29 杉山は噂に踊らされ続け、皆に愚か者として嘲り笑われ続ける人生を、送る羽目になるんだよ!
「音楽の授業? 一体、何の事よ?」
問いかけて来る絵里に、慧夢は答えずに問い返す。
「『待ちぼうけ』という歌を、小学校の音楽の授業で、習ったよな?」
「習ったけど……それがどうしたの?」
「あの歌の歌詞を覚えてるか?」
「覚えてるよ、完全にじゃないけど……」
「だったら、知っている筈だ。あの……木のねっこに偶然ウサギがぶつかり、労せずしてウサギを手に入れた農民が、それを偶然ではないと思い込んでしまったが故の、愚かで悲劇的な結末を!」
「あれ……そんな悲劇的な結末の歌だっけ? 明るく楽しい感じの歌だった記憶が……」
「木のねっこがあれば、ウサギがぶつかり、労せずして稼げると思い込んでしまった農民は、本来の仕事である農業を放棄し、木のねっこの前で、待ちぼうけをする生活に入ってしまったのさ!」
芝居がかった口調で、慧夢は続ける。
「だが、所詮は偶然! ウサギが木のねっこにぶつかる事は二度と無い! 農民はウサギも得られず、農業を放棄した結果、畑は荒れ放題……皆の笑い者になったのさ! これが愚かで悲劇的な結末以外の、何なんだい?」
「え? 歌詞の中で……農民は皆の笑い者にとか、されたっけ?」
「童謡の方では、その部分は端折られている。でも、『待ちぼうけ』という歌の歌詞の元ネタである中国の思想書、『韓非子』に出て来る説話、『守株待兔』では、偶然にウサギが捕れただけなのに、それを必然と勘違いした挙句、仕事を放棄して畑を駄目にした農民は、国中の笑い者となっておわるのさ!」
実際の韓非子における守株待兔は、実は時代に合わない古い制度に固執する愚かさを、批判する種類の説話であり、別に偶然を必然と勘違する事を批判するものではない。
だが、そういった事には触れず、慧夢はただの偶然を必然と看做す愚かさの批判として、「待ちぼうけ」の歌詞や韓非子の守株待兔を利用しているのだ。
「杉山は、この国中の笑い者となった農民と同じだね……ただの偶然を、安易に必然と思い込んでしまうんだから。単に夢の中に出て来た人と、その後に目が合ったからって、その人が自分の夢の中に入って来てると思うなんて、『待ちぼうけ』の農民並に愚かだよ!」
哀れむ様な口調で、慧夢は続ける。
「そんな事だと、杉山は、将来……ギャンブルとかで酷い目に遭いそうだね。たまたまビギナーズラックに恵まれて、偶然に勝っただけなのに、それを実力だと勘違いして、ギャンブルにはまって生活破綻した挙句、夜の世界に落ちたりするかもよ」
「しないってば! そんな馬鹿な勘違い! ギャンブルの勝ち負けが偶然だなんて、分かり切ってるんだから!」
語気を強めて、絵里は慧夢の言葉を否定する。
「はたして、そうかな? 偶然の出来事以外に、ろくな根拠も無く、俺が他人の夢の中に入れるとか言い出す杉山の場合は、十分に有り得る話だぜ」
「根拠なら、あるじゃない!」
「根拠? 何の事?」
「噂よ! そういう噂、前から流れてるじゃない! 夢占君とは幼馴染の五月だって、前から言ってるんだし!」
絵里の返答を聞いて、慧夢は楽しげに笑い出す。「何を馬鹿な事を言っているんだ」とでも、言わんばかりに。
「噂が流れてたら、常識的には有り得ない話でも、杉山は信じちゃうのかな? 友達が言っている事なら、荒唐無稽な話でも真に受けちゃうのかな? そんな風に自分の頭で考えずに、噂や他人に流される様だと、将来……ろくな目に遭わないよ」
嘲る様な口調で、慧夢は言葉を続ける。
「信用金庫が危ないという噂を信じて、取り付け騒ぎを起こしたり、石油危機でトイレットペーパーが手に入らなくなるって噂を信じて、トイレットペーパーを山程買い込んだり、ハレー彗星の尾に地球が入っている間、呼吸が出来なくなるとかいう噂を信じて、空気を確保する為に自転車のチューブを買い込んだり……」
過去に人々が噂に踊らされた愚行の例を、並べ立ててから、慧夢は付け加える。
「杉山は噂に踊らされ続け、皆に愚か者として嘲り笑われ続ける人生を、送る羽目になるんだよ!」
「な、何よ! 夢占君だって噂話を信じたりする事くらい、有るでしょ?」
絵里は語気を荒げ、慧夢に問いかける。
(――お、いい流れじゃん。これなら自然に、籠宮の話に持っていける)
慧夢が絵里との話に応じたのは、自分に対する疑惑を晴らす為だが、他にも目的はあった。
志月がチルドニュクスを飲み、永眠病になった事を意味しているらしい、絵里の夢の内容が事実かどうか、さりげなく確かめてみようと思っていたのだ。
その目的が果たせそうな、話の流れになって来たので、慧夢は心の中でほくそ笑む。
「俺は噂になんて、踊らされないよ。ほら……最近流れてる、あの噂だって信じて無いし」
「あの噂って?」
訝しげに問う絵里に、慧夢は答える。
「籠宮が何日も休んでいるのは、永眠病になったからだっていう噂」
慧夢の返答を聞いて、絵里の表情が凍り付く。