215 お帰り、慧夢……あんたが無事に戻って来てくれて、本当に良かった……
「もしも、唆夢くんや私が、人助けの為だからと言って、あんたに何も言わないで置手紙だけ残して、死ぬかもしれない旅に出たら、あんたどう思う?」
強い口調で、和美は慧夢を詰問する。
「――無茶苦茶、心配するだろうし……納得がいかないと思う」
消え入りそうな声で、慧夢は答える。
「あんたは、それと同じ事をしたの!」
強い口調で、和美は慧夢に言い聞かせる。
「一方通行の置手紙で、自分の言いたい事だけは言い残して、あんたを大事に思ってる家族には、何も言わせないとか、そんな事で家族が納得がいく訳がないでしょ?」
無言のまま、慧夢は俯く。
同じ様な真似を、自分の家族や大事に思っている人間がしたら、酷く心配するだろうし、納得が行かず、和美の様に怒りを覚えもするだろうと、慧夢も思ったのだ。
「命懸けの人助けを、するなとは言わないよ。でもね、あんたの命を大事に思う人の事も、ちゃんと考えて……ちゃんと向き合ってからにしなさい!」
和美の言葉に、慧夢は黙って頷く。
「――それが分かればいいの、分かればね」
そう言うと、涙ぐみながら怒っていた和美は、ようやく表情を緩ませる。
安堵と喜びが混ざり合った表情を浮かべ、和美は慧夢に両腕を伸ばすと、強く抱き締める。
「お帰り、慧夢……あんたが無事に戻って来てくれて、本当に良かった……」
叱っていた時の言葉よりも、遥かに強い感情が込められている言葉。
溢れ出る感情が、和美の言葉だけでなく、身体までも震わせている。
涙ぐんでいた目から、とうとう涙が零れ落ちる。
涙は和美の頬だけでなく、触れ合っている慧夢の頬も濡らしてしまう。
頬に和美の涙の熱を感じ、慧夢も目頭を熱くする。
泣く程に和美が心配してくれていたのが、嬉しかったせいだ。
でも、慧夢は嬉しさを覚えるのと同時に、胸が締め付けられる様な痛みも覚えていた。
自分の事を大切に思っている人間に、涙を流させる様な真似をした現実を、突き付けられているのだから、胸が痛むのは当たり前。
(何時振りだろう? こんな風に……親を泣かせたり、抱きしめられたりしたのは?)
ふと、慧夢の頭に、そんな疑問が浮かぶ。
思い浮かんだのは、小学生の頃の苦い思い出。
(あの時も、まずは説教からだったな……)
抱きしめられながら、和美の胸に顔を埋めて、泣いた記憶が甦り、慧夢は気恥ずかしさを覚える。
今の慧夢は、和美とほぼ同じくらいの身長なので、抱き締められると頬を寄せ合う感じになり、互いの涙が頬を濡らし合うのだが。
(――親を泣かす様な真似するのは、今回ので最後にしよう)
再び経験したくはない、胸の痛みを心に刻みつけながら、慧夢は決意する。
(籠宮も、あの時……胸が痛かったんだろうか? 痛かったのなら、たぶん……もう親を泣かす様な、馬鹿な真似はしないんだろうけど)
少し前に目にしたばかりの、両親と泣きながら抱き合う志月の姿を思い浮かべつつ、慧夢は自問する。
そして、割とあっさりと、その答を慧夢は出してしまう。
(痛くなかった訳が無いか……)
具体的な根拠があっての、答では無い。
ただ、今回の一件を通し、志月の様々な面を目にして、志月への認識が大きく変わった今の慧夢には、そう思えるのだ。
突如、物音がしたので、慧夢の目は反射的に、物音がした方に移動する。
ダイニングキッチンと居間の仕切り近くに置かれた、箪笥の上に肘を突き、嬉しそうに微笑みながら、慧夢と和美の様子を見守っていた、藍染の作務衣を着た唆夢の姿が、慧夢の目に映る。
醤油のペットボトルを手にして戻って来た唆夢は、和美が慧夢を叱っている場面に出くわした。
息子の生還を喜びつつ、割り込むのも無粋だろうと思った唆夢は、程良い高さの箪笥に右肘を突いて、立ったまま和美と慧夢の様子を、見守り続けていたのだ。
そして今しがた、箪笥の上に置いてあった写真立てが、唆夢の肘に当たって倒れて、物音を立てたのである。
「まぁ、何だ……言いたい事は、母さんが殆ど言っちまったんで、俺が言う事は大して残って無いんだが……」
自分の方を慧夢が向いた為、慧夢と目が合った唆夢は、ペットボトルを手にしていない右手で写真立てを立てながら、ようやく口を開く。
「お前が無事で戻って来たって事は、クラスメートの女の子の命を、救えたんだな?」
「――まぁ、何とかね」
「そうか、良くやったな」
少し気恥ずかしそうな表情で、慧夢を称える言葉を、唆夢は口にする。
「命懸けの状況で、人の命を助けられる奴なんて、世の中にそんなにいやしないんだ。それが出来た自分を、お前は誇って良いし、そんなお前が息子なのを、俺は誇らしく思う」
「私も、そう思うよ。良くやったね……慧夢」
慧夢の言葉に、和美も同意する。
「あんたの夢芝居は、面倒な特異体質なだけじゃなくて、人の命を救う事が出来る、素晴らしい能力だって、はっきりしたじゃない」
和美の言葉を聞いて、慧夢は思い出す。自分が両親に残した、置手紙の事を。