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82 どうせ命懸けで救うのなら、もっと可愛気がある女の子の方が良かったなぁ

 別に自分にメリットがあるから、志月の命を救いたい訳では無い。

 そもそも、志月の命を助けても、自身が何かメリットを得られたりする訳ではないというのが、これまでの慧夢の認識だった。


 だが、現実には慧夢自身にも、得られるメリットはあったのだ。

 他人など関係無い、これまでより自分自身の事を、マシだと思える様になるたぐいの、慧夢の心の中だけのメリットでしかないのだが。


 慧夢自身が「悪く無い」と表現した通り、決して「良い」とか「素晴らしい」とか言えるレベルのメリットでは無い。

 その「悪くは無い」程度のメリットこそが、命懸けで志月の命を救うかどうかを、慧夢に決断させる事になる。


 追い込まれている人間は、まともな判断など出来ないのだから、本人の意思がどうだろうが命を救うべきだという、伽耶が主張し乃ノ香が支持した意見を、慧夢は正しいと思った。

 故に、志月自身が死にたがっているのは、慧夢にとって志月の命を救わないで良い理由とはならない。


 自ら死のうとしている事を理由に、自殺しようとしている人間を助けない様な人生は、つまらない人生だという五月の意見も、慧夢は正しいと思った。

 助けたいと思うのなら助けないと、その先の人生が偽物となり、後悔と自己正当化に埋め尽くされるという、素似合の意見も、慧夢には正しいと思えた。


 伽耶と乃ノ香により、助けない自分を正当化する理由は取り除かれた。

 五月と素似合により、志月の命を救わない場合にこうむるデメリットを、慧夢は思い知った。


 この段階では、志月の命を助けようという決断をするには、慧夢は至らなかった。

 飛び込み台のへりに立ちはしたが、数メートル下に水面が見える、飛び込み用のプールに飛び込むには、あと一押しだけ足りない感じの状態。


 そんなギリギリの状態で、「悪く無い」と思えるメリットを、はっきりと慧夢は自覚したのだ。

 その「悪くは無い」程度のメリットは、ギリギリの所で迷い続けていた慧夢の背中を押すのには、十分な存在と成り得た。


「優れた力を与えられた者は、その力を世の為に使わなければならない、例え命の危険がある場合であっても。そうしないと、世の中が無茶苦茶に……悪くなるから」


 志津子から聞いた話を、もう一度慧夢は呟いてみる。

 以前だったら、只の他人事にしか思えないだろう綺麗事。


 でも、今の慧夢には他人事では無い……自分に当て嵌まり得る話として、受け取れるのだ。


「――まぁ、俺が何かしたところで、世の中がどうこうなる程の影響力なんて無いだろうけど、女の子一人の運命くらいなら、俺の力でどうにか出来るかも知れないんだ」


 その女の子……志月の顔を、慧夢は思い浮かべてみる。

 覚えているのは不愉快そうな表情ばかりで、思い浮かべて楽しい気分になる志月の顔など、慧夢の記憶の中には無い。


「どうせ命懸けで救うのなら、もっと可愛気がある女の子の方が良かったなぁ」


 苦笑しながら愚痴を零した慧夢は、何時の間にか部屋が明るくなり始めているのに気付く。

 朝陽が出たのだろう、夜に慣れた目には眩い朝陽が、広げられていないカーテンのせいで殺がれもせずに、部屋の中に射し込みはじめたのだ。


 慧夢は起き上がってベッドから下りると、東側に面している方の窓際まで歩いて行く。

 窓際に辿り着いた慧夢は、窓の外に目をやる。


 住宅地なのだが、慧夢の家の東側には三軒、古くから建っている広い平屋が並んでいるので、平屋の向こうにある二階建ての住宅の屋根越しに、朝陽が拝めるのだ。

 水面の様に波打つ消し炭色の屋根瓦の向こうに、眩い光を放つ朝陽が顔を出しつつある。


 慧夢は眩さに目を細めつつ、外気を吸いたい気分になり、窓を開け放つ。

 冷たく新鮮な早朝の空気が、微風と共に流れ込んで来て、部屋の中の空気を入れ換え始める。


 大きく息を吸い、慧夢は新鮮な早朝の空気を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 この数日間悩み続けたせいで、心の中に溜まってしまっていた心のもやもやが、吐き出した息と共に身体の外に排出されたみたいな、爽快な気分。


 そんな気分になったせいで、はっきりと慧夢は自覚する……悩む時間は終り、既に自分が決意した事を。

 決意したからこそ、心の中からもやもやが消え去り、爽快な気分を味わえているのだと。


「――んじゃ、まぁ……黒き夢の世界の中まで、行ってみるとするか……籠宮の命を救う為に……」


 決意を呟く慧夢は、普段と変わらない……気楽な口調。

 だが、その表情には一点の曇りも無く、爽やかに引き締まっている。


 慧夢の表情は、命懸けの覚悟の上で、揺ぎ無き決意を固めた事を表していた。

 命懸けであろうが、夢芝居を使って志月の命を救うと、慧夢は心に決めたのである。


    ×    ×    ×





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