79 これは確かにつまらないな、読んでる奴……主役死ねの大合唱になるわ
伽耶や乃ノ香に続いて、慧夢の頭に蘇って来たのは、五月の姿と……五月と交した会話。
「まぁ、でも……主役が苦境に負けて自殺して終わるマンガや、苦境に負けて死のうとする脇役を、主役が脇役の意志を尊重して助けようともしないで、脇役が自殺して終わるマンガなんか、面白くもなんともないでしょ」
マンガ好きの五月は、マンガに例えて慧夢に自分の考えを話したのだ。
「苦境と対峙したキャラが、抗い……戦い抜いてこそ、物語はドラマティックに盛り上がるのに、苦境に負けて死を選ぼうとするキャラを、周りがが止めようともせず、そのまま自殺して終りとか、有り得ないよ。そんなマンガ、読んで楽しいと思う?」
そんな五月の問いに、慧夢も他の者達も首を振って否定の意を示した。
「――でしょ、そんなマンガつまらないよね」
当然だと言わんばかりの口調で、五月は言い切った。
「架空のマンガですらつまらない様な真似、現実の人生でやったって面白い訳が無い。自殺したい人の意志を尊重するって事は、自殺したい人の人生も、自殺を止めない人の人生も、つまらなくするものだと思うから、私はどっちもお断りだね」
「つまり、五月は自殺したい人の意志を無視して、止める方が正しいと?」
慧夢の問いに、五月は頷いた。
「当たり前でしょ。つまらないマンガも人生も、私……嫌いだもん」
五月の話を思い出し終えた慧夢は、心の中で呟く。
(――五月の考えだと、志月の命を救わないと、俺の人生は「つまらない」人生になる訳か)
慧夢は自分が主役となったマンガで、志月をそのマンガのキャラクターだと想像してみる。
兄が死んで精神的に追い込まれて、死を選ぼうとしている志月を、主役である自分が「本人が死にたいのだから、好きにさせてやれ」と言い出して、助けようとしない展開のマンガを、慧夢は思い浮かべてみて……げんなりとした気分になる。
(これは確かにつまらないな、読んでる奴……主役死ねの大合唱になるわ)
そして、思い浮かべたマンガと同じ事を、自分が主役といえる現実の人生で行えば、マンガと同様に「つまらない」のだろうと、慧夢は思う。
五月が「つまらない」の一言で切って捨てた様な人生に、自分の人生がなってしまうのだろうと、慧夢は思う。
(つまらない人生は、嫌だよな……)
心の中で呟いた慧夢の頭に、今度は五月と同じ腐れ縁の幼馴染である素似合の姿と、夕暮れに染まる道を歩きながら、素似合と交した会話が蘇って来る。
「モラルの観点で考えるから、難しく考えちゃうんだ。でも、自分がそういう状況になったら、どうすればいいのかなんて疑問への答は簡単だよ」
「――簡単だよって……どうすればいいのさ?」
「助けたいと思うなら助ければ良いし、助けたいと思わないなら、助けなければ良いだけ。思った通りに……やりたい様にすればいいだけの話」
「いや、幾ら自分がどうするかって問題でも、そこまで単純な問題じゃないだろ?」
そんな慧夢の反論に、夕陽の中……素似合は首を横に振ってみせた。
「法律とかの社会のルールを、どうするか考えるなら、そりゃモラルの観点が大事さ」
お前は分かっていないとでも言いたげな口調で、素似合は自分の意見を述べ続けた。
「でも……自分がどうするかを考えるなら、何が正しいかで決めるんじゃない、自分がどうしたいかで決めるんだ。そうしないと、後悔だらけの偽物の人生を送る事になるからね」
素似合は「自分がやりたい様にやる」事を、軸に置いた考え方をしていた。
それは性的マイノリティとして、普通の人が経験しない様な経験をして生きて来た結果としての、素似合の信条なのだ。
無論、素似合自身も全てにおいて、やりたい様に出来るなどとは思ってはいない。
後悔の無い本物の人生を送る為に、「やりたい様にやる」事は選ばなければならないというのが、素似合の考えでもあった。
「――小さな事なんか、どうでもいい。例えば、誰かに少し腹を立てて、やり込めてやりたいとか思うのは、小さな事だ」
素似合の言う「小さな事」に思い当たる事が、数多く存在したが故に、そう言われた時に慧夢は、気まずさを覚えざるを得なかった。
「そんな小さな事でやりたいようにやるのは、貴重なエネルギーの無駄遣いでしかない。大切で重要な……大きな事を選び、そのエネルギーは集中して注ぐべきなんだ。重要な事こそ、やりたい様にやらなくちゃ駄目なんだよ」
らしくない真面目な口調で、素似合は熱っぽく言葉を続けた。
「そして人の生き死にの問題は、それが他人であっても、大抵の場合は重要な問題の筈。だから慧夢……『自ら死を選んだ他人を、死から救うべきなのか?』という選択肢を、人生で本当に突きつけられた場合、君がどうするべきかは決まっている」
「――やりたい様にやればいいと?」
慧夢の問いに、素似合は大きく頷いた。
「その人を死から救いたいと思わなければ、そうすればいい。でも、救いたいと思うのなら、救わなくていい理由がどれだけ頭に浮かんでも、その全てを振り払って、その人を死から救わなければならない」
言い切った素似合に、慧夢は問いかけた。
「――救いたいと思ったのに、救わなくていい理由を振り払い切れず、救わなかったら?」
「その先の人生で、ずっと後悔し続ける事になるだろうね」
「――大げさな」
「大げさでもないさ」
分かっていないなと言わんばかりの口調で、素似合は大げさではない理由を、慧夢に説明した。
「その先の人生で、テレビやネットで自殺に関するニュースを見る度に、君は思い出す羽目になるんだよ、自ら死を選ぼうとした人を救いたいと思いながら、救わなかった過去を」
「――それは、そうかもしれないけど」
「過去を思い出す度に、救わなかった事への後悔に苛まれては、救わなかった自分を正しいと思い込もうとして、君は自分の精神を救おうとする。後悔に苛まれる自分を救う為の自己正当化に、君の人生の多くの時間は、費やされる羽目になるだろうね」
「そりゃ随分と、理不尽な話だな」
「理不尽? 違うよ」
首を横に振り、素似合は慧夢の言葉を否定した。
「人を『救いたい』と思った自分を裏切り、自分の人生を偽物にする選択をした者に与えられる、当然の罰って奴さ」
素似合が考えを語って見せた時の事を、ほぼ心の中で甦らせ終えた慧夢は、素似合の考えを大雑把に要約してみる。
(人間は自分がやりたい様に生きなければならず、そうしなければ後悔ばかりの偽物の人生を送る事になる。後悔は自分の人生を自ら偽物にした人間に対する罰である……みたいな感じか)
カミングアウトする以前の、レズビアンであるのを隠して生きていた頃の自分の人生を、素似合は「偽物」と切って捨てた。
素似合は「偽物」の人生を生きていた頃、数多くの後悔をしたのだろうと、慧夢は思う。
酷く後悔したからこそ、カミングアウト自体は暴発的な物であったにしろ、その後は苦難があれども、「自分がやりたい様に生きる」事を、素似合は徹底的に貫いて来た。
普段は気楽で馬鹿な、どこか残念なキャラクターにしか見えない素似合なのだが、そういう人生を生きて来たのを、間近で見て来た慧夢は知っているので、その考え方には凄味と説得力を感じるのだ。