205 籠宮の兄貴が、止めてくれてたのか……
(だったら……狙うのは、こっちだ!)
慧夢は左手で瓦を突いて、左足を軸足として腰を落とし、右脚を反時計回りに回転させながら、少女に向けて全力で足払いを放つ。
カンフー映画にはまった中学生の頃、創作護身術の為に覚えた、掃腿という中国武術の足払いの技だ。
足払いではあるのだが、少女は四つん這いなので、足元というよりは脚ごと払う形になる。
足先は右手にも届いたので、慧夢は少女の右脚と右手を、同時に払う状態になった。
「――えッ?」
いきなり右脚と右手を内向きに払われた少女は、驚きの声を上げながら、右側に傾く。
更に、右脚と右手を払った慧夢の右脚は、少女の左脚と左手をも、外向きに払ったので、少女は踏ん張る事すら出来ず、右側に転がされてしまう。
少女がいたのは、右側に庭が見える屋根の際、しかも右側に緩く傾斜までしている。
そんな所で右側に転んでしまえば、庭への落下は避けられず、少女は悲鳴を上げながら屋根から落下し、どさりと嫌な音を立ててから、悲鳴は収まる。
ネックレスを同時に取りに行けば、距離の条件のせいで、慧夢が負けるのは確実。
故に、慧夢はネックレスを拾いに向った少女を、ネックレスを拾う前に、足払いで屋根から落とす方に賭けたのである。
少女とネックレスの距離は近く、立った状態よりは転ばせ難い四つん這いであった為、成功するかどうかは五分五分。
その五分五分の賭けに勝ち、慧夢は屋根の上に残った、最後の一人となったのだ。
落下した少女の状態を確認する為、庭に身を乗り出し、慧夢は下の様子を覗く。
ジャージを燃やされた少年と、慧夢に落とされたばかりの少女が、地面の上に倒れている姿を、慧夢は確認。
同時に、慧夢は屋根に上って来たモブキャラクターが、二人だけだった理由を知る。
実は、庭には最低でも二十体程のモブキャラクター達が、動ける状態で残されていた筈なのに、屋根に上がれたモブキャラクターが二人だけだったのを、慧夢は不思議に思い続けていたのだ。
理由を知った慧夢は、感慨深げに呟く。
「籠宮の兄貴が、止めてくれてたのか……」
庭に残された陽志は、屋敷の周囲を忙しなく移動しながら、屋根に上がろうとするモブキャラクター達を、日本刀で牽制し……斬りかかり、上がれなくしていたのだ。
志月がモブキャラクター達に、屋根に上がってネックレスを守る様に指示したせいで、陽志は行動の自由を取り戻せた。
陽志が屋敷の前に辿りついた時、既に屋根には慧夢が上がっていた。
しかも、更に数人のモブキャラクター達が、屋根に上がろうとしていたのを、陽志は目にした。
その時、屋根の上は慧夢に任せて、自分は屋根に上がろうとするモブキャラクターを妨害した方が、夢の鍵であるネックレスの破壊という目的を、達成出来る確率が高いと、陽志は考えた。
故に、陽志は庭に残って、屋敷の周囲を駆け回り、屋根に上がろうとするモブキャラクター達を、妨害し続けていたのである。
陽志の妨害があったからこそ、屋根の上で慧夢がネックレスの争奪戦を繰り広げる相手は、同時に屋根に上がった二人だけで済んだのだ。
もしも陽志が、庭でモブキャラクター達を抑えていなければ、慧夢が二人のモブキャラクターを抑えるのに必死になっていた時、後から屋根に上がったモブキャラクターに、ネックレスは取られていただろう。
自分だけで、ネックレスの争奪戦に勝てた訳ではないのを理解し、慧夢は陽志に感謝する。
(――いや、まだ勝った訳じゃない。勝ったと思い込んで、油断しちゃ駄目だ!)
慧夢は気を引き締め、周囲を警戒する。
陽志が抑えているお陰で、屋根の上にモブキャラクターの姿は無い。
瓦屋根なので、歩けば音がするのは避けられない。
仮に死角から迫られたとしても、音で気付けるだろうと、慧夢は思う。
慧夢は庭を見渡し、状況を確認。
弓などの飛び道具を手にしたモブキャラクターは、見当たらない……斧で仕留めた少女も、復活していない。
石などの物を投げられ、攻撃を受ける可能性はあるが、現時点では志月がネックレスを守れと命令したせいか、そういった攻撃をする様子は無い。
投げた物がネックレスに当たって、壊してしまう可能性もあるので、その類の支持を出し難いせいでもある。
(どうやら、大丈夫そうだな……)
攻撃を受ける可能性は低いと判断したが、慧夢は気を引き締めたまま、屋根を這ってネックレスへと近寄る。
そして、緊張の面持ちで……胸を高鳴らせながら、ネックレスに左手を伸ばし……掴み取る。
身体の奥から、勝利の喜びと興奮が湧き上がって来るのを感じながら、慧夢は屋根の際から離れ、屋根の中央の方に三メートル程移動する。
可能性が低いとはいえ、庭から攻撃を受けて、ネックレスを庭に落としてしまう事態を避ける為にだ。
落としても確実に、瓦屋根の上に落ちる場所まで移動してから、慧夢はネックレスを口に咥えると、左手をズボンの右前のポケットに突っ込んで、懐中時計を取り出す。
念の為に、現実世界での現在時刻を、慧夢は確認しようとしているのだ。
懐中時計の蓋を開いて、慧夢は現在時刻を確認。
(午前六時十九分……制限時間前まで、十分に時間はある!)
理性的な部分では、まだ十時間以上は残されている筈なのを、慧夢は分かっていた。
でも、余りにも激しい戦いを続けた為、実際よりも遥かに長い時間が過ぎた様な気がしてしまい、慧夢は念の為に現在時刻を確認したのである。