207 私は命を救って欲しくなんてない! 兄さんも夢占君も、余計な事しないでよ!
「夢占君! ネックレスは?」
鋭い声の主は、相変わらず庭でモブキャラクター達を妨害し、牽制していた陽志。
屋根の上で、ネックレスがどうなっているのかが気になり、慧夢に問いかけたのだ。
慧夢は即座に、声を張り上げて返事をする。
「手に入れた! これから切って壊すところだ!」
返事を聞いて、陽志は日本刀を構えたまま、安堵の表情を浮かべ、屋敷に近寄って来ていた志月は、愕然とした表情を浮かべる。
頼りにならないモブキャラクターには任せておけないとばかりに、屋根に上るべく、志月は屋敷に近づいていたのだ。
屈んだままでは、声が張り上げ難い。
故に、慧夢は屋根の端で上体を起し、片膝を立てた姿勢に移行していた。
そのせいで、志月の位置からは、何時でもネックレスを引き千切れる状態でいる、慧夢の姿が視認出来た。
(あ、そうだ! 礼くらい言っておかないと!)
ネックレスを切り、夢の鍵を破壊すれば、志月の夢世界は崩壊する筈。
通常の夢世界が崩壊した後なら、夢の主の近くに、慧夢は幽体として出現するのだが、今回は初めて経験する、黒き夢の夢世界が崩壊する場面、普通とは違う可能性もある。
しかも、イレギュラーな形で夢世界に入って来た、死霊である陽志が、夢世界が崩壊した時、どうなるのかも慧夢には分からない。
自分以外の霊魂的な存在が、同時に夢世界に入っている状態で、夢世界が崩壊するのを経験するのは、慧夢にとって初めての経験。
故に、ネックレスを引き千切って、黒き夢の夢世界を崩壊した後では、陽志に礼を言う機会が無いかもしれないと考え、慧夢は機を逃すまいと声を上げる。
「ありがとう、籠宮の兄貴! ネックレスが……夢の鍵が手に入ったのは、あんたのお陰だ!」
庭にいる陽志に、慧夢は礼の言葉をかけ続ける。
「これで籠宮は死なずに済む! あんたは妹の命を救えたんだ!」
慧夢の礼の言葉を聞いて、陽志が嬉しそうに表情を緩ませた直後、叫び声が空気を震わせる。
「私は命を救って欲しくなんてない! 兄さんも夢占君も、余計な事しないでよ!」
叫んだのは、悲痛な面持ちの志月。
「私は最後まで……兄さんと一緒の夢を見て、夢を見終わった後は、兄さんが行く所に一緒に行きたいの! 兄さんがいない現実の世界に戻る位なら、死んで一緒にいたいの、私は!」
「お前は……まだそんな馬鹿な事を! 俺はお前に死んで欲しくはない、むしろ俺が生きれなかった分までも、生きられるだけ生き続けて欲しいと言っただろ!」
熱っぽく強い口調で、陽志は志月に訴え続ける。
「それに、俺だけでなく、お前まで死んだら、父さんと母さんはどうなる? 大事な子供を、続けて二人も亡くしたら、親がどれ程のショックを受けるか、ちゃんと考えてみろと言っただろ!」
「父さんと母さんなんて、どうなったって構わない!」
昂ぶる感情のままに、志月は叫ぶ。
志月の関心や感情が、ネックレスではなく口論に集中したせいだろう、モブキャラクター達はネックレスを目指すのを止め、人形の様に動きを止めてしまっている。
「私にとって大事な家族は、兄さんだけなんだから!」
感情的な口調と表情で、志月は陽志に言い返す。
小さな子供に戻り、兄妹喧嘩でもしているかの様に。
陽志と志月の口論は、以前……夕暮れ時の縁側で交わした口論と、ほぼ同じ流れ。
だが、今回は同じ流れにはならない。
何故なら以前とは違い、この場には話の流れを変えられる存在……慧夢がいるのだから。
「――父さんと母さんなんて、どうなったって構わない? 大事な家族は、兄さんだけ? 下手な嘘を吐くなよ、籠宮!」
本人を前にしても、「さん」付けをせずに呼び捨てにして、煽り口調で志月に言い放つ慧夢を、志月と陽志は見上げる。
突然の口論への参戦に驚き、呆気に取られた感じの、少し間の抜けた表情で。
志月の方は、すぐに表情を引き締め、刺々しい口調で慧夢に食って掛かる。
「嘘じゃない、本当だから! いい加減な事言わないで!」
「いいや、お前は両親を大事な家族だと思ってるよ、絶対に!」
「絶対に? 何を根拠に、そんな事が言えるのよ? 夢占君が私の何を知ってる訳? 親しくも無いし、仲だって悪いのに!」
「確かに俺は、お前の事なんて大して知りはしない……現実世界のお前についてはな! だが、この夢の中でのお前についてなら、話は別だ! お前の夢の中に入ってから数日間、俺は夢の鍵を探す為、お前の事を調べ続けていたんだからな!」
「気持ち悪い! ストーカーみたいな真似しないでよ!」
顔を顰めて文句を言う志月に、慧夢は気色ばんで言い返す。
「したくてしたんじゃねぇ! 仕方なくだ、仕方なく! 誰がお前みたいなブラコンの上、性格キツイ女のストーカーなんてするかよ!」
慧夢の言葉を聞いて、陽志がぼそりと呟く。
「――クラスメートに、ブラコンとか性格キツイとか思われてるのか、志月……。いや、そう言えば、さっきもそんな感じの悪口、言っていたな……夢占君」
「とにかく、この夢の中でのお前についてなら、俺は良く知ってる! チルドニュクスがお前に見せた夢の事を、俺は良く知っているのさ!」
突如、チルドニュクスを持ち出した慧夢の意図が読めず、志月は怪訝な顔をする。
「夢の神オネイロスに祝福されて、楽しい夢を見ながら、死の神タナトスに祝福されて、幸せな死を迎える事が出来る……それが、チルドニュクスが見せる夢だ」
「知ってるよ、そんな事。それがどうしたの?」
苛ついた感じの口調で、志月は慧夢に問いかける。
「――人生の幕を下ろす時、最後の楽しみとして見る、楽しくて幸せな夢……この夢世界は籠宮にとって、最高に楽しくて幸せな夢である筈なんだよ!」
慧夢は立ち上がると、ネックレスを手にしたままの両手で、籠宮家の屋敷を指し示した上で、話を続ける。
「最高に楽しくて幸せな夢として、籠宮が見た夢は、兄貴とだけじゃない……両親とも一緒に過ごす、普通の日々の夢だ!」
舞台上の役者の様な大仰な口調で、慧夢は志月にまくし立てる。
「兄貴と一緒に両親の分まで夕食を作り、家族四人でテーブル囲んで夕食を食べながら、その日にあった事や……テレビ番組の事なんかを楽しそうに話し、食事の後も何をする訳でもなく、ダラダラ一緒に家族と過ごす……もちろん朝食も一緒さ!」
慧夢の言う通りに、陽志だけでなく大志や陽子とも、夢世界で楽しく幸せに過ごして来た自覚がある志月は、慧夢に反論したいのだが、口を挟む言葉が思い浮かばない。
「最高に楽しくて幸せな夢の中で、そんな風に一緒の時間を過ごしてた両親の事を、お前が大事に思っていない訳がないだろ!」
一呼吸置いて、慧夢は口調を落ち着けてから、諭す様な口調で志月に語りかける。
「――大事なんだよ籠宮、お前は両親の事を、大事に思っているんだ」
志月は慧夢の主張を否定すべく、口を開いてはみるが、否定出来る言葉が思い浮かばず、志月は口を閉じる。
そして、口惜しげに唇を噛み締める。
そんな志月の表情を目にして、陽志は微笑む。
志月が本当は、両親を大事に思っている事を知れて、陽志は嬉しかったのだ。