37 済まないね、担当医なのに……ろくな力になれなくて
「――カプセルの中の粉末が、砂糖と小麦粉であるという、週刊問題の報道は事実。でも、カプセル自体の成分分析を、週刊問題は行っていなかった」
「あの記事は俺も読んだが、確かにカプセルの成分分析には触れていなかったな」
「それに、パッケージに付着していた物質を、チルドニュクスを飲む際に摂取してしまった可能性については、週刊問題は調べていなかった様なんで、念の為に調べて貰ったんだ」
「原因と思われる物質は、見付からなかったんだろ?」
志月の父親の問いに、志津子は頷く。
「原因と思われる物質を摂取した形跡も無ければ、志月の友達……あの絵里って子の話が事実なら、志月はチルドニュクスが偽薬だと知っていたので、プラシーボ効果という線も有り得ないと思う」
志津子の言葉を聞いた志月の父親は、頷いてから口を開く。
「偽薬の効果を信じたい人の場合、偽薬だと知った上で服用しても、多少の効果は有る可能性があるが、志月の場合は……多少とは言えないな」
「――思い付いた可能性は全て調べた上で、正直……私の手には余るケースだと判断したので、大学時代の恩師を頼り、睡眠障害に詳しい専門家を紹介して貰ったんだけど……」
ノートパソコンのメールソフトを開いて、その専門家の返信を、志津子は志月の父親に見せる。
「そちらの方でも、志月と同様の症状の患者を抱えていて、原因も対処法も何も分からないので、申し訳無いが力にはなれないどころか、何か分かった事があるなら教えて欲しいという返事が……」
「当てにはならないという訳か」
志月の父親の言葉に、志津子は頷く。
「残念ながら、現時点で医者が出来る事は、患者の身体の衰弱を防ぐ為の、輸液による完全静脈栄養法などの処置のみ……というのが現実だよ。紹介された専門家も、私と同意見だった」
輸液とは、いわゆる点滴で液体を静脈に送り込む事。
完全静脈栄養法とは、高カロリーの輸液を使い、必要な栄養を全て摂取させる方法である。
「――そうか」
力無い声で、志月の父親は呟く。
「済まないね、担当医なのに……ろくな力になれなくて」
「いや、有り難う……本当の事を言ってくれて」
礼を言いつつ、明らかに意気消沈している兄を励ます様に、志津子は声をかける。
「今……とにかく睡眠障害に強い大学や病院、あちらこちらに当たって、情報を掻き集めている最中なんだ。きっと……何か対策が見付かるよ」
「――そうだな。色々と世話をかけて、済まない」
「止してよ、そんな殊勝な事言い出すのは、兄さんらしくない」
志津子に言われて、志月の父親は苦笑する。
「そろそろ陽子と代わって来るよ。陽子を休ませたいんだが、ベッド一つ借りていいか?」
「構わないよ、その為にベッド一つ、追加して貰ったんだし」
(このベッドを使うだろう、もう一人の女の人が陽子で、籠宮の母親みたいな会話してるから、あの叔母さんらしい医者じゃない方の女の人が、籠宮の母親なのかな?)
二人の会話内容から、そう考えた慧夢は、慧夢が入らなかった方の女性の顔を思い出す。
「陽子を呼んでくる。また、後でな」
そう言うと、籠宮の父親は踵を返し、ドアに向って歩き出す。ドアを開けて、部屋から出て行く。
(――あ、やばい! これからベッド使うなら、どこか別の所に隠れないと!)
籠宮の母親……籠宮陽子が、これからこの部屋を訪れベッドで休むとなると、ベッドの陰に隠れている慧夢は、見付かる可能性が高い。
見付かって不審者扱いされると、夢の中とはいえ面倒な事態になる。
どこか別の場所に身を隠さなければならない事態に陥ったのに、慧夢は気付く。
だが周囲を見回しても、他に身を隠せそうな場所が、慧夢には見付からない。
「あ、そうだ! あの事も兄さんに言っておかないと……」
何か伝え忘れた事を思い出したのだろう、はっとした様な表情を浮かべて呟くと、志津子は立ち上がり、ドアに向って歩き出す。
志津子はドアを開け、部屋から出て行く。
「――チャンス! 今の内に、どこかに隠れなきゃ!」
立ち上がり、慧夢は部屋のあちこちを探し回る。
クローゼットの扉を開けたり、押入れ風の扉を開けたりして、中に隠れられるかどうか試すが、いずれも中の物が多過ぎて無理。
「どうしよう? 隠れるとこ無いじゃん!」
うろたえながら部屋を見回す慧夢の目に、出入口のドアが映る。
飾り気とは無縁だが、デザインセンスは悪く無い、クリーム色のドアが。
「とりあえず、部屋の外に逃げておくか」
そう決意した慧夢は、早歩きでドアに向って歩き出す。
ドアの前に辿り着き、ドアノブに手をかけてドアを開き、急いで部屋の外に出る。
「え?」
通路で二人の人間が、驚きの声を上げる。
一人はドアを開けて、勢い良く通路に出た直後の慧夢で、もう一人はドアに歩み寄って来ていたら、いきなりドアが開いて、慧夢が姿を現したのに驚いた志津子。