88 まぁ、今の所は冗談半分の話だけど、あんたと五月ちゃんが自分で相手も見つけられずに三十代迎えたら、冗談じゃなくなる話だからね
「――まぁ、人命救助に協力したのは良いが、夜中に出歩くのは良くないな」
その日の夕食の時、ダイニングキッチンのテーブルの席に座っていた慧夢は、右斜め前に座る作務衣姿の父親に窘められた。
左斜め前に座っている母親の和美が、慧夢が大志を助けた件について、籠宮総合病院から電話を受けた話を、夕食時の話題として持ち出した流れである。
「いや、それ……出歩いてたんじゃなくて、幽体離脱して空飛んでたら、道路で倒れてる人見付けたんで、身体に戻って現場にチャリで駆けつけて、救急車呼んだだけだよ」
「何だ、そうなのか。だったら良いんだが」
息子が深夜徘徊していた訳では無いと知り、父親は安堵の表情を浮かべる。
目付きが悪いが、基本は母親似の女顔である慧夢とは違い、父親は強面の濃い顔立ちで、目付きが悪くは無いのに、顔の迫力は常に慧夢以上なのだ。
「唆夢くんは、ほんと早とちりなんだから。話はちゃんと、最後まで聞きなさいよ」
和美が呆れ顔で、慧夢の父親……夢占唆夢を窘める。
和美の方は慧夢が買い物から帰った後、電話の件について慧夢を問い質した時、話を聞いていたのだ。
慧夢が夜中にコンビニに行った際、大志を助けた事について、籠宮総合病院から電話連絡を受けた……といった内容の話を、和美は先に話した。
その後、コンビニに行ったというのは嘘であり、慧夢が大志を見付けたのは幽体離脱中だった事などを話そうとしたら、その話を聞く前に、唆夢は慧夢を窘め始めてしまったのだった。
ちなみに、「唆夢くん」という呼び名は、二人が小学生時代からの幼馴染であるが故の、今更修正出来ない程に和美に染み付いてしまった、砕け過ぎた呼び名である。
「電話くれたのは、籠宮総合病院の女医さんなんだけど、助けられた人の妹さんでもあるらしくって、今度改めてお礼に伺いますって。律儀な人みたいね」
志津子の顔を思い出しつつ、慧夢は口を開く。
「改めて礼とか……いらないって言ったんだけど。確かに律儀な人っぽくは見えたな」
「お、その女医さんと会ったのか?」
女医という言葉に興味を惹かれた唆夢は、箸で口に運ぼうとした餃子を皿に戻しつつ、慧夢に問いかける。
「会ったけど」
「どんな女医さんだった? 美人か?」
唆夢の問いに、慧夢は頷く。
志月の件のせいで疲れた感じで、見た目に余り気を使う余裕が無い状態の志津子としか、慧夢は会っていないが、それでも美人だと認識していた。
「歳は幾つだ? 独身か?」
「だいたい三十前後かな? たぶん独身」
「独身の美人女医か……そいつは良い!」
嬉しそうな唆夢の顔を見て、不愉快そうに眉を吊り上げつつ、和美は口を開く。
「何で唆夢くんが喜んでるのよ?」
「そ、それは……高校生にもなるのに、彼女とか出来る気配すら無い慧夢が、少し歳が離れてるとはいえ、独身の美人と知り合えたのは、父親としては喜ばしい事かなと思ってさ」
「嘘ばっかり! 単に美人の女医に、唆夢くんが弱いだけでしょ」
和美の言葉は図星であり、唆夢は気まずそうに苦笑いを浮かべながら、誤魔化す様に言い返す。
「いや、でも……美人と出会い関わり合いになるチャンスなんて、人生では限られているんだから、そういう出会いというのは大事にすべきだと思うんだよ。特に慧夢みたいに、女っ気の無い奴の場合は」
「――美人といっても三十歳前後なんだし、幾らなんでも歳が離れ過ぎでしょ」
呆れ顔で、和美は言葉を続ける。
「それに、慧夢は女っ気が無い訳じゃないんだし。素敵な女の子の幼馴染が二人もいるんだから」
和美の言う幼馴染とは、素似合と五月の事だ。
「あの二人は……確かに見た目は良いが、慧夢の彼女とかにはならんのだから、女っ気があるとは言えんよ」
慧夢の幼馴染である二人は、小さな頃から良く家に遊びに来ていたので、両親は二人を良く知っていた。
その個性的なキャラクターまで含めて。
「素似合ちゃんの方は、慧夢が性転換でもしない限り無理だろうし、五月ちゃんの方は、慧夢が三次元の世界を捨てて二次元のキャラにでもならない限り、無理だろう。女っ気という場合の『女』は、付き合う相手に成り得る『女』でないとな」
「素似合ちゃんの方は無理としても、五月ちゃんの方は……そうでもないんだけど」
しれっとした口調で、和美は慧夢にとって驚く様な事を言い出す。
「慧夢と五月ちゃんの両方が三十歳になった段階で、どちらも結婚相手が出来なさそうだったら、二人を結婚させるという事で、弥生ちゃん夫婦とは話がついてるから」
和美の話を聞いて驚いた慧夢は、口に含んでいた餃子を噴出しそうになり、慌てて左手で口元を押える。
そして、餃子を飲み下すと、焦り気味の口調で和美に問いかける。
「――な、何だよそれ? 冗談にしても悪趣味だぞ!」
「まぁ、今の所は冗談半分の話だけど、あんたと五月ちゃんが自分で相手も見つけられずに三十代迎えたら、冗談じゃなくなる話だからね」
和美は五月の母親である拝島弥生と仲が良く、気楽な話としてではあるが、そんな風な話を何度もしていたのだ。