表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
211/232

211 人は嫌いな人間の為に、涙を流したりはしないからさ

 慧夢の言葉を聞いて、陽志は問いかける。


「何故だい?」


「――俺は色々な人の夢の中に、入った事があるんだけど、みんな夢の事なんて、すぐに忘れちまうものだからさ」


 肩をすくめて、慧夢は続ける。


「目覚めた直後くらいは、俺が出て来た夢の事を、覚えてる奴も結構いるけど、殆どの人は……どんな夢だったのか、数十分も覚えちゃいないんだ」


 数十分というのは、根拠がある。

 学校で居眠りするなどして、うっかりクラスメートの夢に入ってしまった時の経験から、慧夢には分かるのだ。


 学校で居眠りして、クラスメートの夢世界に入った場合、目覚めた直後であれば、慧夢が夢に出て来たのを覚えていて、その事について口に出す者もいる。

 妹達にプリンを食べさせて貰う夢を見ていたら、慧夢に目覚めさせられ、夢の内容を口走った素似合そにあの様に。


 以前、自分が夢に出て来た事を、覚えていたクラスメート相手に、どんな夢であったのかを、訊いて調べていた時期が、慧夢にはあったのだ。

 大抵、その夢を見て目覚めた後の、次の休み時間に、その調査は行われた。


 居眠りするのは大抵は授業中、その次の休み時間は数十分後という事になる。

 その数十分後の調査時ですら、殆どのクラスメートは、夢の内容を覚えていなかったのだ。


 故に、殆どの人は、どんな夢を見たのか、数十分も覚えてはいないと、慧夢は言い切れるのである。

 ちなみに、人が夢の内容を、すぐに忘れてしまうのは、慧夢が侵入した夢に限った事ではない、人が夢の内容をすぐに忘れ去ってしまうのは、普通の事なのだ。


 心理学者や大脳生理学者の解説によれば、脳は夢を長時間、記憶し難いシステムになっているらしい。

 ただ、この場合の記憶というのは、意識出来る領域の記憶である。


 人間は膨大な記憶を貯蔵しておく、巨大な貯蔵庫を持っている。

 この貯蔵庫には、人間が意識的に扱える領域と、意識的には扱えぬ、無意識の領域がある。


 無意識の領域は、記憶の奥深く……深層に存在する。

 この深層に貯蔵された記憶は、人間は意識的には思い出せない為、失われてはいないのだが、忘れた状態になっているのだ。


 夢に関する記憶は、消えてしまう部分も多いが、この無意識の領域にある貯蔵庫……記憶の深層に沈み込み、自覚できぬまま貯蔵され続ける部分も多い。

 故に、失われてはいないが、意識的に思い出せもしない状態に、なってしまっているのである。


 だが、夢に関する記憶が完全に消滅したり、記憶の深層に沈み込む前に、意識的に覚えておく為の行為を行うと、夢に関する記憶が長時間、意識的に扱える領域に残り続ける。

 つまり、覚えていられるのだ、五月や絵里の様に。


 慧夢が夢に入れると、冗談半分とはいえ公言している五月の場合は、慧夢が出て来た夢の内容を、スマートフォンのメモやレコーダーに、意識的に記録したりしていた。

 記憶し続ける為の努力をしているが故に、五月は慧夢が侵入した夢に関する記憶を、数多く長期間、記憶し続けている。


 目覚めた直後に、慧夢と目が合い、慧夢が夢に入れるのではという疑念を抱いた絵里も、慧夢が侵入した夢を、長時間記憶していた。

 その疑念について、慧夢に問い質そうと、夢を意識的に何度も思い出し続けた結果、絵里は意識出来る領域に、慧夢が出て来た夢を、記憶してしまっていた。


 五月や絵里の様な例外も存在するが、記憶が失われない様に努力し、記憶を維持しているケースは、相当にレアなのが現実。

 夢を記憶し続けようという努力など、殆どの人はしないので。


 故に、自分が入った夢についての記憶を、殆どの人が……すぐに忘れ去ってしまうと、慧夢は認識しているのだ。

 これは慧夢の思い込みではなく、事実である。


「――だから、籠宮も夢の中で何があったかなんて、すぐに忘れちまうんで、俺に感謝したりはしないだろうし、俺への態度も変わりゃしないんだ」


 志月を一瞥しつつ、慧夢は話を続ける。


「そんな訳で、これまで通りだよ、俺と籠宮の関係は」


「――志月が夢の中での事を、君の言う通りに、すぐに忘れてしまうのは、事実なのかもしれない」


 その点については、慧夢の意見を肯定した上で、陽志は慧夢に反論する。


「それでも、君と志月の関係は、これまでとは違った形になると思うよ」


「何故?」


 不思議そうに首を傾げる慧夢に、陽志は理由を説明する。


「夢の中での事を、志月が忘れてしまっても、君が覚えているからさ」


「確かに、俺は夢の内容を覚えてるけど、だからって……俺はこれまで通りで、別に何も変わりはしないよ」


 納得がいかなそうな、慧夢の言葉を聞いた陽志は、微笑みながら慧夢に問いかける。


「君は志月と仲が悪くて、『好きか嫌いかで言えば、嫌いなタイプだ』と言ってたよな?」


「――言ってたけど」


「でも、君はもう……志月の事を、嫌いじゃないよね?」


 予想もしていなかった問いを投げかけられ、慧夢は面食らう。

 そして、やや狼狽気味の表情で、慧夢は質問に質問で返す。


「な、何で……そんな風に思う訳?」


 左手の指先で、慧夢の目の辺りを指差しつつ、陽志は問いに答える。


「人は嫌いな人間の為に、涙を流したりはしないからさ」


 陽志の返答を聞いた慧夢は、まだ赤くなったままの目を大きく見開き、驚きの表情を浮かべる。


(――籠宮の兄貴の言う通りだ、嫌いな人間の為に、涙なんて流す訳がない)


 夢世界が崩壊する時や、目覚めた後の志月を目にして、感極まってしまい、涙ぐんだり涙を流してしまった自覚が、慧夢にはあった。

 目覚めた後に流した涙の方は、陽志に気付かれただろう事も、慧夢は認識していた。


(そっか……俺はもう、籠宮の事……嫌いじゃなかったんだな)


 慧夢は陽志に言われて、今になって自覚したのだ、自分が既に志月を嫌ってはいない事を。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ