198 ――ミスったな、籠宮! チャンスだっ!
「兄さん、邪魔しないでって言ったじゃない!」
苛立ちの声を上げる志月に、陽志はモブキャラクターを斬り捨てながら言い返す。
「馬鹿を言うな、邪魔するに決まってるだろ! 同じ事言わせるな!」
その言葉を聞いて、志月は歯噛みする。
大好きな兄が敵に回り、大嫌いな慧夢の味方をしている状況が許せず、志月の苛々はピークに達する。
結果、冷静さを失った志月は、右手で陽志を指差しつつ、目の前にいる多数のモブキャラクター達に、安易な指示を出してしまう。
「まず兄さんを止めて、絶対に! あ……でも怪我はさせないように!」
志月の指示に、「怪我はさせないように」という条件が含まれていた以上、モブキャラクター達は陽志に対し、武器を使えないという状況は維持される。
だが、「まず」や「絶対」にという指示が追加された為、志月の前方……慧夢や陽志を取り囲んでいた、数十人のモブキャラクター達が、露骨に動きを変え始める。
大雑把に言えば、慧夢と陽志を取り囲んでいたモブキャラクター達の半数が、これまでは武器を手にして、慧夢を狙って動いていた。
ところが、まずは陽志を絶対に止めろという意味合いの指示を、志月が出したせいで、慧夢を狙っていたモブキャラクター達も、狙いを陽志に変えて動き始めたのだ。
慧夢から見ると、正面や背後にいたモブキャラクター達が、一斉に陽志がいる右側に、移動を始めた感じになる。
駅のホームに電車が入って来て、ホームに溜まっていた人々が、一斉に電車に押し寄せ、ホームの電車とは反対側が、ガラ空きになった様な状態。
志月との間を遮っていた、多数のモブキャラクター達が右に退いてしまい、慧夢の前には志月に通じる、一本道が出来てしまったのだ。
十メートルに満たない、遮る敵がいなければ、あっという間に駆け寄れる道が、いきなり開けてしまったのである。
(――ミスったな、籠宮! チャンスだっ!)
絶好のチャンスを、慧夢は見逃さない。
地を蹴り猛然とダッシュし、あっという間に志月との距離を詰めて行く。
「誰か、夢占君を止めて!」
冷静さを失ったせいで、犯してしまった失策により、いきなり危機的状況に追い込まれた志月は、狼狽しながら声を上擦らせ、誰かという訳ではなく指示を出す。
だが、既に武器を捨てて、陽志の方にシフトし始めていた多数のモブキャラクター達は、いくら志月が指示を出しても、すぐに慧夢への対処には戻れない。
故に、高枝切りバサミを手にして突進して来る、慧夢の前に立ち塞がり、焦る志月を守ろうとするモブキャラクターは現れない。
助けが現れない以上、志月は自ら慧夢を撃退するしかないとばかりに、慌てて近くに落ちていた木刀を拾い上げる。
だが、焦って慌てている上、武術経験がある訳でも無い志月が、木刀を手にした所で、慧夢に勝てる筈が無い。
(貰ったッ!)
慧夢は勝利を確信しつつ、高枝切りバサミを手にした右手を、前方に突き出す。
そのまま木刀を拾い上げ、身構えたばかりの志月に向って、慧夢は突進。
鋭利な槍の様になっている高枝切りバサミの切先が、電光石火の勢いで志月に迫る。
だが、志月は高枝切りバサミの切先を、木刀で払えもしないし、回避も出来ない。
慧夢が志月を仕留めようとした、その瞬間、異変が起こる。
空気を切り裂く音を耳にしたかと思うと、慧夢は右腕に激しい痛みと衝撃、強烈な右方向への力を受け、身体を右側に強引に持っていかれてしまう。
そのまま、志月の向かって右側に立っていた、太腿程の太さがある庭木の幹に、慧夢の右腕は衝突。
腕をハンマーで砕かれたかの様な激痛と共に、右肘が嫌な音を立てて圧し折れ、慧夢は高枝切りバサミを手放す。
身体ごと持っていかれて、骨が折れる程の勢いで衝突したのに、慧夢は転倒しない。
いや、より正確に言えば、転倒出来ないと言うべきだろう。
(――い、一体……何が?)
既に力も入らず動きもしない、ただ形容し難い激痛だけが伝わって来る右腕に、慧夢は顔を歪め……脂汗を浮かべつつ、必死で目をやる。
慧夢の目に映ったのは、有り得ない方向に折れ曲がっている右肘と、弓矢に射抜かれている前腕部分。
釘を打ち付けられて固定されたかの様に、慧夢の右の前腕部分は、弓矢で射抜かれて庭木の幹に、固定されてしまっていた。
慧夢の身体が倒れなかったのは、右前腕を木の幹に固定されていたせいだった。
「ゆ、弓矢! さっきの奴か!」
矢に射抜かれた右前腕を目にして、自分に何が起こったのかを理解した慧夢は、苦痛に顔を歪め、口惜しげに声を漏らす。
そして、矢が放たれただろう方向……門と庭を繋ぐ通路に、慧夢は目線を移動させる。
慧夢の目に映ったのは、矢を放ち終わった後、残心の状態で、弓の構えを解きつつある、弓道着を来た少女の姿。
門と庭を繋ぐ通路に、伏兵として残されていた、弓道着姿の少女のモブキャラクターに、慧夢は右腕を射抜かれたのだ。
(さっきは警戒して、やり過ごせたのに……勝ったと思い込んで、油断してたのか俺は!)
モブキャラクター達に対する、志月の明らかな采配ミスと、それが作り出した千載一遇のチャンスの訪れに興奮し、勝利を確信した慧夢の思考は、攻撃だけに捉われてしまった。
結果、存在を知っていた上、先程はやり過ごせた弓道着姿の少女の攻撃を、今回の慧夢は食らってしまったのである。