30 籠宮、意外と残念な奴だったんだな
「大好きだったお兄さんが死んで、絶望した籠宮が、ネット通販でチュルドニュクスを購入し、飲んだら……本当に永眠病になったって噂が、何日か前から流れてるけど……」
そんな噂が流れているのは、事実だ。
噂の出所は様々であり、慧夢が聞いた噂の場合は、素似合の妹(本物の妹では無く、素似合が付き合っている女の子という意味)の一人、祠堂澪が出所。
中等部三年の澪が、入院中の祖母の見舞いに病院を訪れた際、祖母に聞いたのだそうだ。
兄を亡くしたばかりの川神学園の高等部の女子生徒が、永眠病らしい症状を発症して、病院に担ぎ込まれたらしいという噂話を。
無論、その条件に当てはまるのは、志月だけ。
他に兄が死んだり、何日も休み続けている女子生徒は、川神学園の高等部にはいないのだから。
「そんな噂、俺は全く信じたりはしないから!」
はっきりと、慧夢は断言する。
「だって、永眠病なんてもんは、チルドニュクスが偽薬だと判明する前に、プラシーボ効果のせいで、何人か発症しただけのものだろ? チルドニュクスが砂糖と小麦粉だってバレた今更、永眠病になる奴なんている訳がないもんな!」
絵里は目線を不安気に泳がせ、自分を守るかの様に両腕を組む。
明らかな動揺と狼狽、そして自分を守りたいと考えている際の仕草を、絵里は慧夢に見せてしまう。
(永眠病やチルドニュクスを、志月と関連付けた話に、明らかに動揺し……不安を示している。どうやら、あの夢で見た、志月がチルドニュクスを飲んで、その上で永眠病になったみたいに、眠り続けているってのは、現実の話みたいだな……)
慧夢は、そう判断する。
志月がチルドニュクスを手に入れ、永眠病になったという話を絵里にぶつけて反応を見れば、夢で見た内容が事実かどうか分かると思い、慧夢は試してみたのだ。
「まさかと思うけど、杉山は志月が永眠病になったっていう噂も、信じちゃってる訳?」
問われた絵里は、どう答えたらいいのか分からないといった感じに、戸惑いの表情を浮かべてから、意を決した様に口を開く。
「――噂じゃないよ、志月は本当に、チルドニュクスを飲んだ途端に、眠り始めて……そのままずっと、目を覚ましていないんだ」
「まさか! そんな事ある訳無いじゃん!」
「本当だよ、証拠だってあるんだから!」
「証拠?」
絵里は頷くと、ポケットからスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを起動しながら、口を開く。
「私……志月の家には、小学生の頃から良く遊びに行っていて、陽志さんとも仲良くして貰っていたから、陽志さんが死んだ日の翌日の通夜と、翌々日の葬儀に呼ばれていたの……」
(死んだ日の翌日からだったな、確か籠宮が休み始めたのは)
兄の訃報を知り、学校を早退したのが一週間と一日前。
その翌日から今日までの七日間、志月は学校を休み続けていた。
「通夜の後、私……志月の部屋に呼ばれたんだけど、その時……志月が言い出したんだ、陽志さんが死んだ日の夜、ネット通販でチルドニュクスを買ったって」
深刻な面持ちで、絵里は話を続ける。
「『兄さんがいない世界で、生きてなんていたくない!』って言い出して、苦しまないで……楽しい夢を見ながら、眠る様に死にたいって……志月、お兄さんの事が誰よりも好きだったから」
「お兄さんの事が誰よりも好き? 彼氏よりも?」
素似合に教えられた、志月が左手の薬指にはめているという指輪の事を思い出し、慧夢は疑問を口にする。
「彼氏? 何の事?」
首を傾げ、絵里は慧夢に問いかける。
「素似合が言ってたんだ、学校の外では左手の薬指に指輪してるから、彼氏いるんだろうって」
「ああ、あれなら……陽志さんに貰った奴だよ。去年の誕生日に買って貰ったんだって」
「何だ、素似合の勘違いだったんだ?」
慧夢の問いに、絵里は頷く。
「志月は昔から、凄くモテるけど……ブラコンこじらせてるから、いた事無いよ彼氏なんて。あの指輪だって、『兄さんとの婚約指輪!』とか言って、左の薬指にはめてたくらいだし」
「――籠宮、意外と残念な奴だったんだな」
「今までは、ブラコンは志月の数少ない欠点って感じで、微笑ましいレベルの残念さだったけど、死ぬ為の薬を飲むとか言い出したら、流石に残念とかいうレベルを超え過ぎてて、笑えないよ」
会話に気を取られて、止まっていた指先を動かし、絵里はスマートフォンのメッセージアプリの操作を再開する。