44 黒き夢は半月の内に夢の主を殺し、入りし夢占の者をも殺す、死の夢也
何故、わざわざ幻夢斎は普通に墨で書かずに、黒き夢についての詳細な話を、普通なら読めないだろう霊力を込めた文字で書いたのか?
それは、幽体離脱していない状態では、夢世界の光が見えない……夢芝居の能力が強く無い者が、絶対に黒き夢に入ろうとしない様にする為だと、幻夢斎は記していた。
黒き夢に近付き、夢芝居の力が異常に高まっても、幽体離脱していない状態で夢世界が見れぬ程度の力の持ち主の場合、黒き夢の夢世界に入れば、その者は確実に死ぬ。
故に、夢芝居の能力が低い者には、「黒き夢には、近付く事勿れ、決して入る事勿れ」という警告だけで十分であり、それ以上の情報を与えてしまうと、むしろ興味本位で黒き夢に入り、命を失う可能性が高くなるかもしれないと、幻夢斎は考えた。
だからこそ、黒き夢の夢世界に入っても、死なずに生きて戻れる可能性がある子孫にのみ、黒き夢についての詳しい情報を伝える為、わざわざ幻夢斎は霊力を込めた文字による文章を遺したのだ。
その下に墨で書かれている文章は出鱈目であり、何の意味も無いらしい。
「――出鱈目で意味は無いって? 一応……苦労して読もうとしたんだぞ、これ」
その墨で書かれた出鱈目な文章の上に、霊力で記述された光る文字で書かれた文章を読みながら、慧夢は愚痴る。
過去の苦労が無駄だった事を知り、げんなりとしてしまったのだ。
「いや、でも……幽体離脱しないで、この文章が読めるという事は、俺は黒き夢の夢世界に入っても、大丈夫なのか?」
抱いた疑問の答を知る為に、慧夢は夢占秘伝を読み進める。
「黒き夢は半月の内に夢の主を殺し、入りし夢占の者をも殺す、死の夢也」
その一文を読んで、慧夢は呟く。
「黒き夢は夢の主を殺し……って事は、黒き夢を見ている夢の主は、死ぬって事か。しかも半月の内に。それって、永眠病と同じじゃん」
永眠病の噂には、眠りに入ってから半月程で死ぬというものが多い。
だからこそ、絵里の夢の中で、魔女は言ったのだ。
「断言しよう! その娘が目覚める事は、二度と無い! オネイロスの祝福を受けて、夢を楽しみ続け……月が十五回夜空を巡った頃合に、幸せにタナトスの祝福を受け、死ぬだろう! 死ぬんだよ! 死ぬのさ!」
月が十五回夜空を巡った頃合とは、半月を意味しているに違いない。
おそらく絵里の知る永眠病の噂も、半月で死ぬというもので、それが夢に反映されたのだろうと慧夢は思う。
そして、この段に至り慧夢は確信を持つ。
自分の推測……夢占秘伝で語られる黒き夢とは、永眠病を患う者の夢世界なのではないかという推測は、正しいに違いないと。
慧夢は興奮気味に、夢占秘伝を読み続ける。
「死の夢であるが故、黒き夢には決して入ろうとは思う事勿れ」
幻夢斎は、霊力で記述された文章を読める程に、強力な夢芝居の能力を持つ子孫に対しても、黒き夢の夢世界には入るなと警告していた。
だが、幻夢斎の文章には続きがある。
「だが、死に逝く夢世界の主を、己が命を賭してでも救おうという、酔狂なる我が子孫の為に、此処に救う術を記すもの也」
命を賭してまで、志月を救いたいかどうかと訊かれたら、明確な答えを返せないだろうと、慧夢は思う。
慧夢にとって志月は、別に好きな相手でもなければ、親しい相手でも無いのだから。
しかも志月は自ら望んでチルドニュクスを飲み、永眠病になったのだ。
自ら死を望んだ相手の命を助けるのは、余計なお世話なのではと、慧夢は思わないでもない。
それでも、常識的なモラルを持ち合わせているが故なのか、志月の命を助けられるものなら助けたいと、慧夢が思っているのも事実。
命を賭しても志月を助けると、現状では言い切れないが、とりあえず情報は得てから決めようという曖昧な心理状態で、慧夢は夢占秘伝を読み進める。
「黒き夢の主を覚ます、唯一つの術。其れは、夢の鍵を壊す事也」
慧夢が現在用いている、夢世界の主を無理矢理に目覚めさせる二つの方法……夢の主に夢である事を知らせる方法と、夢の主に衝撃を与える方法は、夢占秘伝を読める年齢になる前から、慧夢自身で見出したものだ。
だが、その二つの方法は、夢占秘伝にも記されていたのを、夢占秘伝を読める年齢になった頃に、慧夢は知った。
夢占秘伝には霊力を込めた文字で、その二つの方法では黒き夢の主を、目覚めさせるのは不可能だという文章が書いてあった。
黒き夢を見ている夢世界の主を目覚めさせるには、夢世界の中で「夢の鍵」を壊さなければならないらしい。