221 ほんとかなー? 結構怪しいと思うんだけど
振り返った三人の目に映ったのは、白い自転車を押しながら、速足で歩いて来る、夏用の白いセーラー服に身を包んだ、ポニーテールの少女。
何処と無く猫っぽい印象で、背は慧夢と殆ど変わらない。
「おはよう、絵里」
素似合に続いて、五月も挨拶を返す。
「おはよー」
自転車の少女は、絵里だった。
絵里は志月の親友なのだが、志月とは違って、素似合や五月との仲は悪くは無く、朝の挨拶なども普通に交わす間柄だ。
慧夢は元々は、全く絵里とは付き合いが無かったのだが、小規模部活棟を絵里が訪れた日に話して以降、挨拶だけでなく、軽く会話を交わす程度の関係にはなっていた。
故に、やや不慣れな感じではあるが、慧夢も絵里に挨拶を返す。
「――おはよう」
絵里は慧夢達に追い付くと、三人と並んで歩き始める。
三人は慧夢を中心に、右側に五月、左に素似合という配置で並んでいたのだが、絵里が並んだのは、素似合の左側。
素似合越しに、絵里は慧夢に話しかける。
「風邪治ったんだ、良かったね」
「ありがと」
素直に礼の言葉を口にしてから、慧夢は言葉を続ける。
「季節外れの風邪は、性質が悪かったけど、もう何ともないよ」
慧夢と絵里が話すのを目にして、素似合は意外そうな顔で呟く。
「慧夢と絵里が話してるの、初めて見た気がするな……」
「――だろうね。夢占君とまともに話したのって、先週が初めてなくらいだし」
絵里と慧夢が話すようになったのは、先週から。
しかも、金曜から慧夢は休み始めたので、会話を交わす様になったとはいえ、絵里と慧夢が話した回数は少ない。
故に、これまで素似合は、絵里と慧夢の会話する場面を、目にしていなかったのだ。
「先週って、絵里が小規模部活棟に来た時?」
五月の問いに、絵里は頷く。
そして、慧夢と初めて、まともに話した時の話に関係がある、重要な話をするつもりで、慧夢達……というより、主に慧夢に話しかけた絵里は、本題を切り出す。
「あ、そうそう! 今朝……志月が目を覚ましたんだ!」
「そうなんだ、そりゃ良かったな!」
嬉しそうな絵里の言葉を聞いた慧夢は、驚いた風を装いつつ、言葉を返す。
志月を目覚めさせた本人なので、本当は全然驚いていないのだが。
素似合と五月は、志月の目覚めを喜ぶ言葉を口にした上で、意味有り気に顔を見合わせる。
和美から聞いた話が事実であれば、慧夢が目覚めたのなら、志月も目覚める筈。
故に、絵里の話を聞いた素似合と五月は、和美の話の正しさが、裏付けられた様に思えたのだ。
「今朝、志月から電話がかかって来たんだけど、あの時……夢占君が言ってた通り、永眠病でも何でもなくて、心労が溜まり過ぎたせいで、睡眠障害起してただけなんだって」
笑顔を浮かべ、声を弾ませながら語る、絵里の話を聞いて、五月は意外そうに訊ねる。
「――あの時の話って、籠宮の事だったの?」
「そうだよ」
「絵里が慧夢に、籠宮の事で話って、繋がりが見えないんだけど。どんな話だったんだい?」
興味深げな顔で、素似合は絵里に問いかける。
「それは、内緒」
素似合に即答してから、少しだけ恥ずかしげに、絵里は慧夢に語りかける。
「でも、あの時……夢占君に話聞いてもらって、凄く気が楽になったから、一応感謝してるの、夢占君には」
絵里の話を聞いて、慧夢はむず痒い気分を覚える。
慧夢が夢に入れる事実に気付きかけた絵里を、誤魔化す為の話だったのだから、慧夢としては感謝される覚えは無かったので。
「だから、さっき校門の所で夢占君を見かけた時、志月が目を覚ました事を知らせなきゃと思って、声かけたんだ。夢占君の言ってた通りになったって」
慧夢から素似合に、絵里は目線を移す。
「悪いけど、少しだけ退いてくれる?」
素似合は慧夢の左隣を退いて、五月の右に移動する。
「ありがと」
絵里は素似合に礼を言うと、手で押している自転車ごと身を寄せながら、慧夢に問いかける。
「夢占君が学校に戻ったのと、志月が目を覚ましたのが同じ日なのって、偶然なのかな?」
「そりゃ、偶然に決まってるだろ」
しれっとした表情で即答する慧夢に、絵里は耳打ちする。
素似合と五月には、聞こえない様に。
「本当は、夢占君が志月の夢の中に入って、ようやく今朝……志月を永眠病の夢の中から、連れ戻せたからだったり、するんじゃない?」
冗談めかした口調ではあるが、真実を言い当てられて、慧夢は心臓が止まりそうな程のショックを受ける。
だが、慧夢は理性を総動員して、ショックを表情には表さず、涼しい顔で返答する。
「そんな訳無いじゃん」
否定の言葉を口にする慧夢の表情を、探る様な目で少しだけ見詰めてから、絵里は意味有り気な笑みを浮かべて、おどけた感じで問いかける。
「ほんとかなー? 結構怪しいと思うんだけど」
それ以上、この場で追及する気は無いらしく、絵里は慧夢から離れ始める。
「じゃあ、私……駐輪場行くから!」
絵里は慧夢達に声をかけてから、自転車のハンドルを左に切り、左斜め前にある駐輪場に向って、歩き去って行く。
自転車通学の者達は皆、校門から少し離れた場所にある駐輪場に向って、自転車を押している。
慧夢達は軽く手を振って、絵里を見送る。
(――今のは、冗談で言ってたんだよな?)
駐輪場に向う絵里を目で追いながら、慧夢は自問する。
志月が目覚めたのと同じ日に、慧夢が学校に復帰したのを知り、慧夢が夢に入れるのではと、絵里が再び疑い始めたのか、それとも単なる冗談なのか、まだ絵里の事を良くは知らない慧夢には、判別が難しかったのだ。
絵里を目で追いつつ、思いを巡らせていた慧夢の頭に、ふと絵里の言葉が甦る。
「実は……夢占君が本当に、他人の夢の中に入れるなら、志月の夢の中に入って、夢の世界から志月を連れ戻して……目覚めさせたり出来るかもしれないと思って、頼もうと思ってたんだけど。入れないんじゃ無理だよね」
初めて話した時に、恥ずかしそうに頭を掻きながら、絵里が言った言葉だ。
(そういえば、俺が籠宮の夢の中に入って、籠宮を目覚めさせられるのに気付いたのって、杉山のお陰だったんだ……)
絵里のアイディアと話がなくとも、夢芝居を使って志月を助けられる事に、慧夢は気付けたのかもしれない。
でも、あの時……絵里と話したからこそ、その日の夜に籠宮総合病院に向い、志月が黒き夢を見ているのに、慧夢は気付けた。
もしも、あの時の絵里との会話がなければ、慧夢が自力で志月の黒き夢に気付き、夢芝居を使って助けられる事に思い至れても、実際に行動を起こすタイミングは、遅れていただろう。
そうなれば、志月の黒き夢の中で、慧夢は時間切れを迎え、志月と共に死んでいた可能性もある。
親友の志月を助ける為に頭を巡らせ、考え付いた荒唐無稽なアイディアを、絵里が慧夢に伝えた事は、志月だけでなく、自分を助ける事にも繋がっていたのかもしれないと、今の慧夢には思えた。
絵里を目で追いながら、慧夢は心の中で、伝えられない感謝の言葉を口にする。
(杉山にも、助けられてたのかもな……ありがとう)
そんな慧夢を、微妙な表情を浮かべて、半目で見ていた五月の右耳に、素似合は唇を寄せると、慧夢には聞こえない様に囁く。
「少しは焦った方が、良いんじゃない?」
五月は「何がよ?」とでも言いたげな目で、素似合を睨む。
「僕等の知らない所で、慧夢は色々とフラグ立ててるみたいだから、立場が邪魔する先生だけが、競争相手の状態、そろそろ終わりそうな感じだし」
素似合の囁きには言葉を返さず、五月は慧夢の右脇を左肘で小突くと、やや不機嫌そうな口調で言い放つ。
「何ぼーっとしてんの?」
五月に小突かれて、僅かな間ではあるが、物思いに耽ってしまっていた慧夢は、我に返る。
そして、目線を五月と素似合に移すと、慧夢は高等部の校舎に向って歩いて行く。
尽きる事を知らない雑談を、三人で続けながら。
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