213 霊力の強さは、何時でも試せるから、まずは親を安心させないと
雲一つ無い程に、朝の空は晴れ渡っている。
悩み尽くした上で、命懸けで人の命を救うと決意し、散々苦労した上で、目的を果たし終えた慧夢の心も、そんな青空に負けぬ程、爽快に晴れ渡っていた。
気分が高揚しているせいか、普段よりも高い空を飛びたくなった慧夢は、一気に地上から二百メートル辺りまで急上昇すると、朝陽に照らされた川神市の街並を眺める。
まだ午前七時前、夢を見ている人が多いのか、玩具の様な街並のあちこちが、夢世界の光を放っている。
川神市全体を見下ろし、自分の家がある方向を確認すると、慧夢は南に向って水平飛行を始める。
幽体の身を洗う朝のそよ風が、慧夢には心地良い。
眼下を流れ行く川神市の街並の上を、慧夢は上機嫌で、自宅に向って飛び続ける。
「このまましばらく、飛んでいたい気分だなー。何だか知らないけど、まだ当分は飛び続けられる気がするし……」
慧夢が幽体でいられる時間は、以前は霊力が完全な状態でも、十分程度でしかなかった。
霊力の消耗度合いは、慧夢には勘で分かるので、幽体で活動出来る残り時間を、大雑把に把握出来るのだ。
でも、幽体で現世に戻ってから、既に数分が過ぎているにも関わらず、今の慧夢は霊力の消耗を、余り感じていなかった。
飛びながらであっても、余裕で一時間以上、幽体でいられる気がしていたのである。
「また霊力が、強くなったのかな?」
志月の夢に入る直前の事を、慧夢は思い出す。
黒き夢に接近し、霊力が強化された結果、幽体になって九分が過ぎていたのに、霊力にかなりの余裕を感じていた時の事を。
あの時と同じ現象が、より極端な形で起こっていたので、慧夢は自分の霊力が、また強まったのではないかと考えたのである。
そして、考えている間に、慧夢は南側の住宅街の上空に、辿り着いてしまう。
黒に近い紺色の瓦屋根の、珍しくも無い二階建ての住宅……。
見慣れた自宅の屋根が、とうとう慧夢の視界に入った。
数日振りに目にする自宅が、慧夢にはとても懐かしく感じられた。
自宅を目にしたせいで、その中に居る筈の両親の顔を見たいという欲望が、慧夢の中で強まっていく……空を飛び続けたいという欲望を、上回る程に。
「――まぁ、今日のところは……やっぱり早く家に戻ろうか」
自宅の屋根を目指して、降下し始めながら、慧夢は呟き続ける。
「霊力の強さは、何時でも試せるから、まずは親を安心させないと」
高度を下げるにつれ、玩具の街並の様であった住宅街が、慧夢の視界の中で大きくなっていく。
本物の住宅の屋根に見える程、視界の中で屋根が大きく見え始めた頃合に、慧夢は減速を開始。
波打つ海面に、足先から跳び込むダイバーみたいに、慧夢は波打つ瓦屋根に突入。
沈み込む感じで、屋根と天井を通り抜け、ほぼ五日振りに、慧夢は数日振りに、自宅の自室に戻った。
朝陽が射し込む、明るい部屋に入った慧夢は、ベッドの脇に降り立つと、部屋の中を見回す。
ベッドの上で毛布を被り、寝息を立てている自分以外に、部屋には誰もいない。
「俺……心配されてないんじゃね? やっぱ空飛んで、霊力の限界を試して来るかな」
志月とは違い、部屋に家族が誰もいないのを見て、慧夢は少しだけ失望する。
だが、階下から響いて来る、換気扇の音が耳に入り、慧夢は和美が朝食の準備中であるのに気付く。
朝食の存在を意識したせいで、慧夢は激しい空腹感を覚え始める。
「籠宮の夢の中では、コンビニお握りとペットボトル緑茶ばかりだったからな、いい加減……他の物が食べたいよ」
空腹感と食欲の方が、空を飛んで霊力の限界を試したいという欲望を、抑え込んだ。
慧夢はこのまま、自分の身体に戻る決意を固める。
自分の寝顔に、慧夢は右手で触れる。
直後、換気扇に吸い込まれる煙の様に、慧夢の幽体は肉体へと、吸い込まれてしまう。
慧夢の視界はブラックアウトし、意識は途切れる。
そして、数秒が過ぎ去った後、慧夢は意識を回復する、肉体に戻った状態で。
朝陽に照らされる感覚を覚えながら、重い瞼を慧夢は上げ始める。
数日振りに瞼を上げたせいか、慧夢の目に朝陽は眩過ぎた。
薄目のまま、一分程……ぼやけた天井を眺めながら、目が朝陽に慣れるのを待つ。
何もせずに待つのも手持ち無沙汰なので、枕元にある筈のスマートフォンを、右手で探して手に取りながら。
(そろそろ、いいかな?)
恐る恐る、慧夢は両目を見開く。
既に目は朝陽の明るさに慣れたのか、眩さを感じなくなってた。
(大丈夫そうだ)
そのまま、慧夢はスマートフォンを弄り始めるが、モニターには何も表示されない。
(バッテリー切れか、充電しないと)
慧夢は毛布を除けつつ、上体を起す。
眠り過ぎた後に目覚めた時の様に、多少は強張った感覚を、慧夢は身体に覚えたのだが、問題になる程では無い。
一度……大きく背伸びをしてから、深呼吸した上で、慧夢はベッドから下りる。
そして、目の前にある机の引き出しから、充電器を取り出すと、ベッドの近くのコンセントを使い、スマートフォンの充電を開始する。
手の中のスマートフォンが、自動的に立ち上がったので、メールやメッセージを確認しようかと、慧夢は思う。
でも、親に顔を見せる方を優先すべきだろうと考え、慧夢はスマートフォンを、ベッドの枕元辺りに置く。
その際、枕元にある棚……ベッドボードに付いている棚の上に置かれた、レモンイエローのラッピングバッグが、慧夢の視界に入る。