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78 だから、そんな状態で死を選んだ志月の意志なんか無視して、命を救うべき……というのが、先生の考えか……

 既に空は白み始めているとはいえ、陽は出ていないのだが、気の早い小鳥は囀り始めている。

 午前四時を僅かに過ぎた頃合、慧夢はベッドの上で仰向けに寝転んではいたが、まだ眠ってはいなかった。


 帰宅後にシャワーで汗を洗い流し、着替えてベッドで横になったのだが、慧夢は目が冴えて眠れずにいたのだ。

 色々な事があったので、気が昂ぶってしまったせいだ。


 眠れない夜には、色々な記憶が頭に蘇って来るものである。

 朝陽が出ていないとはいえ、夜とは言い難い時間ではあるのだが、眠れない時間を過ごしている慧夢の頭には、色々な記憶が蘇って来ていた。


 記憶の多くは、ここ数日の間……慧夢の頭を占め続けていた、「自ら死を選んだ他人を、命を賭してまで死から救うべきなのか?」という問題に関するもの。

 より具体的に言えば、「死のリスクがあっても、自ら死を選んだ志月の黒き夢の中に入り、志月の命を救うべきなのか?」という問題なのだが。


 自分自身でも徹底的に、慧夢は問題の答を考えた。

 持ち合わせているモラルや人間的な感情のせいだろう、失われそうになっている命があるのなら、救いたいというのが慧夢本来の欲望や願望と言える。


 だが、本来の欲望や願望通りに行動を起こせる程、人間は単純な生き物では無い。

 欲望や願望通りの行動を妨げる様々な要素が、大抵の場合は存在するのだから。


 志月の命を救う為には、慧夢自身が命懸けにならなければならないというのが、その最大の要素だ。

 命の危険に対する恐怖は、当たり前の様に心をすくませ、本来の欲望や願望通りに行動する為の決意を、慧夢に躊躇わせてしまう。


 救う対象である志月が、慧夢にとって親しくない相手である事や、自ら死を望んでいる事も、その要素となっている。

「志月を救いたい」という、欲望や願望こそが間違いだと、慧夢に思わせる形で、本来の欲望や願望通りに行動する決意から、慧夢を遠ざけてしまうのだ。


 結局、独りで延々と考え続けた結果、慧夢はまともに答を出せなかった。

 そんな風に慧夢が悩んでいるのを察した伽耶に、放課後の部活の時間に問いかけられたせいで、慧夢は他者の意見を知る機会を得た。


 ベッドの上で眠れずにいる慧夢の頭に、まずは伽耶の姿と共に、伽耶との会話が蘇って来る。


「死を避けられぬ病で、生きていても苦しいだけの人の場合は、死のうとするのを止めるべきではないんじゃないかな。改善の見込みが無いのに、ただ苦しむだけの人生を送りたくないという人の意志は、尊重すべきだと思うから」


 その考えには、慧夢も同意出来た。

 ただ苦しみ続けるしか無い人間に、無理にでも苦しみながら生き続けろというのは、慧夢には傲慢過ぎる様に思えたのだ。


(帝都大学の大学病院の、永眠病で死んだ末期ガン患者は、このケースに該当するから、その人が仮に俺の知り合いだったとしても、たぶん俺は命を救おうとは思わなかっただろうな)


 だが、その末期ガン患者だった永眠病患者とは違い、志月は親しくないとはいえ知り合いではあるし、尚且つ死を避けられぬ病では無い。

 まず、このケースに志月は該当しない。


 その後の伽耶との会話の続きを、慧夢は心の中に甦らせる。


「でも……それ以外の場合は全て、相手の意志なんて無視して止めるべきだと思うよ。止める方が正しいと、あたしは思うね」


「――その理由は?」


「自殺したいと思う人って、人生で最悪って言えるくらいに悪い時期を迎えて、追い込まれているもんだろ?」


 この会話が為された放課後、伽耶の問いに慧夢は頷いた。


「でもね、人間は悪い時期……精神的に追い込まれている時期には、正しい判断が出来ないものなんだ。そういう時には視野や考え方が狭くなっていて、悪い事ばかりが目に入り、悪くしか考えられなくなるものだからね」


 伽耶は真剣な口調で、言葉を続けた。


「視野や考え方が狭くなってる時には、正しい判断なんて出来っこない。だから、人生で悪い時期……追い込まれている時期には、大事な決断はしちゃ駄目なんだよ」


「つまり、自殺したい人は……人生で悪い時期にいて追い込まれているんで、視野や考え方が狭くなっていて、正しい判断なんて出来る訳が無い人だと?」


「その通り。生きるか死ぬかなんていう大事な決断を、そんな人間にさせちゃいけない。だから本人の意志なんて無視して、止めるべきなんだ」


 会話を甦らせ終えた慧夢は、ベッドの天井を眺めながら、伽耶の考えで言えば、このケースに志月は該当するだろうと思う。


(――最愛の兄を亡くしたせいで、精神的に追い込まれて死を選んでしまった志月の場合、正しい判断が出来ない状態で、死を選ぶ判断をした事になる)


 伽耶の意見を、慧夢は志月に当てめつつ、心の中で伽耶の意見を整理する。


(だから、そんな状態で死を選んだ志月の意志なんか無視して、命を救うべき……というのが、先生の考えか……)


 普段の伽耶のイメージからは遠い、人生の先達としての大人っぽい考え方だなと、慧夢は感じた。

 きっと人生で悪い時期を何度も経験して、自ら正しくない判断をしてしまった自覚があっての言葉……そんな重みというか説得力が、伽耶の話にはあったのだ。


 そして、伽耶の話に関連して、自分が虐めに遭い、自殺を考えた経験がある乃ノ香の話も、慧夢の頭に蘇って来る。


「今は心の底から思います、あの時……自殺なんてしなくて良かったって。だから、追い込まれたからって死んで楽になろうという人がいたら、本人の意志なんて無視して、周りの人は止めるべきなんだと思いますよ」


 苛められたり、自殺を考えた過去があるなどとは、思いもしなかった乃ノ香の発言に、慧夢は結構驚いた。

 そんな実体験を根拠とした乃ノ香の発言は、伽耶の考えの正しさを示す根拠の様に、慧夢には感じられた。


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