224 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないよ
籠宮総合病院の最上階にある、籠宮家専用の部屋は、ビジネスホテルの一室の様に、シンプルな設えなのだが、今現在は雑然とした状態になっている。
ここ暫くの間、事実上の部屋の主と化している志津子が、多忙を極めていた為、部屋を掃除して片付ける余裕が、無かったせいである。
そんな多忙な日々に、ようやく一段落がつこうとしている、六月十五日の昼近く。
夜勤明けの志津子は、既に勤務時間外なのだが、マンションには戻らずに、この部屋で書類を作成している最中だった。
書類が山と積まれた、作業し辛い机の上のパソコンで、志津子が作成しているのは、志月の永眠病を通して知った、真実についての記録。
和美との約束もあるし、恩人である慧夢の秘密を漏らす気など無いので、あくまで志津子が私的にまとめているだけで、他者に見せたり、公開する為の書類ではない。
「とりあえず、今日のところは……ここまでにしておくかな」
志津子はパソコンのモニターに表示されている時計が、昼に近い時間を表示しているのを確認してから、作業中のファイルを閉じて、パソコンをシャットダウンする。
「机の上も、そろそろ片付けないと」
パソコンがシャットダウンし終えるのを待ちながら、志津子は雑然とし過ぎた机の上を眺めつつ、疲れた感じで背もたれに寄りかかった姿勢で、面倒臭げに呟く。
直後、誰かがドアをノックする音を耳にして、志津子は姿勢を正す。
「どうぞ!」
入室を許可する志津子の声の後、ドアが開いて、志月が部屋の中に入って来る。
既に病衣姿ではなく、水色のノースリーブのワンピース姿だ。
今朝……目覚めた後、志月は志津子により、徹底的に身体の状態を調べられた。
結果、問題は一切見付からず、完全な健康体であるのが確認された。
一応は様子見の為、今日は学校を休む事にはなったのだが、既に病院に居る必要は無い。
午後には自宅に戻るので、志月はワンピースに着替えていたのである。
「もう着替えたんだ、似合うじゃない」
「母さんが持って来てくれたの、お気に入りの奴」
嬉しそうに微笑みながら、志月は志津子に歩み寄り、立ち止まる。
「――それで、どうしたの?」
部屋を訪れた理由を、志津子は志月に問いかける。
「叔母さんには散々、面倒をかけたみたいだから、家に帰る前に、ちゃんと謝って……お礼を言っておこうと思って」
そう言うと、志月は姿勢を正して、深々と頭を下げる。
「私が馬鹿な真似をしたせいで、大変なご迷惑をおかけしました。本当にご免なさい」
志津子は優しい目で、頭を下げたままの志月に語りかける。
「本当にそう思ってるなら、二度と馬鹿な真似……しない事だね」
「絶対にしません、もう二度と」
顔を上げて断言した、志月の言葉を聞いて、志津子は満足気に頷く。
「それと……有り難うございます、助けてくれて」
再び深々と頭を下げた志月を目にして、志津子は居心地が悪そうに頭を掻く。
「頭……上げなよ。その事に関しちゃ、志月に頭を下げられる立場じゃないんだ、私は」
謙遜ではなく、本音を志津子は口にする。
気まずさを誤魔化す為、志津子は別の話題を振る。
「――そういえば、眠っている間に見た夢の内容、思い出せた?」
志津子に問われた志月は、顔を上げると、首を横に振る。
目覚めた後、すぐに行われた身体の調査の際も、志津子に志月は夢の内容を問われたのだが、既にその時、志月は夢の内容の殆どを、忘れてしまっていた。
「兄さんが出て来たのは覚えてるけど、どんな夢だったかまでは……」
「他に誰が出て来たか、思い出せない? 例えば、クラスメートとか?」
クラスメートという言葉を聞いた、志月の頭の中に、一人のクラスメートの顔が浮かんで来る。
何故、その顔を思い浮かべるのかが不思議な程、親しくは無いクラスメートなのに、志津子に問われた直後、何故か思い浮かんだのは、その顔だったのだ。
「そういえば、クラスメートも出て来た様な気が……しないでもないな。でも、何で?」
訝しげな表情で、首を傾げながら自問する志月に、志津子は問いかける。
「そのクラスメートが誰だかは、思い出した?」
志津子の顔を見た志月は、その親しくないクラスメートが、自分の夢に出て来る理由について、一つだけ思い当たる。
「私が眠ってる時、近くで夢占君の事を話したりした? 夢占君が、父さんを助けてくれた話……」
目覚めた後、大志が慧夢に助けられた話を、志月は両親や志津子に聞かされていた。
慧夢に関する同じ話を、両親や志津子が、眠っていた自分の近くでしていたとしたら、その話が夢に反映されてしまい、夢の中に慧夢が出て来た可能性があると、志月は考えたのだ。
つまり、志月が思い浮かべた、親しくは無いクラスメートとは、慧夢だったのである。
「確か、したと思うよ……その話」
問いに答えてから、志津子は志月に訊ねる。
「夢占君が出て来たんだ?」
「出て来た様な気がする……。どんな夢だったのかは、全然思い出せないけど」
夢に慧夢が出て来たという、志月の話を聞いて、思惑通りだと言わんばかりの笑みを、志津子は浮かべる。
「私が眠っている時に、周りで夢占君の話をしていたのを聞いた影響で、夢に夢占君が出て来たのかな?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないよ」
意味有り気な口調で、志津子は言葉を返す。
「そうじゃないかもって、他に何か思い当たる事があるの?」
「どうだろう? まぁ、夢って医学的にも分かっていない事だらけだから、夢に誰かが出て来た理由なんて、気にするだけ無駄なのかもしれないね」
医師という職業のせいもあり、はっきりと論理的に話す場合が多い、志津子らしくない曖昧な言い様に、志月は違和感を覚える。
志津子が自分を、はぐらかそうとしている気が、志月にはしたのだ。
志月としては、その話題を続けたかったのだが、そうはいかなかった。
突如、机の上に置かれていたスマートフォンが、着信音を奏で始めてしまったので。
志津子は左手で、スマートフォンを手に取ろうとして、うっかり書類の山を、左肘で突いてしまう。
「あ!」
志津子は慌てて、崩れ始めた書類の山を押えようとするが、既に手遅れ。
崩れた書類の山は、雪崩れをうって床に散らばってしまった。