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232 今年の夏は、熱くなりそうだね……荒れそうだし

「別に、もう全然……気にして無いから」


 謝られた側である志月は、面映おもはゆげげな笑みを浮かべながら、言葉を返す。

 目線を少し泳がせはしたのだが、それは面映さ故であり、嘘を口にしたからではない。


 無論、口論の直後、志月は怒り……傷付いていたし、慧夢に相当な敵意を抱きもした。

 だが、長い夢から覚めて、大志が慧夢に助けられた事を知った時、慧夢に何の敵意も抱いておらず、素直に感謝している自分に、志月は気付いたのだ。


 父を助けられた事への感謝のせいで、慧夢に対する敵意が消えたのだろうと、志月は考えた。

 それだけを理由とするには、あっさりと敵意が消え過ぎた気が、しない訳ではなかったのだが。


 長い夢の中で、慧夢と関わり続けた結果、敵意が消え去ってしまった事に、志月は気付けない。

 陽志と慧夢が出て来たのは覚えているが、夢の内容の殆どを忘れてしまっているので。


「それに、私も結構……酷い事言ってた筈だから、お互い様でしょ」


 気まずそうな苦笑いを浮かべつつ、志月は言葉を続ける。


「夢占君の事、面と向って嫌いって言った覚えがあるし」


「そうだったっけ。まぁ、気にしていないなら、それで良いんだけどさ」


 晴れやかな笑顔で、慧夢は言った。

 心の何処かに抱えていた重荷を、ようやく降ろせた気がして、心が軽くなったからこその笑顔だ。


 笑顔には笑顔で返すとばかりに、志月も慧夢に笑顔を向ける。


「――あの時は、本当に嫌いだったけど……」


 何のわだかまりも感じさせない、爽やかな笑顔。

 それでいて、少しだけ含羞はにかみの色が混ざった、慧夢が思わず見惚れそうになる程の笑顔で、志月は言葉を続ける。


「今は夢占君の事、嫌いじゃ……ないよ」


 良く通る、澄んだ声で発せられた言葉は、教室内にいる一部の者達を驚かせ、狼狽させる。

 志月の「嫌いじゃ……ないよ」という発言は、「嫌い」であるのを否定する、言葉通りの意味合いだけでなく、別の意味を含ませている様にも、受け取れてしまうので。


 志月の発言に驚かされたり、狼狽させられた者達は、志月の表情や素振りから、発言の真意を読み取ろうとするが、それは不可能だった。

 志月の発言の直後に、朝のホームルームの始まりを告げる、チャイムの音が鳴り響いたので。


 チャイムが鳴った以上、この場で話を続ける訳にもいかない。

 軽く慧夢達に会釈をすると、志月は絵里と共に踵を返し、歩き去って行く。


 志月と入れ替わりに、自分の席に戻って来た素似合が、志月を目で追いながら、慧夢に話しかける。

 すぐに起立の号令がかかるので、座らずに立ったままで。


「――あんな顔で笑うんだね、籠宮って。意外だな」


 素似合と同じく、志月を目で追っていた慧夢は、目線を素似合に移しつつ、悟った風な物言いで言い切る。


「人なんて誰だって、意外な顔だらけさ」


「生意気な事、言うじゃない」


 慧夢に目線を移すと、素似合は慧夢の頭を、左手の人差し指で小突く。


「でも、もっと意外なのは、あの笑顔を向けた相手が、慧夢だって事だよ。随分と変わったもんだね、籠宮の慧夢への態度」


「まぁ、一応は父親を助けた相手なんだから、そりゃ態度も多少は変わるだろ」


 素っ気無い口調の慧夢に、素似合は問いかける。


「変わったと言えば、慧夢の籠宮への態度も、かなり変わった気がするけど、何でだい?」


 問われた慧夢の頭に、陽志との会話が甦る。

 この世を去ろうとしていた陽志と交わした、言葉の数々が。


「今まで知らなかった、志月の色々な面を知るたびに、君の中での志月に対する印象や感情は、変わり続けていたんだよ。何時の間にか、志月の為に涙を流せる程にね」


 そして、陽志は言葉を続けたのだ。


「志月を嫌いじゃなくなったのだから、たぶん……これから、君の志月への態度は変わるだろう。そうなれば、志月の君への態度だって、変わるに決まってる」


「――そんなもんかね?」


 微妙に疑わしげに問いかけた慧夢に、陽志は自信を持って明言した。


「そんなもんさ。君と志月は、これから……親しくなっていくんだよ」


 陽志の言葉の中に、素似合の問いに対する答は含まれていた。

 まるで予言の様な、言葉と共に。


(いや、でも……籠宮の兄貴の霊との話を、素似合にする訳にはいかないか)


 そう考えた慧夢は、答は分かっていたのだが、素似合の問いには惚けてみせる。


「気のせいだろ、別に変わっちゃいないさ」


 惚けた慧夢に、更に何か言おうとして、素似合が口を開こうとした瞬間、志月の凜とした声の号令が響き渡り、素似合の言葉を遮ってしまう。


「起立!」


 既に立ち上がっていた者達を除き、一年三組の生徒達は、一斉に立ち上がる。


「気をつけ! 礼!」


 号令をかけながらの、志月の礼に従って、姿勢を正して動きを揃え、一礼する生徒達に、伽耶も礼を返す。


「着席!」


 号令に従い、生徒達は椅子の音を立てながら、一斉に着席。

 朝のホームルームが始まり、伽耶は出席簿を手に、生徒達の名前を次々と呼んでいく。


 そして、出席を取り終えた伽耶は、伝達事項について話し始める。


「夏休み初頭に行われる、林間学校についてだが……」


 林間学校という言葉を聞いて、生徒達は湧き立つ。

 川神学園高等部では、一年の夏休みに林間学校が、二年の夏休みに臨海学校が行われるのだが、どちらも殆どの生徒達にとっては、楽しみなイベントなのだ。


 殆どの中に含まれない五月が、黒板に書かれた林間学校の日付を目にして、愚痴をこぼす。


「夏コミの追い込み時期じゃない! 休もうかなー」


 五月は慧夢の方を振り返り、げんなりとした表情で訴える。


「慧夢も休んで、アシスタントやってよー! 奴隷生活送ってよ!」


「やなこった!」


 慧夢は即答する。


「つーか、五月も休むなよ。なるべく時間作って手伝ってやるから、マンガは林間学校前に、ちゃんと仕上げろって」


「ホントだな? 絶対手伝えよ!」


 欲しい玩具が手に入ったのを喜ぶ、無邪気な子供の様な笑みを浮かべながら、五月は上機嫌で前を向く。

 ほんの少し前に、げんなりとした顔で愚痴を零していたのが、嘘の様に。


 五月との短いやり取りの後、窓側に目線を移し、慧夢は呟く。


「夏休みかぁ……」


 慧夢の目線の先には、既に夏が訪れたのだと、勘違いしそうな青空が広がっている。

 でも、開け放たれた窓から吹き込んで来る微風は、夏風とは違い、熱気を運んでは来ないので、まだ夏では無いのが分かる。


「今年の夏は、熱くなりそうだね……荒れそうだし」


 聞こえて来たのは、素似合の声。


「天気予報で、そんな話……してた気がするな」


 慧夢は空を見上げたまま、今朝の天気予報で聞いた、気象予報士の話を思い出しつつ、素似合に言葉を返し続ける。


「確かラニーニャ現象がどうとかで、今年は空梅雨の上、凄く暑い夏になるんだって」


「いや、天気予報とか、天気の話じゃなくってさ」


 天気の話だと思っていた慧夢は、素似合が何を言おうとしているのか、分からなかったので、青空から素似合に目線を移し、訝しげな顔で問いかける。


「だったら、何の話だよ?」


「慧夢の……人間関係の話」


 意味有り気で、何か企んでいる悪戯っ子の様な笑みを浮かべて、素似合は答える。


「誰かと熱い関係になったり、色々と関係が荒れたりしそうだな……と思ってね」


 素似合の言葉を聞いた慧夢は、何か言い返したい気はしたのだが、複雑な表情を浮かべるだけで、何も言い返さなかった。

 素似合の言葉通りになる様な気が、慧夢にもしたからだ。


 それが予感なのか……期待なのか、ただの思い込みなのかは、慧夢にも分からない。

 ただ、人間関係が熱くて荒れる、これまでにない夏が訪れる気がするのは、少し不安ではあっても、慧夢にとって悪い気分では無かった。


 林間学校について、生徒達から受けた質問に返答する、伽耶の声を聞きながら、慧夢は微笑みを浮かべつつ、目線を窓側に移す。

 慧夢の目線の先にあるのは、梅雨らしからぬ、雲一つ無い青空。


 まだ熱を帯びていない、涼しげな微風に吹かれながら、慧夢は今年の夏について、思いを巡らせる。

 季節はもうすぐ、夏になる。










                             (終わり)



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