20 死を望む人間達を救う為に、古(いにしえ)の魔術師達が作り出した薬を、現代の魔女である私が再現した魔法の薬……チルドニュクス!
何の変哲も無い、ありがちな大きさと作りの、川神学園高等部の体育館。
そのステージ……舞台の上は、白を基調とした清潔感のある部屋の様な、演劇用の舞台セットが、組まれている。
ベッドのシーツや布団も白ければ、箪笥や化粧台も白。
レース風のカーテンも白く、机や椅子までもが白い。
そんな白尽くしの部屋のセットが組まれた、舞台の中央に立っているのは、白い清楚なパジャマに身を包んだ志月。
「兄さん、どうして私を残して、死んでしまったの?」
芝居がかった大げさな動きと、抑揚の有り過ぎる声で、志月は問いかけ続ける。
「私は兄さんがいない世界でなんて、生きてはいけないというのに!」
「生きてはいけないだって? おかしな事をお言いだね。お前はちゃんと、生きているじゃないか!」
舞台の上手から現れた、黒衣に身を包んだ、西洋風の魔女の様な女が姿を現し、志月に語りかける。
その顔はフード風の衣装に隠され、客席から確認は出来ない。
「生きてはいけないわ! まだ死んでいないだけ! どうやって死ねばいいのか、私には分からないの!」
「――だったら、これを飲むがいい!」
何時の間にか、魔女の様な女の左掌には、大量のカプセル状の薬が、盛られている。
いや、左掌から噴水の様に、白いカプセル薬が噴出しているという感じだ。
白いカプセル薬に右手を伸ばし、志月は掴む。
そして、右手を客席に突き出し、その白いカプセルを、観客席にいる人々……川神学園高等部の生徒達に、見せ付ける。
「これを飲むがいいですって? これは一体、何なのです?」
志月の問いに、魔女の様な女は答える。
「死を望む人間達を救う為に、古の魔術師達が作り出した薬を、現代の魔女である私が再現した魔法の薬……チルドニュクス!」
魔女の様な女……ではなく魔女は、客席を煽る様な大げさな演技で、説明を続ける。
「これを飲めば、眠りの神ヒュプノスに祝福されて、安らかな眠りに就け、夢の神オネイロスに祝福されて、楽しい夢を見ながら、死の神タナトスに祝福されて、幸せな死を迎える事が出来るのさ!」
「まぁ、素敵! その話が本当なら、私……このチルドニュクスを飲んで、安らかな眠りにつき、兄さんが出て来る夢を楽しみながら、幸せな死を迎えるわ!」
嬉しそうに表情を綻ばせた、歌う様な口調の志月に、舞台の下手から現れた少女が、強い口調で声をかける。
「騙されちゃいけないよ、志月! チルドニュクスなんていう薬は、本当は存在しないのだから!」
現れたのは、川神学園の制服姿の絵里だ。
「そのカプセルの中に入っているのは、砂糖と小麦粉を混ぜた粉、ただの偽薬なの! そんな粉を飲んでも、安らかには眠れないし、陽志さんの夢は見れないし、幸せに死んだりなんか、出来っこない!」
観客席から拍手と共に、絵里の言葉を肯定する声が上がる。
「これで、志月はチルドニュクスが偽物だという、真実を知ったわ!」
戸惑いの表情を浮かべている志月から魔女に、絵里は語りかける相手を変える。
「だから、その薬……いいえ、砂糖と小麦粉を飲んだとしても、志月が永眠病になって死ぬ事は、有り得ないのよ! 真実を知れば、プラシーボ効果は効かなくなるのだから!」
勝ち誇る絵里に、魔女は余裕を持った表情で、問いかける。
「――本当にそうだと思うかね? このチルドニュクスは偽薬で、飲んだところで……安らかに眠り、楽しい夢を見て、幸せに死んだりはしないと、本当に思っているのかね?」
「当たり前じゃない! チルドニュクスを手に入れて、科学的に調べた人達は、声を揃えて言っているわ! 『チルドニュクスは偽薬、砂糖と小麦粉を混ぜた粉』ってね!」
「だったら、お前さん……この最愛の兄を失い、人生に絶望した娘が、チルドニュクスを飲もうとしても、止めたりはしないだろうねぇ?」
「――えっ?」
絵里は目を見開き、驚きの声を上げる。
「チルドニュクスが偽薬で、効果が無いというなら、飲んだところで何も起こりはしない! 故に、止めずとも良い筈!」
右手で絵里を指差し、魔女は強い口調で言い放つ。
まるで法廷劇で弁護士が、検察官の発言の矛盾を突き、追い込んでいるかの様に。
「逆に言えば……止めるという事は、お前さんがチルドニュクスは本物だと、信じている事になる! 違うかな?」
「そ、それは……」
明確な反論が出来ず、言いよどむ絵里から、戸惑った様子の志月に、魔女は話の相手を変える。
「――さぁ、この世に絶望し……死を望む娘よ! もう、お友達も止めたりはしない! その手の中にあるチルドニュクスを飲み、安らかに眠り、楽しき夢を見て、幸せに死ぬが良い!」
掌の上のチルドニュクスを見詰めている志月は、飲む決心が着かないのか、手を震わせている。
掌からチルドニュクスが、何粒か零れ落ちる。
「大好きな兄さんが待っているよ、夢の中で……そして、魂の住まう死後の世界でもね」
その魔女の言葉が背中を押し、志月は決意を固める。両掌を頭上に掲げて、志月は叫ぶ。
「チルドニュクスよ、魔法の薬よ! 兄さんがいる夢の中に……そして、兄さんの魂が待つ、死後の世界とやらに……私を連れて行って!」
「飲んじゃ駄目! 志月! それが偽薬であっても、それを飲んだら貴女は!」
やはり我慢出来ないと言った風に、絵里が上げた制止の声を無視し、志月は両手を口元に運び、煽る様に大量のチルドニュクスを口に含むと、飲み下す。
口元から、飲みそこなったチルドニュクスの白いカプセルが零れ落ち、舞台の床に落下、カラカラと音を立てる。
観客達がどよめき、舞台上の絵里は頭を抱える。