73 ――その、どうやって治療したらいいのかすら分からない患者って、ひょっとしたら……籠宮志月さんの事ですか?
「兄妹揃って、立派な志望動機ですね」
お世辞ではなく、率直な感想を慧夢は口にする。
「まぁ、命を救われたNGOの医師団に参加して、一年の半分くらい世界中を飛び回ってる兄さん程に、世の中の役には立てていないんだけどね、私の方は。一年に一ヶ月程しか、医療ボランティア活動には参加出来ていないから」
志津子は自嘲しつつ、肩を竦めてみせる。
「目の前に運ばれてくる患者を救うのが、今は手一杯なんだ。どうやって治療したらいいのかすら、分からない患者もいるし……」
突如、志津子の表情が翳る。
自分が口にした言葉から、目の前に運ばれて来た患者……しかも原因も治療法も不明の患者の事を、志津子は思い出してしまったのだ。
そんな志津子の思考を、志津子の夢世界に入った時に得た情報や会話の流れから、慧夢は察してしまう。
永眠病という得体の知れない病気を患う、患者にして姪である志月を思い出し、不安と無力感に苛まれたせいで、志津子の表情が翳ったのを。
(籠宮の事を考えているみたいだし、「どうやって治療したらいいのかすら、分からない患者」って話の流れからも、籠宮や永眠病の話を持ち出すなら……今しか無いんじゃないか?)
志月の話題を持ち出すチャンスだと判断した慧夢は、そのチャンスを逃すまいと、志月の話題に話を持って行く事を即断。
慧夢は志月の身内であり担当医である志津子から、志月について探りを入れる為に、深夜の食事に来た様なものなのだから、即断するのも当たり前。
慧夢は志月と親しくはない為、志月の事を良くは知らない。
仮に志月を救うと決めた場合、そんな状態で夢世界に入るのはリスクが高過ぎるので、一応救うと決めた時に備えて、慧夢は志月の身内である志津子から、出来れば得ておきたい情報があったのだ。
不信感を抱かれてしまうかもしれないが、情報が得られなければ食事をしに来た本来の目的は果たせない。
強引過ぎる話の持って行き方かもしれないなとは思いつつ、慧夢は志津子に問いかける。
「――その、どうやって治療したらいいのかすら分からない患者って、ひょっとしたら……籠宮志月さんの事ですか?」
慧夢が志月の名を口にしたのを聞いて、志津子は目を見開いて一瞬、身体を硬直させてしまう。
慧夢が志月の名前を口にしたのにも驚いたのだが、「どうやって治療したらいいのかすら、分からない患者」が志月であるのを、言い当てられたのにも、志津子は物凄く驚いていた。
言葉を返すまでに、数秒が過ぎてしまう程に。
「――確かに、志月は私の患者なんだが……何で、君が志月の事を?」
「俺……川神学園の高等部で、籠宮さんと同じクラスなんです」
「ああ、だから志月を知ってるんだ」
慧夢が志月を知っている理由を知り、志津子は納得したかの様に頷く。
でも、すぐに別の事が気になったらしく、志津子は訝しげに慧夢に問いかける。
「でも、何で志月が治療法が分からない患者だって、君は思ったの?」
「ここ何日か、学校で噂になってるんです」
真剣な口調で、慧夢は言葉を続ける。
「籠宮さんは、お兄さんが亡くなったショックのせいで、ネット通販で買ったチルドニュクスを飲んで永眠病になって、籠宮総合病院に入院しているけど、治療法が無くて大変な事になっているって」
永眠病という言葉を耳にして、志津子の顔は明らかに強張る。
(表情に出易い人だな。嘘吐くのとか、下手そうだ……)
如何にも図星という感じの表情を浮かべた志津子を見て、慧夢は心の中で呟く。
「――へぇ、学校で……噂にね。いや、でも……永眠病はプラシーボ効果が原因となったトラブルで、実在する病気じゃないから、志月が永眠病だというのも只の噂だよ」
目線を少し泳がせながら、志津子は惚けて見せる。
「じゃあ、籠宮さんは永眠病じゃないんですか?」
慧夢の問いに、志津子は頷く。
「志月は、色々な心労が重なったのが原因の、只の睡眠障害。志月の担当医で、叔母でもある私が言うんだから、間違いないよ」
志津子は言い切るが、表情はぎこちないし、声のトーンは抑揚が無く不自然。
慧夢の推測通り、志津子は嘘を吐くのが上手くはないのだ。
(そう言えば、夢の中でもお兄さん相手に、あっさり嘘を見抜かれていたっけ)
夢世界の中でのエピソードを思い出しつつ、慧夢は志津子に問いかける。
「白衣に『籠宮』と書いてある名札が付いてたので、ひょっとしたら籠宮さんの身内の人なんじゃないかなと思ってたんだけど、叔母さんだったんですか」
最初から知っていたのだが、知らなかったフリをして、慧夢は言葉を続ける。
「籠宮さんと、そんなに歳が離れてる様には見えないんで、歳の離れたお姉さんか従姉妹だとばかり……叔母さんとは思わなかった」
志津子から情報を引き出し易くする為の、慧夢なりの世辞である。
世辞ではあるのだが、実際に志津子は叔母という程、志月と歳が離れている様には見えない。
慧夢の世辞は効果を発揮し、強張っていた志津子の表情は幾許か和らぐ。