87 手巻き式の懐中時計って、売ってます?
腕時計同様に携帯する時計だから、懐中時計は腕時計の近くにあるのではと考え、慧夢は腕時計コーナーに移動し、その辺りを見て回る。
だが、腕時計は様々な種類の物があるのだが、懐中時計は何処にも見当たらない。
「ここに無いと、他の時計屋探すか、通販で買うしかないんだけど……」
困り顔で呟いた直後、カウンター内にいる三十過ぎと思われる、小太りの男性店員の姿が、慧夢の目に映る。
(――訊いてみるか。無いんだったら他所の店回ってみて、今日中に見付からなければ、通販だな)
慧夢はカウンターの方に歩いて行き、店員に訊ねる。
「手巻き式の懐中時計って、売ってます?」
「申し訳有りません、以前は扱っていたんですけど、お求めになるお客様が少ないもので、今は扱っていないんですよ、懐中時計」
「そうですか……」
カウンターの中にいる申し訳なさそうな顔の店員に、軽く会釈をしてから、慧夢は踵を返して歩き始める。
用済みとなった時計コーナーを出て、手にしている斧の会計を済ませる為に。
そして、時計コーナーを出た直後、慧夢は背後から先程の店員に、呼び止められる。
「あ、お客さん! お待ち下さい! ひょっとしたら、サービス品のワゴンの中に、手巻き式の懐中時計……有るかも知れません!」
慧夢は立ち止まって振り返り、店員の方に目をやる。
すると、店員が慧夢の左側を指差していたので、その方向を確認すると、一台のワゴンが目に映った。
所謂、売れ残りの商品を値引いて、サービス品として販売する為のワゴンだ。
既に懐中時計は普通の形では店に並んでいないのだが、サービス品のワゴンの中には売れ残っている可能性を、店員は思い出したのである。
「最後に仕入れた懐中時計は、値引きの上でサービス品として、お客様に提供する事にした筈ですので、宜しかったら……どうぞワゴンの方をお確かめになって下さい」
そう言われた慧夢は、近くにあったサービス品のワゴンに歩み寄ると、その中に右手を突っ込んで、漁り始める。
他の棚やケースとは違い、サービス品のワゴンの中は、様々な時計がごちゃごちゃに積まれている状態なので、その中から漁って探し出さなければならないのだ。
目に入るのは、安っぽい腕時計や目覚まし時計ばかりなので、余り期待はせずに、慧夢はワゴンの中を物色し続ける。
すると、擦れた感じの傷がついている、透明なプラスチックケースを、慧夢の視覚が捉える。
「これは……」
腕時計などとは感じが違う風に見えたケースを、慧夢は手にとって確認する。
すると、ケースの中には銀色の懐中時計が、チェーンと共に収まっていた。
「懐中時計だ!」
慧夢は興奮気味に呟きながら、ケースの裏に貼ってある、商品説明のシールを確認。
文字は掠れていて少し読み辛いのだが、「カレンダー付き」や「手巻き式」などの文字を、慧夢は確認出来た。
「手巻き式じゃん! おまけにカレンダーまで付いてる奴だ!」
ケースはボロボロと言える状態だが、慧夢が欲しい機能そのままの懐中時計だったので、慧夢は思わず喜びの声を上げる。
「値段は……元々が二万八千円だったのが、六千八百円か! 値引率は凄いけど、予算的にはギリギリだな……」
慧夢が用意した資金は、とっておきの一万円。
斧と合計して消費税分を含めると、一万円が殆ど無くなってしまうのを知り、慧夢は肩を落として溜息を吐く。
高校一年生の慧夢にとって、一万円というのは結構な大金である。
(お年玉の残りが、これで消滅か……。まぁ、でも……これがないと、黒き夢の中に入ったら、現実の時間が分からなくなるからな。制限時間を把握する為には、買わない訳にはいかないし)
手巻き式懐中時計の重要性を、慧夢は自分に言い聞かせる様に、心の中で呟き続ける。
(これが有れば、生きて帰れる確率が上がるんだ。生きて帰れば、今年から高校生だし夏休みにはバイトだって出来るんだから、一万円くらい……すぐに夏休みのバイトで稼げるって!)
そう考える事にして、購入を決意した慧夢は、店員に声をかけられる。
「お探しの物、ありましたか?」
ワゴンの前で深刻な顔で、何か悩んでいる感じの慧夢の事が気になったのか、カウンターの中にいた店員は、声をかけたのだ。
「――あ、ありました!」
慧夢は言葉を返しつつ、懐中時計のケースを持ち上げて店員に見せると、その場をケースを手にしたまま後にして、レジが並ぶ会計コーナーに向かって歩き始める。
とっておきの一万円が消えて無くなるショックは大きく、慧夢は何度も溜息を吐いてから、レジの前に辿り着くと、会計を済ましてホームセンターを後にした。
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