷う。
幽体でいる時、慧夢は物に触れる事が出来るし、通り抜ける事も出来る。
つまり、スマートフォンの操作も可能なのだが、物に触るとエネルギー……霊力を消耗してしまうので、幽体離脱の継続時間が減り、十分もたなくなってしまう。
継続時間が減ると、まともそうな夢を探す時間が減ってしまうので、慧夢としては、継続時間の減少は避けたい。
少しだけ迷った結果、慧夢は電源を切らず、家を出る事を決め、幽体を上昇させ始める。
天井にどんどん近付き、慧夢の身体は天井に衝突……せずに、通り抜けてしまう。
真っ暗な天井裏を通り抜けると、夜の海面の様に瓦が波打つ屋根の上に、慧夢の幽体は飛び出す。
水しぶきこそ上がらないものの、二階建ての自宅の屋根から、飛び出す慧夢の幽体は、海面からジャンプするイルカの様に見える。
もっとも、見えるとは言っても、幽体となった慧夢の姿は、普通の人には見えはしない。
見えるのは、ごく一部の霊能力を持つ人間や、霊的な感覚が強い一部の動物……そして、たまに見かける、死霊の類くらいなのだが。
屋根を飛び出した慧夢の視界に、程良い感じに欠けた月が浮かぶ、満天の星空が飛び込んで来る。
この……屋根を飛び出した直後に、目にする夜空の光景が好きなので、慧夢は幽体離脱後に部屋から出る時、仰向けのまま上昇して、屋根の上に飛び出す場合が多い。
時間が無いので、少しの間だけ美しい星空を楽しんでから、慧夢は身体を裏返し、顔を地上に向ける。
殆どの人は、地上で眠りに就いているので、夢を探すなら、地上を見ながら空を飛んだ方が良い。
高度五十メートル程まで上昇してから、慧夢は夜の街の上を、水平飛行に入る。
低く飛ぶと、広い範囲が見渡せないし、高度を上げ過ぎると、夢を探し難いので、高さは程々が良いのだ。
スピードも出そうと思えば、飛行機を越える程のスピードが出せる。
でも、速く飛ぶと霊力の消耗が激しいので、自転車や自動車と同程度のスピードで、飛ぶ場合が多い。