42 家に帰ったら、夢占秘伝を読み直してみるか。困った時の夢占秘伝だ
窓から射し込む陽光に暖められた、午後の教室の気だるい空気は、居眠りするには最適の環境と言える。
一年三組の五時間目の授業中、眠りに対する逆らい難い誘惑と、慧夢は戦い続けていた。
志月や永眠病、チルドニュクスや魔女など、様々な事が気になったせいで、殆ど眠れずに朝までゲームを続けてしまった日の午後。
何時もより激しい睡魔に、慧夢は襲われている。
(――やばい、睡眠不足が祟ってるな……このままだと寝ちまう)
落ちそうになる瞼を、精神力で必死に支えながら、慧夢は教室内の様子を観察する。
現代文の授業中、眠りの世界に誘われそうになっているのは、慧夢だけではないらしく、数名の生徒達が居眠り寸前といった状態なのを、慧夢は視認する。
そして、その中の一人が……眠気を堪えきれなくなったのか、机の上にうつ伏せる。
教室の真ん中辺りの席に座っている、野球部に所属する男子生徒だ。
(――寝たか。今……居眠りすると、幸成の夢世界に吸い込まれるな)
慧夢は眠りの世界に入ったらしい、真田幸成を眠そうな目で見ながら、心の中で続ける。
(幸成……異常な野球好きだし、夢の中でも野球やってたりして……ん?)
心の中で呟いていた途中で、慧夢は異変に気付き、思わず驚きの声を上げそうになる。
(俺、まだ寝てないよな? 意識……途切れてないし、肉体のままだし……)
自分の身体の各所に目をやり、動かしてみたり擦ってみたりして、慧夢は幽体と肉体が分離していないのを確認する。
(幽体離脱してない、まだ眠ってない筈だから、当たり前だけど)
自分が幽体離脱中でないのを確認した慧夢は、幸成に再度目線を送る。
(だったら何で、見えてるんだ? 起きてる時には、見える筈無いのに?)
慧夢の目線の先にある、起きている時には見える筈が無い存在……それは夢世界。
居眠りを始めた幸成の周囲に発生している、夢世界の放つ光の渦。
自分は眠っていないのに、居眠りを始めた幸成の周りに夢世界の光の渦が見えたので、慧夢は驚いたのである。
驚いたせいで眠気は覚めてしまい、慧夢は冷静に事態の分析を始める。
(――見えるけど、普通の見え方じゃない……かなり薄いな)
見間違いでは無く、確かに幸成の夢世界は見えていた。
そして、幸成に続いて教室内で次々と、堰を切った様に生徒達が居眠りを始めたのだが、その生徒達の夢世界は全て、慧夢は起きているのに見る事が出来た。
だが、目に映る全ての夢世界は、寝ている時……幽体離脱中に目にする夢世界とは違い、はっきりとは見えていないのだ。
インクが僅かに残されたプリンターが印刷した、薄く掠れた画像の様に、その光の強さは弱く……色は薄く、あちらこちらが欠けている感じに見えるのである。
(薄くて掠れ気味とはいえ、何で見えるんだ? 睡眠が足らないからか? いや、でも前に徹夜した時には、こんなの見えなかったし……)
慧夢は色々と思案するが、情報が少な過ぎて、答など分かる筈も無い。
(家に帰ったら、夢占秘伝を読み直してみるか。困った時の夢占秘伝だ)
既に何度も、慧夢は夢占秘伝を読んでいる。
だが、その分量は膨大であり、言葉が古くて読み辛い部分が相当ある為、読み飛ばしてしまっている部分や、意味が分からなかった部分も多い。
特に、黒き夢に触れてある部分の後などは、古文書の入門書を手にしていても、解読不可能な難文が長々と並んでいて、慧夢は読むのを諦めてしまっていたのだ。
黒き夢というものと、全く縁が無かったせいもあり、自分には無縁だろうとも思っていたので。
他人の夢世界に入る生活に慣れ、人間不信からも回復して以降、余り目を通す事も無くなっていた為、忘れている部分も多い筈。
今……改めて夢占秘伝を読み直せば、この現象について触れた部分もあるかも知れないと、慧夢は考えたのだ。
(それに、黒き夢についての部分も、ちゃんと読み直した方がいいよな。前は難しくて読めなかったけど、今なら読めるかも知れないし。ひょっとしたら何か解決法とか、書いてあるかも……)
何故か寝ていない時にも、夢世界が見える様になる現象と、黒き夢について調べる為に、夢占秘伝を読み直そうと心に決め、慧夢は午後の授業を受け続けた。
クラスメート達の夢世界が見えてしまう為、巻き込まれたくは無いという意志が普段より強く働いたせいか、慧夢は居眠りせずに、午後の授業を乗り切る事に成功し、放課後を迎えた。
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