68 ――決まりだね、別に遠慮とかしなくていいのに
(二日前と違って、夜中なのに賑やかだな)
廊下を歩き始めた慧夢は、そんな感想を心の中で呟く。
病院を評するのに「賑やか」というのは、相応しく無い気がしないでもなかった。
だが、起きている看護師や医師を目にする頻度が、二日前に幽体で訪れた時より圧倒的に高いので、そんな感想を慧夢は抱いてしまったのだ。
「夜中なのに、結構人が起きてるんですね」
「毎晩って訳じゃないけど、うちの病院は救急指定病院だから、救急の患者が担ぎ込まれる夜は、大抵こんな感じだよ。そうでない夜は、不気味なくらい静かだけど」
二日前に幽体で来た時にも、起きていた当直の医師や看護婦の存在を、慧夢は確認していた。
ただ救急の患者が担ぎこまれていなかったので、今夜の様に賑わってはいなかったのだと、慧夢は理解する。
「他に担ぎ込まれた患者がいるのに、俺を車で送ったりしていいんですか?」
「それは大丈夫、今夜の当直の医師は足りてるから。私は今夜は非番なんで、むしろ出しゃばったら当直の連中に、嫌な顔されちゃうよ」
籠宮総合病院の医師の中で、内科や外科を担当出来る者は、スケジュールを調整して週に二日、夜間救急医療を担当する当直医として、夜間勤務をする事になっている。
心療内科と神経内科を兼ねている自分は、内科も担当出来るので、当直の際は内科を担当している……などと、志津子は歩きながら慧夢に説明する。
「私は昨夜が当直だったんで……本当は今夜、きっちり眠っておきたかったんだけど、兄さんのせいで起こされちゃったのよね」
「――だったら、早く寝た方がいいんじゃ?」
「それが……一度目が覚めると、すぐには寝付けない性質なんだ」
肩を竦めつつ、志津子は言葉を続ける。
「まぁ、君を送った帰りにファミレスでも寄って、何か食べてから寝る事にするよ」
「こんな時間に、食事?」
「夜中に起きていると、妙にお腹が減っちゃうのよね。夜中に食べるのは健康上良くは無いんだけど、中々……堪え難い誘惑という奴で」
志津子は自嘲気味に、苦笑いを浮かべる。
「兄さんも夜中に起きていたら、お腹が減ったんで、コンビニまで食べ物を買いに行って、病院に戻る途中で転んだって言っていたし。血筋なのかな?」
「お兄さん……大志先生って呼ばれてたから、お医者さんなんだろうけど、当直だったんですか?」
大志を担当した若い男性医師が、「大志先生」と慧夢の前で呼んだので、慧夢が大志を医師だと知っているのは、既に志津子にとっては、おかしな事では無いだろうと判断し、慧夢は問いかけてみた。
慧夢は志津子の夢の中に入った時に、既に大志が医師であるのは知っていたのだが。
「あ、いや……兄さんも医師なんだけど、今夜は当直じゃなくて、別件で起きていたんだ」
その別件について、志津子は言葉を濁すが、それが志月関連の事であるのは、慧夢には容易に想像がついた。
「当直の医師や看護師には、ちゃんと病院に食事が用意されているんだけど、当直じゃない人間が当直の食事に手を付ける訳には、いかないからね」
今夜の当直では無い大志が、深夜コンビニに出かけたり、志津子がファミリーレストランに出かけようとしている理由を、志月は簡単に説明した。
そんな風に会話を交わしている内に、志津子の夢世界の中では走って通り抜けた待合室に、慧夢達は辿り着く。
薄暗い通路と違い、割と明るい待合室の中で、病院に担ぎ込まれた急患の家族らしい人が数名、固まって不安げに語り合っているのが、慧夢の視界に入る。
大志以外に担ぎ込まれた患者の、家族なのだろうと慧夢は思う。
「君も今夜は色々あっただろうし、お腹減ってるんじゃない?」
(――そう言えば、腹減ってるな。自転車であれだけ走れば、腹も減るか)
志津子に問われて、慧夢は自分の空腹を自覚する。
夕食を食べてから、かなり時間が過ぎているし、普段は身体を休めている時間に、相当に体力を消耗する様な真似をしたのだから、腹が減るのは当たり前。
「良かったら一緒に何か食べる? 勿論、奢るけど」
兄の大志を助けられた礼をしたい志津子は、慧夢を深夜の食事に誘う。
「あ、いや……別に腹は減ってないんで」
断りの言葉を慧夢が口にした直後、いきなり腹が鳴り出してしまう。
空腹を意識してしまったせいなのか、それとも大志の件が片付いたせいで、緊張が緩んだせいなのかは分からないが。
腹は減っていないと言った直後に、空腹で腹を鳴らしてしまった事への言い訳は、咄嗟に言い訳をでっち上げるのが得意な慧夢でも難しい。
当然恥ずかしさもあるので、慧夢は気まずそうに頬を赤らめる。
「――決まりだね、別に遠慮とかしなくていいのに」
志津子はフォローの言葉をかけるが、可笑しさで笑いが堪えられず、笑みを浮かべている。
決まり……というのは、これから一緒に食事に行く事についてだ。