60 少年マンガのヒーローじゃないんだ、そんなに簡単に自分の命は懸けられないだろ
リアルの方で用事があるらしく、スレッドを立てたスレ主の書き込みは、そこで終っていた。
その後は同じIDによる書き込みは無いまま、スレ主を釣り扱いする書き込みや、釣りでないにしろ永眠病の存在に対する否定的な書き込み、埼玉の患者が女の子である事に盛り上がる、無責任な書き込みなどが続いていた。
殆どの書き込みは、単なる思い付きを書き綴っただけの、慧夢には興味をそそられないノイズに等しいものばかり。
だが、スレ主の書き込みは、慧夢にとって強く興味を惹かれるものだった。
一連の書き込みは、釣りネタとしては余りにも出来過ぎていたのだ。
クライン・レビン症候群ではないかという疑いが、各種のデータや生理現象が無い事から否定されたり、衰弱を防ぐ為に完全静脈栄養法を行っていた事など、志津子の夢の中に入らなければ、慧夢も知らなかっただろう情報が、書き込みには含まれていた。
志津子同様に、永眠病患者に関わった医療関係者以外には、一連の書き込みは不可能だと、慧夢には思えたのである。
埼玉県川神市の総合病院にいるという、永眠病の女の子……つまり志月らしき存在に触れている事も、書き込みの信頼性を高めていた。
そして、書き込みを何度か読み直している内に、慧夢は志津子の夢世界の中で、志津子が語っていた話を思い出す。
志月の父親に、志津子がしていた話を。
「――思い付いた可能性は全て調べた上で、正直……私の手には余るケースだと判断したので、大学時代の恩師を頼り、睡眠障害に詳しい専門家を紹介して貰ったんだけど……」
その後、志津子が志月の父親と交わした会話によれば、その専門家の方でも志月と同様の症状の患者を抱えていて、原因も対処法も何も分からないとの事だった。
現時点で可能なのは、患者の身体の衰弱を防ぐ為に、輸液による完全静脈栄養法などの処置くらいしか出来ないという、志津子同様の認識なのが確認出来ただけで。
(その……籠宮の叔母さんが紹介して貰った、睡眠障害の専門家ってのが、帝都大学の人なんじゃないのか? 籠宮と同様の症状の患者っていうのが、この掲示板の書き込みの末期ガン患者で……)
志津子の夢で知った話を前提に、掲示板の一連の書き込みを読むと、慧夢にはそう思えてしまうのだ。
その推測が正しいかどうかを確かめる方法を、慧夢は持ち合わせてはいないのだが。
(夢占秘伝にも、黒き夢は半月の内に夢の主を殺し……とあったし、永眠病の色々な噂や、この掲示板の書き込みでも、チルドニュクスを飲んでから死ぬまでは半月……十五日)
既に何度も計算していたのだが、志月がチルドニュクスを飲んでからの日数を、慧夢は検めて計算し直す。
(籠宮がチルドニュクスを飲んで眠り始めたのは、六月一日。今日は六月八日……じゃなくて、もう九日だから、九日目になるのか。つまり、籠宮が死ぬのは十六日……七日後)
自分が救う為の行動を起こさなければ、志月は一週間後に死ぬ。
具体的な期日と期限が、慧夢の心に刻みつけられる。
迷い続ける時間が長くなる程、慧夢が志月の夢世界に入る選択をした場合、夢世界の中で活動出来る日数や時間が減ってしまう。
志月を救うのだとしたら、決断を先延ばしにするだけ、不利な状況に陥ってしまうのを、慧夢は自覚する。
(なるべく早めに、決断しなきゃ駄目なんだ。出来る事なら、今すぐにでも)
それは分かっているのだが、慧夢は決断出来ない。
決断を早める事の重要性を理解したところで、軽い決断ならともかく、命懸けの重大な決断を、すぐに出来る訳など無い。
志月の命も重いのだろうが、同様に慧夢自身の命も重いのだ。
迷い続けるのも、即断出来ないのも、当たり前の話といえる。
「少年マンガのヒーローじゃないんだ、そんなに簡単に自分の命は懸けられないだろ」
即断出来ずに迷い続ける自分に、情けなさと罪悪感を覚えてしまうせいか、慧夢は自分を正当化するかの様な言葉を呟いてしまう。
(何か言い訳でもしてるみたいだ。格好悪いな、俺……)
もやもやした気分のまま、慧夢は掲示板を見るのを止めてブラウザを操作し、気軽に楽しめるブラウザゲームのページに移動する。
そして、三十分程アクションゲーム系のブラウザゲームを遊び続けた頃、慧夢は眠気を覚えたので、ゲームを止めてノートパソコンをシャットダウンしてから、ベッドに移動する。
ゲームを遊んでも気は晴れず、どっちつかずのスッキリしない気分のまま、慧夢は青いTシャツと短パンを穿いてから、照明を落としてベッドの上で横になる。
何時も通り、好みの音楽をスマートフォンで垂れ流しにしながら、慧夢は目を瞑り……眠りの世界へと落ちて行った。
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