56 その先の人生で、ずっと後悔し続ける事になるだろうね
「その人を死から救いたいと思わなければ、そうすればいい。でも、救いたいと思うのなら、救わなくていい理由がどれだけ頭に浮かんでも、その全てを振り払って、その人を死から救わなければならない」
言い切った素似合に、慧夢は問いかける。
「――救いたいと思ったのに、救わなくていい理由を振り払い切れず、救わなかったら?」
「その先の人生で、ずっと後悔し続ける事になるだろうね」
「――大げさな」
「大げさでもないさ」
分かっていないなと言わんばかりの口調で、素似合は言葉を続ける。
「その先の人生で、テレビやネットで自殺に関するニュースを見る度に、君は思い出す羽目になるんだよ、自ら死を選ぼうとした人を救いたいと思いながら、救わなかった過去を」
「――それは、そうかもしれないけど」
今現在の出来事により、関連する過去の記憶が呼び覚まされる経験は、慧夢にも数多くあったのだ。
「過去を思い出す度に、救わなかった事への後悔に苛まれては、救わなかった自分を正しいと思い込もうとして、君は自分の精神を救おうとする。後悔に苛まれる自分を救う為の自己正当化に、君の人生の多くの時間は、費やされる羽目になるだろうね」
「そりゃ随分と、理不尽な話だな」
「理不尽? 違うよ」
首を横に振り、素似合は慧夢の言葉を否定する。
「人を『救いたい』と思った自分を裏切り、自分の人生を偽物にする選択をした者に与えられる、当然の罰って奴さ」
「――当然の罰……ねぇ」
やや納得が行かない気もしたのだが、同時に納得が行く気もしてしまうという感じの、曖昧な呟き。
自分を裏切って自分が罰を受けるというのに、理不尽さを感じはしたのだが、「やりたいと思いながら、やらなかった事」に対する後悔の念は、何かと頭の中に蘇って来るものなのを、慧夢も過去の経験から知っていたのだ。
(つまり、志月の命を救わないと、俺は一生……後悔に苛まれ、救わなかった自分が正しかったと、自分を正当化し続ける事になるのか……)
無論、そんな未来は慧夢も避けたい。
避ける為には、志月を死から救わなければならないのだが、その為には命懸けで黒き夢に入らなければならない。
(やりたい様にやるのも大変だが、やりたい様にやらない方も大変。同じ大変なら、やりたい様にやる方がマシなんだろうが、問題なのは……大変さが同じじゃない事なんだよな)
やりたい様にやらない方の大変さは、命懸けでは無いのだが、やりたい様にやる方は、命懸け。同じ大変な選択肢であっても、大変さには大きな違いが有り過ぎた。
素似合の話を聞いて、慧夢の心の中にある天秤は、自分がやりたい様にする、つまり「志月の命を救う」側の重さが増した。
だが、命懸けというリスクが与える影響は、決して軽くは無く、ギリギリまで傾きかけているのに、意を決するには至らない。
心がもやもやして、頭が重く……鬱屈した気分となり、慧夢の心は晴れない。
答が出せそうで出せないもどかしさに苛まれ、慧夢の表情は不自然な程に強張る。
そんな慧夢の表情の変化が意外だったのか、素似合は立ち止まると、戸惑い気味の表情で慧夢に問いかける。
「――これって……テレビ見た上で、考えたって話なんだよな?」
慧夢は立ち止まり、少し狼狽しつつ言葉を返す。
「え? あ……そうだよ」
自分が相当に深刻な表情で思い悩んでいたのを、素似合に気付かれたのを察した慧夢は、慌てて強張っていた表情を和らげる。
不信感を持たれない為に。
「だったら、真剣に考えるのは、実際にそんな目に遭ってからで良いんじゃないか?」
素似合の問いに、慧夢は頷く。
「――だよなぁ。何か柄にも無く、真剣に考え過ぎちまった」
「まぁ、僕も少し真剣に語り過ぎたから、慧夢の事は言えないかもしれないけど」
慧夢と素似合は顔を見合わせ、気恥ずかしそうに笑い合う。
そして、夕陽に染まる街の通りを、再び並んで歩き出す。
「慧夢が余りにも凄い顔で考え込んでるから、ひょっとしたら本当に、そんな目に遭ってるんじゃないかと思っちゃったよ」
図星だったのだが、焦りは表情に表さず、慧夢は惚けて話を合わせる。
「そんな訳無いだろ。死にたがってる奴なんて、俺の周りにはいやしないんだし、街中で自殺したがってる人に偶然出会う程、俺の人生はドラマティックじゃないし」
「そりゃそうだ」
そう言ってから、ふと……素似合は、何かに気付いたかの様な顔をする。