21 何を悩む事がある? その娘は楽しく夢を見ながら、幸せに死ぬ事を望んだ。望みを叶えて終わるのだから、ハッピーエンドだろうに! ハッピーエンドなのだから、私達も笑って終わろうじゃないか!
「――ああ、急に……眠気が……」
志月は足元をふらつかせ、舞台の上を右往左往したかと思うと、ベッドの上に倒れ込んで、腰掛ける。
そして、大きく欠伸をしたかと、そのままベッドに倒れて、寝息を立て始めた。
観客達が悲鳴を上げる中、絵里はベッドに駆け寄ると、幸せそうな笑みを浮かべ、仰向けで眠っている志月の身体を、激しく揺さ振る。
「起きて、志月! 貴女が飲んだのは、ただの砂糖と小麦粉……眠ってしまう筈など無い! だから、起きてよ志月! 起きなさいッ!」
だが、志月に起きる様子は無い、微笑んだまま眠り続けている。
「もう志月は……チルドニュクスが偽薬で、砂糖と小麦粉を混ぜ合わせた粉だと知っているのだから、プラシーボ効果はなくなる筈!」
頭を抱えて、絵里は大仰に苦悩をアピールしつつ、続ける。
「それなのに、何故……志月は眠ってしまい、目覚めない?」
悩む絵里を指差して、魔女は高笑いをしてから、絵里の疑問に答える。
「決まっているだろう、このチルドニュクスが、本物だからさ!」
「バカを言わないで! チルドニュクスなんて、ただの偽薬……偽物じゃない!」
「本物だからこそ、その娘は眠ったんだよ。そして、大好きな兄の夢を楽しみながら、幸せな死を迎えるだろう! これまでチルドニュクスを飲み、永眠病で死んだ全ての者達のようにね!」
「――でも、科学的な検査の結果では、チルドニュクスは……」
「科学? 科学がこの世の全てを解き明かしたとでも、お前は思っているのかい? 馬鹿をお言いで無い!」
嘲る様な口調で、魔女は絵里に言い放つ。
「科学が解き明かし、知る事が出来たのは、この世のほんの僅かな理のみ! 私が操る魔術も、夢の世界も……魂の存在も、何一つまともに解き明かしてはいないのさ! そんな科学でチルドニュクスが何なのか、解き明かせる訳が無かろうに!」
魔女は志月を指差し、断言する。
「断言しよう! その娘が目覚める事は、二度と無い! オネイロスの祝福を受けて、夢を楽しみ続け……月が十五回夜空を巡った頃合に、幸せにタナトスの祝福を受け、死ぬだろう! 死ぬんだよ! 死ぬのさ!」
その宣言を聞いて、絵里は絶望したかの様に、その場に崩れ落ち、頭を抱え込む。
「何を悩む事がある? その娘は楽しく夢を見ながら、幸せに死ぬ事を望んだ。望みを叶えて終わるのだから、ハッピーエンドだろうに! ハッピーエンドなのだから、私達も笑って終わろうじゃないか!」
魔女は自分の言葉通り、高笑いを始める。心の底から楽しそうな笑いを、体育館中に響き渡らせる。
対照的に、絵里は舞台上で崩れ落ちたまま、泣き崩れる。
死に行く親友を救えぬ無力な自分に絶望したのか、自分の過去の判断を後悔しているかの様に。
そして、舞台中央のベッドの上では、志月は眠り続けたままだ。
楽しい夢でも見ているのだろう、幸せそうな志月は、微笑を浮かべている。
高笑いする魔女、絶望する絵里、幸せそうに眠る志月の姿が、下りて来る幕に隠されてしまう。
演じられていた劇が終り、幕が下りて来たのだ。
舞台上の演劇は終わったが、観客席から拍手など上がらない。
魔女が言うハッピーエンドなどという戯言など、誰も信じていない、支持していないという雰囲気。
「そりゃまぁ、拍手なんざ出来んわな、こんなアンハッピーエンドの演劇には」
観客席に座り、観劇していた慧夢は、不愉快そうに呟く。
「しかし、演劇仕立ての夢とは……演劇部だけの事はあるね、杉山の夢世界。夢芝居という能力だが、夢の中で本当に芝居を見たのは、初めてだ」
慧夢が呟いた通り、志月と慧夢……そして魔女が舞台上で演劇を行っていた、この世界は、絵里の見ている夢……夢世界の中。
午後の授業中、また居眠りしてしまった慧夢の幽体は、同時に教室で居眠りしていた誰かの夢世界に、吸い込まれてしまったのだ。
夢世界に入った慧夢が意識を取り戻したのは、体育館の観客席。
「兄さん、どうして私を残して、死んでしまったの?」
白尽くしの部屋のセットが組まれた、舞台の中央に立っている、白い清楚なパジャマに身を包んだ志月が、この台詞を口にした時だ。
通常、夢世界の主は夢の中で、主役レベルの重要な役を担当するので、その場面を目にした慧夢は最初、夢世界の主は志月かと思った。
でも、それは有り得ない事に、すぐに慧夢は気付いた。
何故なら、志月は教室にいないので、慧夢の幽体が志月の夢世界に、吸い込まれる訳が無いからだ。
兄の陽志が死んだ日以降、志月は一週間に渡って、学校を休み続けている。
当然、教室にいる訳が無いので、夢世界の主は別の誰かなのだと、慧夢は気付いた。
そこで、おそらくは舞台で主要な役を演じる者が、夢世界の主であろうと考え、慧夢は観劇を続けた。
すると、誰だか分からない魔女に続いて、同じ教室にいる筈の絵里が、舞台上に姿を現したので、慧夢は夢世界の主が絵里だと知ったのだ。