214 おはよう! 朝ごはん、俺の分ある?
「何だ、これ?」
小さくて薄いラッピングバッグを手に取った慧夢は、ラッピングバッグの口を絞っているリボンに、薄卵色のタグが結び付けられているのに気付く。
「――籠宮の叔母さんからか! お礼とかいらないって言ったのに……」
タグには「THANK YOU!」とプリントしてあり、その下に志津子のフルネームが書かれていたので、ラッピングバッグが志津子からの礼だと、慧夢には分かったのだ。
ラッピングバッグ越しに触れた感じから、慧夢は中身を推測する。
「ディスクのケースっぽいから、ゲームソフトかな?」
慧夢自身が何度も買った、家庭用ゲーム機のソフトのパッケージと、良く似た感じの感触がしたのが、ゲームソフトだと考えた主な理由。
現実世界で志津子と話した時、ゲームの話で盛り上がったのを思い出した事も、理由の一つではある。
中身を確認したくもあったのだが、スマートフォンのメールやメッセージのチェック同様に、慧夢は後回しにする事にして、ラッピングバッグを元の位置に戻す。
「あれ? こんなに片付いてたっけ、俺の部屋?」
ドアに向って歩き始めた慧夢は、普段ならゲームソフトやマンガが散らばっているのだが、綺麗に片付いている床の上を歩きながら、自問する。
「母さんが掃除してくれたんだろうな」
和美に心の中で感謝しつつ、慧夢はドアを開けて部屋を後にする。
廊下に出ると、何処となく雨音に似ている、フライパンで何かを炒めている音が聞こえる。
空腹感をより強めながら、慧夢は階段を足早に下りる。
起きた直後こそ、少しだけ強張っていたが、既に身体は何の問題も無く動いている。
夢占秘伝にあった通り、黒き夢に入って長時間過ごしても、夢芝居能力者の肉体に問題は起こらないのだ。
右腕に少しだけ変化が起こってはいるが、それ以外は寝入る前の状態を、慧夢は維持出来ていた。
「唆夢くん、醤油取って来て! 庭の倉庫に、買い置きがある筈だから!」
一階に下りた慧夢は、和美の声を聞きながら、廊下を歩いてダイニングキッチンに向う。
ドアが開け放たれたままの出入口を通り、八畳程の広さがある、明るい色使いのダイニングキッチンに、慧夢は足を踏み入れる。
ガスレンジで作り終えたばかりなのだろう、フライパンの中のベーコンエッグを、台所天板に並べた皿に移している和美の姿が、慧夢の目に映る。
以前は目にしても、何の感慨も覚えなかった、ただの日常の一場面。
そんな有り触れた場面を目にして、命懸けの日々が終わり、日常に回帰したのを、慧夢は強く実感。
幸せな気分を覚えつつ、慧夢は明るい口調で声をかける。
「おはよう! 朝ごはん、俺の分ある?」
換気扇の音などに掻き消され、慧夢の足音に気付いていなかった和美は、慧夢の方を振り向いて、呆気に取られた表情を浮かべる。
フライパンを傾けたまま、驚いて慧夢の方を向いた為、傾けたままのフライパンから、ベーコンエッグが床にずり落ちそうになっている。
「あ、卵!」
慧夢は台所天板の方に歩み寄り、台所天板に置かれていた皿を手に取ると、フライパンの下に移動させ、落下したベーコンエッグを見事に受け止める。
「危ねー、間に合った!」
安堵の表情を浮かべつつ、慧夢は皿を台所天板に戻す。
台所天板には、ベーコンエッグが載った皿が三枚、置かれていた。
既に二つの皿には、和美がベーコンエッグを移し終えていた。
最後の一人分を移そうとした時、慧夢に声をかけられて驚いた和美は、ベーコンエッグを落としてしまったのだ。
皿が三つという事は、三人分……つまり、慧夢の分の朝食も、用意されている事になる。
それに気付いた慧夢は、声を弾ませる。
「良かった、俺の分があって! ようやくまともな物が食べられる!」
嬉しそうな口調で、慧夢は続ける。
「夢の中では、コンビニお握りとペットボトル緑茶ばっかで……」
慧夢の言葉が、途切れる。平手打ちの、音と共に。
「生きるか死ぬかの問題を、親に一言の相談も無しに決めて、人様の夢の中に行っておきながら、戻って来て最初に言う事が、朝ごはんの話とか……」
フライパンとフライ返しをコンロの上に置いてから、右手で強烈な平手打ちを慧夢に見舞った和美は、眉を吊り上げ激しい口調で、慧夢を叱り付ける。
「どれだけ親に心配かけたか、あんた分かってるの? 分かってたら、まず無事で戻って最初に言うべき事は……」
声を震わせている和美が、涙ぐんでいるのに、慧夢は気付く。
「――ご免なさい、心配かけて」
右頬の痛みを堪えつつ、慧夢は頭を下げて謝る。
叱られる事など珍しくも無いが、涙を浮かべながら叱る和美を顔を見るのは、慧夢にとっても久し振りの経験。
滅多に無い事だったので、どれ程自分が親に心配をかけたのかを理解し、悪いと思ったので、慧夢は素直に謝ったのだ。
心配をかけた側でありながら、幽体で部屋に戻って来た時、部屋に家族が誰もいないのを見て、少しとはいえ失望した自分を、慧夢は恥じる。