216 良かったね……本当に、良かった。あんたが、そう思えるようになって
「夢芝居という、俺の人生を色々と面倒なものにした特異体質が、人の命を救う為に役立つ能力になるのだとしたら、それも悪く無い気もします。案外、それが少しだけでも世の中をマシにする事に、繋がるのかも知れないし」
慧夢の頭に甦ったのは、志月を助ける決意をした時、助ける事にした理由の一つを、書き記した文面。
志月の命を夢芝居で救えたのなら、面倒で厄介な特異体質だと思っている夢芝居が、人の命を救える、役立つ能力だと思えるのではないかという期待は、慧夢が志月を助けると決意した、理由の一つだった。
そして、志月を助け終えて、現実世界に生還した今、自分が夢芝居の事を、和美の言う通りに思える様になっていたのを、慧夢は自覚する。
「――そうだね、色々と面倒で厄介な特異体質でもあるけど、人の命を救う事も出来る、素晴らしい能力でもあるんだと思うよ……夢芝居」
微笑みながらの慧夢の言葉を耳にして、唆夢と和美は驚き……そして笑顔を浮かべる。
慧夢が夢芝居について、肯定的な評価をするのを、二人は初めて耳にしたのだ。
かっては人間不信を酷く拗らせる程、息子である慧夢の人間性に、ネガティブな影響を与えてしまった夢芝居。
成長するにつれ、その影響のかなりの部分を、苦しみながらも乗り越えた慧夢の姿を、唆夢と和美は間近で目にしていた。
だが、今でも夢芝居のせいで、普通の人には縁遠い種類のトラブルを抱えているのを、唆夢も和美も察していた。
女性不信が僅かに残っていたせいで、慧夢が恋愛に対して、積極的になれない事や、五月や素似合を通して知る事がある、慧夢の口の悪さの暴走などを。
唆夢と和美が、何かと慧夢に対し、彼女を作れ的な話をするのは、そんな息子を案じているからこそ。
親がけしかけるくらいでなければ、まだ僅かとはいえ「拗らせている」慧夢は、恋愛と無縁の青春を過ごしてしまうのではないかと、唆夢と和美は考えていたのだ。
慧夢の口の悪さが暴走する事……言葉によるコミュニケーションとはいえ、他者に対して過度に攻撃的になる事は、昔に比べれば問題にならない程度に減少し、改善したといえる。
それでも時折、思い出したかの様に、その類のトラブルを引き起こすのを、家に遊びに来た五月や素似合を通じて、唆夢も和美も知っていた。
自己肯定感の弱い人間、自己否定感の強い人間程、他者に対して攻撃的になる傾向がある。
慧夢が人間不信を酷く拗らせた時、その解消の役に立てばと、読み漁った育児書や心理学の解説書などで得た知識から、慧夢の攻撃性の原因が、夢芝居が原因となった自己否定にあるだろう事を、唆夢と和美は察していた。
だが、現代社会では明らかに厄介な存在である、夢芝居という特殊能力にして特異体質を持つ自分自身を、慧夢が肯定的に考えられる様にする手段が、唆夢と和美には無かったのだ。
故に、原因が分かっていながら、問題を解決出来ず、唆夢と和美は口惜しい思いをしていたのである。
「人の世は、信じるに値せぬ、愚か者ばかり。それでも人を許し、愛して生きるべし。己も所詮は、愚か者の一人であると知れ」
この夢占秘伝の助言にある、「己も所詮は、愚か者の一人であると知れ」の意味を、自覚出来る程度に成長した、思春期に入った頃には、慧夢の人間不信は殆ど治った。
でも、慧夢は助言の意味を、正確には理解出来ていなかったのだ。
助言にある「それでも人を許し、愛して生きるべし」の「人」を、慧夢は他人の事だと思っていた。
この一文の「人」に、自分自身が含まれているのに、慧夢は気付けなかったのである。
他人だけではなく、自分自身も許して愛し、生きるべきだというのが、この一文に込められた本当の意味だった。
他人が心の内に隠した愚かさを知ってしまう、夢芝居の能力者が、否定的に見てしまうのは、他人だけでは無い。
人の秘密を盗み見た結果、他者を信じられなくなりがちな自分自身までも、夢芝居の能力者は、否定的に見てしまいがちなのだ。
そんな自分を否定せず、他人同様に許して愛して生きて欲しいというメッセージを、己の能力を受け継ぐ子孫に、幻夢斎は書き残したのである。
慧夢が普段は理性で抑え付けているが、時折抑えが効かずに暴走させてしまう攻撃性の源泉は、夢芝居能力を持つ自分自身を、許せも愛せてもいない……自己否定にあった。
その自己否定の原因であった夢芝居について、慧夢は初めて肯定的な言葉で語れたのだ。
その言葉を耳にして、唆夢も和美も悟ったのだ。
自分達には解決出来なかった問題を、慧夢が夢芝居能力により、クラスメートの少女の命を救う経験を通じて、自ら解決してしまった事を。
「良かったね……本当に、良かった。あんたが、そう思えるようになって」
嬉しそうな和美の、感慨深げな言葉の直後、突如……慧夢の腹が鳴る。
眠っている時は平気だったのだが、目覚めた後にベーコンエッグの匂いを嗅いだせいで、慧夢は激しい空腹を覚え始めていたのだ。
真面目な話が続いていた、ダイニングキッチンの雰囲気をぶち壊す、慧夢の腹の虫の鳴き声を聞いて、唆夢と和美も楽しげに笑い出す。
慧夢も気恥ずかしげな、笑みを浮かべる。