81 そいつは、悪く無いな……
「実は……夢占君が本当に、他人の夢の中に入れるなら、志月の夢の中に入って、夢の世界から志月を連れ戻して……目覚めさせたり出来るかもしれないと思って、頼もうと思ってたんだけど。入れないんじゃ無理だよね」
この絵里の話を聞いて、慧夢は初めて気付いたのだ。
長い間眠り続けている人間を、強引に目覚めさせる目的に、夢芝居が使える事に。
長期間眠り続けてしまうタイプの睡眠障害を煩った人間など、志月が永眠病になる迄は、慧夢の前には現れた事がなかった。
それ故、そういった夢芝居の使い方に、慧夢は気付かなかったのだ。
志月が永眠病になったらしいと知ってからも、夢芝居で志月を目覚めさせる事が出来る可能性に、慧夢自身が気付かなかったのは、夢の世界で夢の主に干渉し、夢の主を目覚めさせるのは、慧夢にとっては日常といえる程に慣れた行為となっていたからだろう。
夢に入ってしまった自分が、夢の中から逃れる為の行為として、夢世界の主を目覚めさせるのに慣れていた為、夢世界の主の為に目覚めさせるという考えに、至れなかったのである。
慧夢が自分からは、見知った相手の夢世界には入らない事も、自分から志月の夢世界に入り、目覚めさせられる可能性に気付けなかった理由の一つだろう。
入りたくもないのに巻き込まれる場合以外、慧夢は見知った人間の夢世界には入らない為、自分から志月の夢世界に入るという方向に、思考が向い難かったのだ。
とにかく、この絵里の発言を切っ掛けとして、夢芝居は人の役に立ち得る能力だという認識が、慧夢の中に生まれたのである。
志月の夢世界に入って目覚めさせる事自体は、志月の夢世界が黒き夢であったのに怯んだ為、現時点では実行に至っていない。
だが、黒き夢である志月の夢世界に、死を望む志月の意思を無視して、助けに入るか悩む羽目になった為、夢芝居は人の役に立ち得る能力だという認識は、より強まった。
強まった原因は、夕暮れの帰り道で素似合と交わした話だ。
「あの頃、クラスの連中から僕はハブられてたけど、慧夢と五月だけは変わらずに、僕と遊び続けてくれたじゃないか。変わらないでいてくれた君には、かなり助けられたと思ってるし、感謝もしているんだけどね」
カミングアウトの後、クラスメート達に除け者にされた時期、それまでと変わらず接し続けた慧夢への感謝を、素似合は口にした。
当時の慧夢が素似合に対する態度を変えず、それまで通りに接し続けられたのは、慧夢が夢芝居という能力を持っていたが故。
慧夢は元から、夢芝居で素似合がレズビアンであるのは知っていたし、人間が呆れ果てる様な願望や欲望を隠し持っているのは、当たり前であるという認識に、夢芝居のせいで至っていた。
つまり、慧夢が素似合への態度を変えなかったのは、夢芝居という能力を持っていたからだと言える。
言い方を変えれば、夢芝居のお陰で素似合は救われたと、言えなくも無い訳だ。
過去に夢芝居で人助けをしていたかもしれない可能性に、素似合との話で気付かされた事も、慧夢の中で「夢芝居は人の役に立ち得る能力」だという認識を、強めたのである。
絵里や素似合との話を切っ掛けとして、慧夢の中での夢芝居は、単なる面倒で厄介な特異体質というだけでなく、人の役に立ち得る優れた能力でもあるのだと、認識が変化し始めていた。
ただ、変化し始めていただけであり、自分が夢芝居という優れた能力を持っていると、自らを信じるには至っていない。
その能力で自ら何かを為した訳でも無いのに、「自分は優れた能力を持っている」などと思い込むのは、自惚れた滑稽な事だと、慧夢には思えるからだ。
素似合とのエピソードに関しては、慧夢自身が能動的に助けた訳ではなく、偶然助けになる形で、夢芝居が働いたという思いが強い。
偶然が色々と重なり、素似合の助けになる形で、夢芝居が機能していた可能性があると思える程度なのだ、慧夢にとっては。
確かに、素似合の助けには、なったのかもしれない。
でも、偶然に様々な要素が良い形で働いた可能性が強い、素似合とのエピソードだけでは、「自分は優れた能力を持っている」と、慧夢は信じるには至れない。
(実際に、夢芝居を使って……人を救ってからでないと、そんな自信なんか、持てる訳が無いか)
実際に行動を起こし、事を成さなければ、そんな自信など得られる訳は無いのを、慧夢は知っている。
ただ思っているだけ、考えているだけでは、何も得られないのだ。
「つまり、籠宮の命を夢芝居で救えたのなら、その時……俺は夢芝居を、『人の役に立つ優れた能力』だと思えて、『自分は優れた能力を持っている』のだと、信じられる訳か……」
夢芝居のせいで、慧夢は一時期……酷い人間不信を拗らせ、いまだに女性不信は微妙に残っている。
普通の人は休んでいられる夜に、人の夢に入って色々と面倒な目に遭うのも、夢芝居が原因となって、経験している苦労といえる。
自分の人生を拗らせ、色々と面倒が多いものにしてきた夢芝居、本音を言えば無くなって欲しいと思い続けて来た、面倒な特異体質。
おそらくは今後の人生も、慧夢が付き合い続けていかなければならない、先祖から受け継いだ重荷。
もしも、志月の命を夢芝居で救えたのなら、面倒な特異体質が優れた能力だと、思える様になれるのかも知れない。
先祖から受け継いで、これから先も背負い続けなければならない重荷が、人の命を救える程に役立つ道具なのだと、思える様になるのかも知れない。
慧夢の心の中に生まれた、そんな風な考え方が、心の水面を波立たせ、波紋は心の中……全体に広がって行く。
心の中から沸いて出た言葉を、慧夢は微笑を浮かべつつ、ぼそりと呟いてみる。
「そいつは、悪く無いな……」