33 今夜は、やや遅めってとこか
耳に飛び込んで来るのは、小学生の頃に好きだった、ロボットアニメの主題歌。
派手なホーンセクションの演奏が印象的な勇ましい曲調が、子供の頃の慧夢には好ましかった曲だ。
枕元に置いたスマートフォンは、今夜も慧夢の好きな音楽を、流しっ放しにしている。
今夜のプレイリストは、懐かしいアニメの主題歌を集めたもの。
眠る前の記憶にある最期の曲は、カードゲームアニメの主題歌。
今流れているのは、その五曲程後の曲なので、眠りに入ってから二十分前後過ぎたのだろうと、慧夢は推測する。
「――今夜は、やや遅めってとこか」
何時ものように、瞼を上げた慧夢の視界に飛び込んで来るのは、暗い部屋の近い天井。
今夜も肉体の一メートル程上に、慧夢の幽体は浮いているのだ。
幽体として「目覚めた」直後の習慣として、慧夢は身体の向きを変えて、枕元にある目覚まし時計に目をやる。
オレンジ色のデジタル時計の光が告げる現在時刻は、午前一時三十四分。
下を向いたので、慧夢の目に自分の肉体の姿が映る。
部屋着である白いTシャツに灰色の短パンという、幽体の慧夢と同じ姿だ。
六月の夜……梅雨に入れば別だろうが、多少は風が吹いても、五月と違い寒くは無いだろうと、判断した上での薄着。
慧夢は自分の肉体から、ベッドの近くにある机の上に、目線を移す。
閉じられたノートPCの上には、一枚の地図が載っている。
眠る前にインターネットの地図サイトで検索し、プリントアウトしておいた、川神市の地図だ。
地図には自宅と川神学園、そして籠宮総合病院に、慧夢によって印が書き込まれていた。
学校からの帰宅後、慧夢は自転車に乗って夕陽に染まる街を漕ぎ出し、籠宮総合病院に向った。
用事が無い為、余り川神市の北側には行かない慧夢は、見慣れぬ街並を眺めながらも、スマートフォンの地図アプリを頼りに、川神市北側の郊外にある籠宮総合病院に辿り着いたのだ。
夕陽に照らされているせいか、大学病院並に大きく高い七階建てのビルは、煉瓦の様な色合いに染まっていた。
本来の色は分からないが、慧夢には素っ気無いデザインの、古びた建物に見えた。
籠宮総合病院に向ったのは、その日の夜……志月の夢世界に入るつもりだった為。
絵里に言われて気付いた方法を、慧夢は早速、試してみる事にしたのである。
幽体離脱してから十分以内に、志月を探し出さなければならないので、土地勘の無い川神市の北側で迷い、籠宮総合病院に辿り着くのが遅れ、時間切れになるのは避けたい。
故に、慧夢は実際に籠宮総合病院を訪れ、更にインターネットの地図サイトで入手した川神市の地図を、プリントアウトして机の上に置いた。
念の為に、幽体離脱して部屋を出る前にも、籠宮総合病院の場所を確認出来る様にしておいたのだ。
慧夢は床に降りて、机の上に置かれた地図を見下ろす。
「――よし、確認終了……と」
実際に訪れ、何度も地図を見ているので、籠宮総合病院の位置は、既に慧夢の頭の中に叩き込まれている。
一応は確認したが、確認の必要すらなかった程度に。
確認を終えたら、部屋でのんびりとしている暇は無い。
幽体離脱の時間切れを迎える前に、籠宮総合病院に辿り着いて志月を探し出し、その夢世界に入らなければならないのだから。
慧夢は早速、自分の身体を急上昇させると、天井と屋根を通り抜け、夜空に舞い上がる。
鉄の様に重たい色合いの雲に、月や星々が隠された曇り空が、慧夢の目に映る。
いつもより寂しく、不穏さすら感じさせる夜空は、眺めても楽しくも無いので、慧夢は即座に身体の正面を地上に向けると、川神学園に向って飛び始める。
川神学園を中継した方が、籠宮総合病院の場所が分かり易いので、慧夢はまず川神学園に向うのだ。
夜空に星の輝きは殆ど見られないが、地上には夢世界が放つ光が、星空の様に煌いている。
夜中なので街明かりは余り無いが、慧夢の瞳に移る夜景に寂しさは無い。
殆ど風も無く気温も程良い、快適な夜間飛行。
だが曇り空のせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、妙に心がざわつくのを覚えながら、慧夢は飛び続ける。
程無く、視界に川神学園が飛び込んで来る。
中高一貫校であるが故に、広大な敷地と多数の建物がある川神学園。
慧夢にとっては慣れ親しんだ学園なのだが、夜空から見下ろすと、全く別の場所であるかの様に見える。
学園内に幾つか、夢世界の放つ光が見えるのは、当直の教師かガードマンのものなのだろう。
見知った教師かも知れないので、どんな夢を見ているのか、慧夢は少しだけ気になったのだが、入る夢が決まっている今夜、そんな思いに捉われている暇は無い。
(学校の上空で、高等部の校舎の上からプールがある方に向って飛べば、その先が市の北側で……その郊外に籠宮総合病院があるんだ)
普段、授業を受けている校舎の、三十メートル程上空に辿り着いた慧夢は、二十度程左……プールが見える方向に進路を変える。
月でも出ていれば水面が煌いて綺麗なのだろうが、今夜は墨汁でも満たしているかの様に見えるプールを見下ろしながら、慧夢は北に向って飛ぶ。