36 ただの過眠症だなんて、志津子(しづこ)……お前も本当は思っちゃいないんだろ?
(――えーっと、ここは……確か)
夢世界で意識を取り戻した慧夢は、現状を把握する為に、周囲を見回す。
周囲の光景は、慧夢にとって見覚えがあるというか、見たばかりの光景だった。
(ああ、籠宮の病室の隣にある、俺が夢世界に入った人が、寝ていた部屋だ)
現実の景色として見た時とは違い、部屋の中は明るい。
明るいと言っても、光源は天井の照明なので、夢世界の時間帯は夜。
部屋の奥……窓の近くにある椅子に座った状態で、慧夢は意識を取り戻したのだ。
そして、部屋を見回した慧夢の視界には、夢の主である女がいた。
慧夢に身体の左側を向ける形で机に向い、女は深刻そうな表情を浮かべ、ノートパソコンを操作している。
意識がノートパソコンに集中しているせいか、慧夢の出現には気付いていないが、いつ気付いてもおかしくは無い状態。
(やばい、とりあえず隠れないと)
慧夢はベッドの陰に移動し、床に座り込んで身を隠すと、自分の服装を確認。
幽体の時と同じ服装なので、特に役割は与えられていないのが分かる。
直後、ドアをノックする音が、部屋の中に響く。
「――どうぞ」
女が入室を許可したので、ドアをノックした者は、ドアを開けて入って来る。
(あれは、籠宮の親父さんか!)
入って来たのは、志月の父親だった。
確認した訳では無いのだが、顔立ちと志月の病室にいた事から、父親だろうと慧夢が思っている男と言うべきか。
「兄さん、来てたんだ」
部屋に入って来た志月の父親の方を向き、女は声をかける。
「ああ、スケジュールの調整が終わったんでな。これで、暫くは志月に付いていてやれる。陽子にばかり負担をかける訳には行かないよ」
志月の父親は右手の親指で、志月の病室の方を指差しつつ、言葉を続ける。
「あいつ、ここ数日は志月に付きっ切りだったし、俺と交代制にして休ませてやらないと。今日からは暫く、俺がメインで陽子がサブ……これまでと逆だ」
「――義姉さんも兄さんも、無理し過ぎだよ。志月の担当医としては、患者の御両親には、余り無理はして欲しくは無いんだけど」
志月の担当医を名乗った女は、窘める様な口調で続ける。
「志月の事は私に任せて、ちゃんと二人には休みを十分にとって欲しいな」
「――それは分かってはいるんだが、陽志の事があったばかりだからな。自分の子供が死ぬという事に対して、俺も陽子も過敏になり過ぎているのか、志月を独りにしておく気になれないんだ」
「そうなってしまうのは仕方がないんだろうけど、志月は……ただの過眠症なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。すぐに目覚めるって」
「――ただの過眠症だなんて、志津子……お前も本当は思っちゃいないんだろ?」
志月の父親は、妹である志月の担当医……籠宮志津子に、問いかける。
「え? いや、そんな事は無いけど。ただの過眠症だとしか思ってないよ」
(――明らかに、嘘って感じの誤魔化し方だな、こりゃ)
夢世界の主である志月の担当医が、どうやら志月は過眠症ではないと考えているらしいのを、会話を盗み聞きしていた慧夢は察する。
「志月の脳波データや身体の状態、通常の過眠症どころか、クライン・レビン症候群のとも、全く違うらしいじゃないか」
(クライン・レビン症候群って、確か……過眠症の極端な奴みたいなのだったか?)
永眠病の話題がネットで流行った時期に、インターネットで眠り過ぎる病気について、慧夢は色々と調べた事があった。
その際、睡眠障害の過眠症だけでなく、クライン・レビン症候群についても、慧夢は大雑把な知識を得ていたのだ。
数日間から下手すれば数十日間、眠り続けてしまうのが、原因不明の睡眠障害であるクライン・レビン症候群。
ただし永眠病と違って、死に至る病では無い。
「過眠症やクライン・レビン症候群の場合、数日に渡る睡眠の際、食事や排泄などの生命活動維持に必要な行動は、夢遊病と似た状態で行う筈」
志月の父親は、志月が過眠症やクライン・レビン症候群ではないと判断する根拠を、語り続ける。
「だが、それすら志月にはないという事は、付きっ切りになっている陽子と、陽子が休んでいる間に付きっ切りの俺が、確かめている」
「――志月の脳波データを、いったい何処で?」
その志津子の問いには答えず、志月の父親は言葉を続ける。
「専門外である外科の俺でも、おかしいと気付くんだ。大脳生理学も学んでいて、心療内科や神経内科を専門にしているお前が、気付かない訳が無いだろう」
図星であるらしく、志津子は目線を逸らし、言葉を返さない。
「――永眠病……なのか?」
「永眠病は、ネットの噂話だよ。正式な病名でも病気でもない」
「だが、お前も……その噂の病気が、本当に実在しているんじゃないかと、志月を診て思い始めているんじゃないのか? だからこそ、娘の部屋にあったチルドニュクスを、わざわざカプセルや外装に至るまで、調査会社に送って……分析を頼んだんだろ?」
大きく溜息を吐いてから、志津子は口を開く。
もう隠し通せないと判断し、覚悟を決めて話そうとしているかの様に。