229 ――小学生じゃあるまいし、何やってんだ、あの馬鹿共は?
五月に問われた素似合は、窓の前を離れると、ニヤニヤしながら五月に歩み寄り、耳打ちする。
「慧夢が僕みたいに、相手を一人に限らない人間になった方が、五月が付き合える可能性、高いからだよ。今のままだと、五月は性格的に出遅れて、不戦敗になりそうだし」
慧夢には聞こえない様に、素似合は五月の耳元で囁き続ける。
「現実の恋愛では、慧夢よりも駄目駄目な、五月の幸せも考えた上で、慧夢が僕みたいになればいいと、僕は思ってるんだけどね」
素似合の話を聞いていた五月は、驚きの表情を浮かべた後、明らかに機嫌を害した感じの、苦々しげな表情を浮かべつつ、スマートフォンをポケットに仕舞う。
そして、机の中に右手を突っ込むと、透明なポリ袋で包装された、短いフランスパンを取り出す。
昼食用として、五月が登校途中に買って来た、三十センチ程の長さがある、短めのフランスパン……フィセルだ。
「五月が少しは焦って、もっと積極的になれば、話は別なのかもしれないけど……」
「余計なお世話だッ!」
強い口調で言い放ちながら、五月は素似合の腹部を、手にしたフィセルで突く。
「痛っ!」
苦痛に声を上げつつ、窓際の方に後ずさった素似合を、五月は一歩前に踏み出しつつ、サーベルの様に右手で持ったフィセルで突く。
「痛ッ! ちょっと五月、マジで痛いから!」
「ファンデヴー! ファンデヴー! ファンデヴーッ!」
窓際に追い込んだ素似合を、五月はファンデヴーの動きで、突きまくる。
「慧夢、また五月に変な護身術……痛っ! 仕込んだだろ?」
フィセルを防御したり、身体の各所に食らいながら、素似合は慧夢に問いかける。
「変なとは失敬な! フランスパンをサーベルの様に使い、フェンシング技を駆使して身を守る、フランスパン護身術だ!」
自慢げに答える慧夢に、素似合は声を上擦らせつつ、乞い願う。
「何でも良いから、あ痛ッ! 五月を止めてよ! 何か妙なスイッチ……痛いって! 入っちゃったみたいだから!」
「ファンデヴー! ファンデヴー! ファンデヴーッ!」
「スイッチ入れたのお前だろ、何言ったんだか知らないけど」
面倒臭げに呟きながら、慧夢は机の中に右手を突っ込み、五月のと同じフィセルを取り出す。
登校途中に立ち寄ったパン屋で、五月と共に買って来た物だ。
「――では、フランスパン護身術……元祖の技を見せて進ぜよう!」
そう言い放つと、素似合と五月の間に、慧夢は一瞬で割り込む。
直後、右手でショートサーベル風に持ったフィセルで、五月が突いて来たフィセルを、慧夢は撥ね上げる。
「パラードっ(相手の剣を払う)!」
フィセルを撥ね上げられた五月は、体勢を崩して後退するが、すぐに体勢を立て直し、一歩前進してから、再びフィセルで突いて来る。
「邪魔すんなよなッ!」
五月は声を上げながら、フィセルで続け様に突きを放つ。
「所詮は付け焼刃、元祖の技には遠く及ばぬと知れ!」
時代劇に出て来る剣豪の様な、芝居がかった慧夢の口調。
だが、その言葉通りに、慧夢は余裕を持って、手にしたフィセルで突きをさばき、跳ね除け続ける。
慧夢と五月が、フィセルでフェンシング風のチャンバラを始めてから、十秒程が過ぎた頃、前の方にある出入口から、伽耶が教室の中に入って来る。
白のシャツに黒のパンツという、普段通りの出で立ちの伽耶が。
慧夢と五月の姿を目にして、伽耶は呆れ顔で呟く。
「――小学生じゃあるまいし、何やってんだ、あの馬鹿共は?」
「フランスパンを使った創作護身術……だと思う」
伽耶に続いて、教室に入って来た絵里が、慧夢達の方を見ながら続ける。
「小規模部活棟に行った時、夢占君と五月が、やってたの見たよ」
「そう言えば絵里、最近……夢占君と、良く話してるよね」
絵里と並んで、教室に入って来たボブヘアーの女子生徒……石原春香は、やや意外そうな口調で、絵里に問いかける。
「前は全然、話してなかったし、感じ悪くて嫌いだって言ってなかったっけ?」
「そんな事、言ってたっけ?」
気まずそうな笑みを浮かべつつ、絵里は続ける。
「食わず嫌いじゃなくて、話さず嫌いって奴だったのかな? 先週……話してみたら、思ってたより感じ良かったんで、それから普通に話すようになったんだ」
絵里は振り返り、後ろにいる少女に話しかける。
「志月のお父さんだって、助けてくれた訳だし、根は良い奴なんじゃい?」
「そうね……口は本当に悪いと思うけど」
話しかけられた少女は、慧夢の方に目をやりつつ、絵里に同意する。
口の悪さに関して、付け加えた上で。
教室に姿を現した、その少女に気付いた生徒達から、驚きと喜びの声が上がる。
「おはよう、志月! 元気そうじゃない!」
「心配したよ、籠宮さん! 永眠病になったとか、変な噂流れてたし」
「復帰おめでとー、委員長!」
声の内容から分かる通り、絵里に続いて教室に入って来たのは、志月だった。
真面目過ぎるが故、時折クラスの生徒達と衝突する事はあっても、委員長として人望が有り、人気も高い志月を迎える、生徒達の声は温かい。
「みんな、おはよう! 心配かけてゴメンね」
話しかけて来た生徒達に挨拶し、礼の言葉を返しながら、志月は自分の席に向う。
志月と共に教室に姿を現した、絵里と春香も自分の席に向い、伽耶は教壇の上に上がる。
親友同士である、絵里と春香……志月の三人は自転車通学であり、住んでいるのも川神市の北側である為、登下校を共にする場合が多い。
昨日は志月が休んでいて、春香はテニス部の朝練であった為、絵里は一人で登校していたのだが。
学校に登校した三人は、廊下で伽耶と出会い、そのまま共に教室まで来たのだ。
志月が学校を休んでいた間の、様々な出来事について話しながら。
教壇に上がり、教卓を前にして立ち止まった伽耶は、職員室から持参した物を教卓に置きながら、慧夢達の方向に目をやり、大声を上げて窘める。
「お前等、食べ物を粗末に扱うんじゃないよ!」
伽耶に注意され、ようやく妙なスイッチがオフになったのだろう、五月がフィセルで突くのを止めたので、それに応じて慧夢も右手を止める。
慧夢と五月の、フィセルを使ったフェンシング風チャンバラは、終わりを告げたのだ。
慧夢と五月が自分の席に戻り、フィセルを机の中に戻す姿を視認した伽耶は、朝のホームルームで使う書類のチェックをしようと、教卓に置いたバインダーを開く。
直後、生徒達のざわつく声を耳にして、目線を生徒達の方に向ける。
ざわついている生徒達の目線は、何時の間にか教室の後方に移動し、窓際に向って歩いている志月に、注がれていた。
志月の向う先には、自分の席についている慧夢がいる。